junzirogoo!!!

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東京に行っておりました。

2024年04月14日 23時55分00秒 | 旅行記

2020年1月より4年ぶりの東京です。
コロナ禍明け後、初。
何しに行っていたかは、秘密です。
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東京・愛知行。(あいちトリエンナーレ2019感想のスピンオフ)

2019年09月17日 01時16分03秒 | 旅行記
先に、「あいちトリエンナーレ2019」のことを書きましたが、やたらと表現の自由についての話で終始してしまうので、1ヶ月ほどたってしまいましたが、ちょっと一息つく感じで、先月の東京・愛知行の話、「あいちトリエンナーレ2019」を観賞した余談など書いてみたいと思います。


「あいちトリエンナーレ2019」に行ったのは、8月13日でした。
その前日、東京に一泊しておりました。
毎年東京に行くようにしたい考えの人間なのですが、東京に行くのは、おそらく4年ぶり。(ちゃんと覚えていない^^;)
東京には、高校時代から付き合いのある友人Mがいます。4年ぶりでしたので、とにかくMに会いたいと。
この4年間、実にいろいろなことがありました。それでやっと東京に行ける、「余裕」ではなく、これは「回復」と言いたいのですが、やっと回復したわけです。
で、会って飯田橋や大久保をウロウロして、いろいろ話をしたわけですが、頑張っている友人に会うとこちらも元気がもらえるようで良い影響があります。会えて本当に良かったです。



翌日には、早々に朝から進路を名古屋へ。
その前に、泊まったホテルのすぐ近くにある築地場外市場と取り壊されている築地市場を撮影。
そのままバスで東京駅に。土産を買って新幹線に乗り、名古屋に着いて直接地下鉄に乗り名鉄経由で豊田市駅に。
駅から豊田市美術館へは徒歩で向かったのですが、路面に案内の矢印が書いてあり親切と思いつつ、少し遠回りだったような…。しかし、それが正規のルート(?)だったようにも思います。非常に暑い日だったので、ちょっとつらかったかな。しかし、そもそもの豊田市美術館のロケーションや佇まいに癒やされ、疲れが吹き飛びました。
ここにまず来た理由は個人的に本来の目的である高嶺格さんの作品を観賞に来たこと。豊田市美術館と隣接する旧豊田東高校の2ヶ所に展示されています。
着いたタイミングでギャラリーツアーがあるのを確認していたので、入館後まずそれに参加。各作品への理解が深まります。聞いていると、今回の「情の時代」のコンセプトにあらためて各作品が沿っていることが明確にわかります。

そして、豊田市美術館に展示されている高嶺さんの辺野古を取り上げた作品には、望遠鏡に模したオブジェの中で展開される動画が6種類あると聞き、何回も並んですべてを観ようと試みましたが、結局、観れたのかどうかわからず、禁じ手だとは思ったのですが、スタッフの方に確認する始末。最終的には「担当者がいないので…」と、わからずじまい。そりゃ、教えてくれないよな。
それにしても、作品の前に高嶺さんの作者紹介をしている掲示の上に、今年2月の県民投票の結果を「新基地 反対72%」とデカデカと報じる琉球新報の1面を掲示しているのにも関わらず、この作品が辺野古を取り上げていることすら理解していない人が多かったのは、なんとも残念に思いました。(それは料金を損してるばかりではなく、人生も損してるで。)

同じく高嶺さんの旧豊田東高校に展示されている作品は、その高校のプールの底のコンクリートをくり抜いて垂直に立てた作品。ただ、それだけに見えます。また、くり抜かれた底と壁のようになったコンクリートが作品なのか?プール全体を作品とみればよいのか?後ほど聞いた話によると、壁のようになった垂直に立てられたコンクリートは、トランプがメキシコ国境に立てようとしている壁と同じ9メートルの高さ。やはり壁でした。これもなかなか高嶺さんらしい。
ということで、高嶺格作品を存分に満喫してきました。

帰り。さすがに行きが暑かったので豊田市駅までタクシー乗りました。その車中、運転手さんと話したのですが、豊田市がTOYOTAの城下町として栄えたせいもあって、大阪から来た僕に、「豊田の人間は仕事ばっかりしてきたから、(そんなたいしたことありませんよ。)」と言ってたけど、それが良いんですよ。僕は偉いと思います。(労働は尊い)
豊田市駅の周辺でも、あいちトリエンナーレの会場(豊田市民ギャラリーや駅高架下など)として展示が行われているところもあります。時間がなかったのでスルーするしかなかったのですが、これがまたなかなか見逃した残念感が大きいものばかり。また豊田市では豊田スタジアムがラグビーワールドカップの会場になっています。これも盛り上がってほしいですね。


ここから、また名古屋市内に戻ります。
後で聞いた話によると高速バスが名古屋市内と豊田市美術館近くを結んでいるとのことでしたが、来た時と同様に名鉄・地下鉄を使って、愛知芸術文化センターの最寄りの栄駅へ。
名古屋の地下鉄に乗っていて思ったのは、駅の人の流れを整理しようとしている構造は良いのですが、ホームなどが暗く感じたのは僕だけなんでしょうか?

