憲法の最終解釈権は総理大臣にある、なんて独自説をさも通説のように開陳するなよ。それじゃ憲法の意味ねえだろ。統治行為論は「一見極めて明白に違憲無効」であれば採用されないって最高裁も言っとるやんけ。
— めんそーれ (@moral_Iaw) 2016年8月2日 - 00:06
橋下をテレビで好き勝手喋らせないでくれ。あいつはマジで危険。
— めんそーれ (@moral_Iaw) 2016年8月2日 - 00:00
極右的なものとネオリベ的なものが結託しがちな理由のひとつは、前者が共同幻想として想定する「社会」の弱者差別的志向と、環境設計に特化し共同幻想を放棄するような志向を持つ後者の、利害関係が一致することにある。彼らは互いに利用し合っており、そのことがかなり社会を動かしてしまっている。
— コメカ (@comecaML) 2016年8月1日 - 20:23
ぼく自身も含めて、所謂今の日本のリベラルは、共同幻想としてのリベラルな「社会」というイメージの共有と流布を目指している。リベラル的な動きが上手く機能しないように見えるのは、そのことに原因のひとつがある。端的に言って、戦後民主主義的理念すらひとつのサブカルチャーになってしまったのだ
— コメカ (@comecaML) 2016年8月1日 - 20:27
ポストモダニストやネオリベはそれを嗤うが、共同幻想としての「社会」をイメージすることを、日本社会は放棄するべきでは無いと思う。市場運動の中で個人的な想像力だけで生きられるほど、殆どの人間は強くない。だからこそバックラッシュ的に、ネトウヨ的な想像力は社会に広がり続けてしまっている。
— コメカ (@comecaML) 2016年8月1日 - 20:31
しかし、かつては当たり前のものとしてこの社会にあった、リベラル的な共同幻想としての「社会」のイメージは、現状では一つのサブカルチャー、極端に言えば一つのカルトとしてしか機能しないところまで追い込まれている。情報社会では必然的にそうなる。この状況を如何に打開するかが非常に重要になる
— コメカ (@comecaML) 2016年8月1日 - 20:35
簡単に言うと、人間がたくさん集まったときに、「社会」というものをどうやってイメージすればいいのかな?って話。右翼も左翼も、イメージとしての「社会」をそれぞれに持ってる。でも今の日本では、イメージとしての「社会」そのものに関心が無い人や、消費文化や経済運動にしか興味が無い人が大半。
— コメカ (@comecaML) 2016年8月1日 - 20:39
リベラルはネトウヨ的なものと戦うだけじゃ不十分で、「世の中がどう動こうが別に興味無い」という人々に、攻撃や非難ではない形で言葉を届ける努力や工夫をする必要がある。リベラルが「良き社会」のイメージを沢山の人々と共有したいのなら、必ずそれが重要になる。それが出来なければカルトになる。
— コメカ (@comecaML) 2016年8月2日 - 00:17
小池百合子と自民党のお昼→手打ちうどん
— デーブ・スペクター (@dave_spector) 2016年8月2日 - 11:52
稲田朋美政調会長は「一億総活躍社会とは、国民がこの国を良くしていくための運動なんだ」とおっしゃった。いつからこの国の国民は、国家を良くするための運動員にさせられたんでしょうか。政治の課題は、「助けてほしい」という小さな声の中にある。goo.gl/5wjVDL
— 山尾しおり (@ShioriYamao) 2016年7月5日 - 22:07
女性が飲むような日本酒飲んでる。 #上善如水 #スパークリング日本酒 instagram.com/p/BImzpO0BsmW/
— 寒川 淳次郎 (@junziro) 2016年8月2日 - 21:29