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リテラシーは子供の頃からのしつけや教育、生活環境に影響される。=オーストラリア、16歳未満のSNS利用禁止法案可決違反企業には罰金=

2024年11月30日 21時00分30秒 | デジタル・インターネット
「思い切ったことをやったなぁ」と思いました。
日本でもこのニュースについては賛否両論分かれているようで、街頭に出て賛否を取る取材をしているニュース番組がありました。

日本でも検討はされているようですが、議論は続いており、その間にも今もSNSは利用され続けています。

もちろんのようにいろいろと意見は出てくると思います。
ただ、その以前に抑えておかなければならないことは、基本的にSNSは「道具」あるいは「ツール」ということです。
情報を取得するための「道具」ということです。
そして、「バカも鋏(はさみ)も使いよう」ということわざにもあるように、人間の使いようによって、いくらでも役に立ったり、立たなかったりするわけです。

なので、今回のオーストラリアの法案成立には若者たちに、そのSNSの「使いよう」である正しく使う方法を教育する機会をなくすことになるのでは?と違和感を持ちました。
それで、「思い切ったことをやったなぁ」と思ったわけです。

つまり、使用を禁止するより、SNSやインターネット全般の正しい使い方、掲載されている情報への正しい判断の仕方など、いわばリテラシーを育てることに注力したほうが良いのでは?と思います。
同じ法案を成立させる労力を使うのであれば、その方針を規定する法案であったり、その機会を与える法案であったり、子供がSNSを利用するにあたって、その安全を守るために事業者や親の立場で最低どのような立ち回りをするべきか大人の啓蒙活動の指針を決めたりする法案を成立させるのに注力すれば良いと思います。
言葉で書くと簡単なように思いますが、それはやはり難しいはずです。
だからと言って単純に利用を禁止するのはあまりに短絡的で安易すぎ、大人として手抜きな気がしてしまうのです。


しかしその一方で、SNSの運営会社側も子供たちが犯罪に巻き込まれない対策を十分にしているか?と言えば、そうではないと思います。
現に、あきらかに問題のある書き込みが通報を行っても削除されない例は僕自身も何回も経験しています。これこそ、「枚挙に暇がない」です。
あきらかに事実ではないこと、ヘイトスピーチなど、社会人として間違っていると徹底的に非難されなければならないことに、そのサービスを提供している運営会社側が社会的責任を果たさない、ということは本来あってはならないことであり、これは大きな問題だと以前から思っています。
そういった運営会社側のぬるい対応の現状こそが、社会人、大人の悪い見本となり、犯罪を誘発しているように思え、結果、子供たちを犯罪に巻き込んでいるのでしょう。

そういう側面から見てもこの根本的なこの問題が解決されないと、今回のような政治から圧力を加えられるようなことはいくらでも起きるのかな?と思います。
それもそれで言論の自由、表現の自由が侵害される余地を残す忌々しき問題です。

例えば、X(旧Twitter)側が以前、問題のある書き込みのその数が膨大で対処するのに人手が足りないような旨のことを仰っていたように思います。その後「コミュニティノート」なる機能ができたようですが、またこれを逆手に使い悪用する輩も出てきています。
結局、運営会社側自身が毅然とした対応を取るしかないわけで、そんなことは最初から分かっているわけで、ほとんどのユーザーがそれを望み、それを待っているわけです。
それができないのであれば、サービス運営会社側として社会的責任が果たせないのであれば、それはもちろん社会にとって有益な企業ではないのですから、ご退場いただくしかない。
2つに1つだと思います。
冒頭にリンクしたニュース記事の最後にありますように、アルバニージー首相の「一部の子どもたちは回避策を見つけるだろうが、われわれは企業に行動を改善するようメッセージを送っているのだ」と仰っているのは、このあたりのことだろうと思います。

ただし、アメリカの悪徳政権と結託する予定の人物が現在X(旧Twitter)を牛耳っている人物ですから、本来政治から圧力をかけられるようなことをし続けていても圧力はかけられない可能性が高いわけで、現状でも少しずつそうなっていますが今後もさらに使いにくくなるのではないか?予想しており、個人的にもポストしなくなるのではないか?と思っています。


話を元に戻しますが、このようなSNSの現状やそれに対する政治の動き、社会の状況などがある中で、結局のところ冒頭で話をさせていただいているリテラシーが必要な結論になるわけですが、先日もメルカリの件を例にこちらで書かせていただいていたように、生活の様々な場面でどちらにしてもリテラシーはそもそも必要で、今回の16歳未満の子供たちに関して言えば、そのリテラシー教育は常に必要なことであり、それに必要な機会や環境を大人たちが用意することも重要と考えます。
しかしながら、今回の法案成立はその必要な機会や環境を減らす懸念もありながらオーストラリア社会としてのひとつの結論とも言え、同じような問題を社会で抱える日本の私たちも重い決断として受け止めなければならないのではないか?と思います。

付して書くと、日本では「闇バイト」という名の犯罪が横行していますが、今の日本社会は、「そんなうまい話はない」と若者に判断させるリテラシー教育に必要な機会と環境(この環境の言葉の中に「貧困ではない環境」も含まれると最近思っています)が、年配の人が思うほどない、あるいは少ないのではないかと思っていて、だからこそ正しい判断ができずに「闇バイト」という犯罪に手を染めてしまうわけで、それを今からどうこうとその機会と環境を一から作り上げるより、とりあえずSNSを禁止してしまったほうが即効性があるように思えてしまうのも、オーストラリアの決断を重く受け止めなければならない一因になっていると思うのです。

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