愛知芸術文化センターには、やはり「表現の不自由展・その後」が展示中止となり、その影響を現場で確認したかったのと、あばよくば会場スペースに入れなくても遠目でも「表現の不自由展・その後」の作品群が観れないか?と非常に甘い期待をしながら、足を運びましたが、やっぱりダメでした。本来であれば、あの少女像の横に座ってみたかった。そして、どのような想いを自分自身がいだくのか?確認してみたかったです。
しかし、影響は出ており、「表現の不自由展・その後」の手前の会場で展示していたCIR(調査報道センター)の映像作品も展示を中止。またパク・チャンキョンさん、イム・ミヌクさんの作品もすでに展示が中止されていました。非常に残念です。
残念でありながらも、やはり起こったことはとても重大なことであり、この件の僕の受け捉えは先に書いている記事のとおりですが、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の検証内容も含め、今後の展開は注目していきたいと考えています。
しかしながら、誤解を恐れずに書くと、本来の予定で豊田市美術館だけを観ていたのであれば、愛知芸術文化センターで展示を行っている、こちらもその作品のそれぞれが今回の「情の時代」のコンセプトに十分沿った作品を観ることがなかったわけで、それは、「表現の不自由展・その後」と同じくらい社会的なテーマを取り扱っているものであり、個人的に「社会的な要素を含んでいる作品こそが芸術といえる」とする僕にとっては垂涎ものの作品ばかりであり、「情の時代」のコンセプトの元、これほどまでに数多くの社会的な要素を含んでいる作品とアーティストを集めた津田大介さんには最高の評価をしたいし、やったことは明確に間違っていないし、誰にも批判されるものではないはずです。それはまた、主催した組織や協賛した企業も同じです。

と、やはりこのことは大切な問題ですので、触れられずにはいられないし避けて通れないので、こちらでも長くなってしまいましたが、前の記事も含めて、今回の「表現の自由」が脅かされた問題を、同時に今の社会の問題を一緒に考えていただければと思います。
それが、今回、この「あいちトリエンナーレ2019」で、そもそも津田さんが投げかけたかったことに通じるのではないでしょうか?

愛知芸術文化センターには閉館までねばってできるだけ観るようにしてました。閉館後、名古屋の駅前に戻ってウロウロしていたのですが、なかなか名古屋もすごい街ですね。舐めてました(ごめんなさい)
20年以上前ほどに来た時は、ここまでそのように思わなかった(これまた失礼)のですが、来てなかった間にすごく変わりました。駅前の開発は話には聞いていたのですが、かなり大規模にやられて、かなり垢抜けた感があります。
さすがに20年前にすでに街なかでは聞くことがなかった名古屋弁ですが、もちろん今回も聞きませんでした。20代の頃にマトモに聞いた名古屋弁はカルチャーショックでしたが、大阪弁はあれだけ広まっているのに、街が垢抜けても地域の人の個性とも言えるものがなくなってしまうのもなんだかなぁ、と思います。


大阪への帰路は近鉄・名阪特急で。
こちらも乗車が20年以上ぶり。今回は調子にも乗ってデラックスカーを選んでみました。なかなか良かったですが、シートの左肩近くについているライトはどんなときに使うのか疑問に思いました。
それはさておき、近鉄名古屋駅でこちらでもお土産を買ったついでにビールと手羽先を買い、おそらく長島温泉と思われる打ち上げ花火を遠目に眺めつつ車内で食していましたが、美味い!20年以上前は名古屋駅の近くできしめんを食べたので、次は味噌カツといきたいですね。
という感じで、また名古屋行きたいですね。もちろん、あいちトリエンナーレ期間中にまた行きたいと考えているのですが、いろいろと模索している中、やはり仕事の関係で時間が難しそうな状況ですが…。


追記:ちなみに、20年以上前に名古屋に行っていた理由は、1997年に名古屋の某ギャラリーで写真展をやった時、初日に会場へ足を運んでいました。それなりに好評でした。(作品の一部はこちらで。)
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大津びわ湖湖岸撮影行。

