じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

小売業・業態の変遷

2018-10-11 22:34:56 | Weblog
☆ 京都新聞の朝刊、「ファミマ、ドンキを傘下に」の記事、そこに小売業の業態別の売上高を表すグラフが掲載されていた。

☆ 百貨店からスーパーへ、コンビニそしてインタネット通販へと業態の変遷が鮮明に描かれていた。

☆ 私が小さい頃は、八百屋、魚屋、肉屋など個人経営の店が軒を連ねていた。そうした店が何軒か集まって「市場」をつくっていた。

☆ 百貨店(デパート)、京都だったら、大丸、高島屋、藤井大丸、丸物などは都心部にしかなかったから、デパートに行くのは家族にとってはイベントで、着飾って、大食堂でお子様ランチを食べて、屋上の遊園地で遊べたら、大満足だった。

☆ いつからか郊外にスーパーマーケットができた。ダイエー、イズミヤ、ニチイ(後のサティ)、ジャスコ(後のイオン)、西友や平和堂。広い駐車場があって、デパートほど堅苦しくなくて、それでいて食品をはじめ家電も衣類も日用品も、文房具も書籍もレコードなども売っていた。ぐるっと回るだけで、結構楽しめた。

☆ 総合スーパーが低調になったのはいつからだろうか。映画館を併設した大規模な複合施設や食品に特化した食品スーパーは元気なようだが。テナントの退店が相次ぎ、演歌歌手などを呼んだイベントで客を集めるようになると、末期症状か。改装をするなりコンセプトを変えれば良いのだが、もはやそんな余裕もないか。

☆ コンビニは元気だ。それにもましてインターネット通販の伸びには驚いた。

☆ 業態は時代(生活形態や技術革新)と共に変わりゆく。次なる「カタチ」は何だろうか。
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映画「わが谷は緑なりき」

2018-10-11 13:53:56 | Weblog
☆ 映画「わが谷は緑なりき」(1941年)を観た。映画づくりがうまい。感動した。

☆ 19世紀末、イギリス・ウェールズ地方の炭鉱町での話。モーガン一家には6人の息子と1人の娘がいた。家父長的な権威はもちながらも家族思いの父ギムル、時に強くそして常に優しい母ベス。息子たちは父親と同じく炭鉱で働き生計を立てていた。

☆ そんな一家にも時代の波が押し寄せる。労働争議、長男の結婚、新天地を求めて谷を出る息子たち、炭鉱の事故で命を落とした息子、牧師への恋心を抱きつつ炭鉱主の息子と結婚する娘、娘との禁断の恋に悩む牧師、末っ子の学校生活、いじめ、人々の偏見、心の貧しさ、そんなことが詰まっている。

☆ 末っ子ヒューの回想ではじまり、彼の目を通して物語が進む。

☆ 落盤した炭鉱のセット、クライマックスのドキドキ感、坑口から登ってくるエレベーターが実に効果的だった。そして最後はレクイエム。

☆ かつて緑だった谷、今は半分まで「ぼた」で黒く染まっている。炭鉱仕事で汚れた体は石鹸で洗えばきれいになるが、心の汚れは簡単には落ちない。牧師の「偽善者、卑怯者」という言葉が教会に響く。「お前が大きくなるころには偏見や心の貧しさがなくなればいい」、父親は末っ子ヒューに語る。

☆ 監督はジョン・フォード。アカデミー監督賞を4度受賞した巨匠だ。
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刻石流水

2018-10-11 10:20:51 | Weblog
☆ 朝日新聞「耕論」のページ、「お金で幸せになれる?」をテーマに3人の方のインタビュー記事が載っていた。

☆ 中でもボランティアとして活躍されている尾畠春夫さんの記事に注目した。「やりたいことをやるのに年金で十分」と語られる尾畠さん、その好きな言葉は「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」だという。

☆ 「懸情流水 受恩刻石」、詳しい出典はわからないが、仏典から来ているらしい。

☆ 「受恩流水 懸情刻石」になりがちな日常。反省させられる言葉だと思った。

☆ 「人生、終わるまで楽しみましょうよ」と語る尾畠さん。有名人になってしまったゆえに苦労も多いことだろうが、その笑顔はまぶしい。
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