2012年09月20日 18時05分59秒 | 旅行記
こちらも、遅ればせながら…、

先日のびわ湖ホールでの、高谷史郎「クロマ」観賞後、そのまま、大津に一泊し、翌日。
現在、写真で、水辺をテーマにしているものを進行中(詳細は最後に。)なので、この機会にびわ湖を!ということで、撮影を挙行しました。


結論から言うと、ぶっちゃけ、期待していたほど、あまり大した収穫はなかったです。
理由を考えてみたのですが、
まず、歩いた範囲が、ほぼすべて、おそらくこの20年ぐらいの間に整備された場所で、これと言った趣のある風景があるところではなかったこと。
特に、浜大津港では、完全に観光のために整備されており、例えば、そこに、人の居ついている気配が感じられず、虚無感に襲われ、まったくシャッターを押す気にもなりませんでした。
通常、人工的に整備された街並みでも、そこに、何か感じられることが少しでもあるのですが、なぜだったのでしょう?

ひとつ思ったのは、浜大津港と言えば、あの、アメリカのミシガン湖でやられているのをそのままに、このびわ湖でもやられている観光遊覧船。
これが、非常にアメリカアメリカなチアー感(空元気)満載で、この遊覧船からの雰囲気を感じるたび、僕は、嫌な気分になった気がします。

以前、これと似た感覚を、どこかで味わった気がして、思い出してみると、
昔、アメリカンスタイルのステーキ屋さんで、やたら、余計なアトラクション満載のお店があったような記憶があるのですが、そこに、付き合いで行ったときに、さんざん店員の変に高いテンションの案内後、料理が運ばれ、やっと落ち着いて食べれると思ったら、今度は、焼き加減はどうか?肉は硬くないか?とか食べている最中にやたら聞かれて、「ゆっくり食べさせろ。」と言ったか、どうかまで記憶してないですが、ちっとも美味しくないステーキを食べた記憶があり、それと、似た嫌な気分を少なからず感じた気がします。
それが、一番の原因だったのかも?
(余談ですが、このような人間なので、これまでにもこのブログで書いているかもですが、実は、TDLやUSJなんかも、非常に苦手です。)

あと、やっぱり、びわ湖は淡水湖だな、と思わせる、におい、かな。でも、これは、仕方ないと思います。むしろ、それは特徴なのですから。

浜大津以外のところでは、湖岸は、地元に住む人達の憩いの場となっており、そこに、休日だったこともあり、いろいろな人が集っていました。
このあたり、それなりに絵になったところもあったと思います。
おそらく、忘れた頃に撮影したものを公開するハズ^^です。
ちなみに、当日、iPhoneで撮影した写真を、Instagramで公開しています。


あと、思ったのは、今回、巡った湖岸に立ち並ぶ、PARCO、西武、プリンスホテル。
西武の創業者・堤康次郎が滋賀出身ということで、、県内には、いろいろ西武グループが手がけているものがあり、これもその一部分で、それを思うと、なぜか浜名湖と比較してしまったのですが、どうも、びわ湖というのは、レジャー・観光資源として、あまり活かしきれてないような気がしました。
浜名湖は、海とつながっている分、特殊なケースなのかもしれないですが、びわ湖は、日本で一番大きい湖なのですから、もう少し盛んに、レジャー・観光資源化していても良いような印象を感じました。
どちらにしても、地味な印象があります。


そんな感じで、びわ湖湖岸を歩いている時は、総じてあまり良い感触を持たなかったのですが、
湖岸に出るまでの大津の町並みなど、大通りから外れて、一本細い通りを入っていくと、非常に趣のあるように感じられ、絵になりそうな「におい」がありました。
湖岸より陸側に入った範囲には、2,30年以上ぐらい前の町並みが残っている印象で、今回、湖岸よりも、そちらのほうを撮影すれば良かったのではないか?と強く思ったほどです。
京都が近いこともあってか、その趣を少し持ちながらも大津としての個性を町並みが語っているようでした。特に、京阪電鉄石山坂本線沿線は、かなり絵になるような気がしていて、おもしろいと思います。機会があれば、撮影したいですね。

という、大津でした。


今回、撮影した写真は、現在、水辺をテーマとした作品を公開している、下記の特設サイトで、今後、追加公開する予定です。ご期待ください。

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グアムなう。

2011年02月06日 11時12分12秒 | 旅行記

Guam11_00



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新幹線車窓より。

2010年08月12日 14時49分22秒 | 旅行記

新幹線車窓より。

すごい雨。
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長野行。その6。

2009年10月22日 03時17分18秒 | 旅行記
また、少し間があきましたが、
長野行。その5。」のつづき。

七尾旅人さんの演奏が終わって、ステージでは、次のハラカミさんの準備が行われている。
僕は、人気が引いたので、ステージの前に陣取り、準備の様子を見ている。
七尾さんで使われていた機材が引かれた後、ハラカミさんの機材が運び込まれるのだが、ハラカミさんの機材はいたってシンプル。
詳しくは知らないが、サンプラー(?)1台が、スピーカーへの出力系統に、ちゃんとつながっていれば、いいような感じだ。
が、その機材を置く机が必ず必要になる。これは、大概、グラブではターンテーブルが置かれているような机(というか台?)があったりするので、いつも会場で、「調達」という形になっているのだろうと思うが、この日、出てきた机は、普通の会議室などで、パイプの折りたたみ椅子と一緒に使うような折りたたみできる長机だった。
ここに機材をそのまま置いて、準備完了になったのだが、立ったままこの机に置かれた機材を操作することになると、かなり腰にクルのではないか?と僕は思った。
そして、案の定、ハラカミさんが出てきたら、「低い!低い!」と連発していました。
それでも、いつものように演奏を始めたわけですが、冒頭、変な白人女が、いきなり「キャー、素敵!大好き!」みたいな言葉を叫びだして、ハラカミさんが、「何だ、おまえは?」と言い返していました。
しかし、この女性、その後、ステージ前の何人かの男性に順番にチョッカイを出し始めて、どの人も迷惑そうでした。僕のところにもきましたが、背中をさわりながらワケのわからないことを言っており、僕も気色悪いので無視。
そんな感じで、冒頭、邪魔な人もいましたが、会場全体のオーディエンスは、なかなか素直な反応をみせ、盛り上がりは終始良い感じでした。松本独自のオーディエンスを感じました。
あと、強いて言うなら、次回より、机の高さは90cmで(ハラカミさん談)。

ということで、ハラカミさんが終わってからは、そんなに長居することなく、結構、すぐにホテルへ戻った。
翌朝は、ホテルをチェックアウトしてから、せっかくなので、松本城を見物

松本城。

中学の文化祭で、クラスで大きな貼り絵か何かをしたときに題材が「松本城と信州の山々」だったことがあって、その頃、何度も写真で見ていた松本城を実際に見ることができて、何となく感慨深げになった。

その後、松本の街をだらだらと撮影しながら、松本駅へ向かい、駅前のモスで昼飯を取り、再び「あずさ」号に乗って帰りましたとさ。

終わり。
(1ヶ月かかって、やっと終われたw。)

追記。--------
帰り。新宿で、ちゃんとタワーレコードは寄って帰りましたw。

TB。--------
「junzirog:長野行。その5。


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長野行。その5。

2009年10月16日 01時54分23秒 | 旅行記
長野行。その4。」のつづき。

松本駅に着くと、できたばかりなのか、駅舎が美しい。
小町屋から全く改札を通ってないので、完全にタダ乗り状態。精算窓口で精算し、改札を出る。
改札を出ると、同じ建物内にスターバックスコーヒーやショッピングモールもあり、ひらけている感がある。
駅前に出ると、バスやタクシーが止まる大きなロータリー。
そのロータリーを抜け、一度、今日の宿泊先であるホテルへ。
途中、歩いていても街は綺麗に整備されている感があり、東京でも聞くマクドナルド、松屋、パルコなどの名前に混じって、地元の企業やお店が見える。
ホテルに着いて、チェックインを済ませて、部屋でしばらく休憩。やっと、落ち着く。

松本にまで来た理由は、前日の「Onsa meets hint oyaji」@soupに引き続き、松本周辺で行われている「りんご音楽祭」に出ている、rei harakamiさんのライブを聴くためだった。
harakamiさんの出番は23時過ぎだったので、3時間ぐらい早く出て、街をぶらつき、どこかで晩飯を食べてから、会場である、「RAIZ」へ向かうことにした。
が、ホテルを出てみると、やっているのは飲み屋さんぐらいで、ほとんどの店が閉まっていた。
仕方ないので、とりあえず、会場のRAIZの位置を確認し、そのまま晩飯を食べるところを探した。
すると、RAIZのすぐ近くに、ショッピングセンターらしいものがあり、最上階に飲食店街があるようで、早速、エスカレーターを上がっていった。
よく見ると、この「エスパ」と呼ばれるショッピングセンターはイトーヨーカドー系列らしい。ひとりで「ほーぅ。」とか言っていたw。
最上階に上がってみると、何軒かのレストランなどがあったが、その中のとんかつ屋さん(?)のようなお店に入って、ミックスフライ定食みたいなのを注文。
注文を取りに来た店員さんは、どことなくあどけない感じがして、でも、どこかしっかりしている風にも見える。
料理が出てきた。やはり、信州らしく、お蕎麦の小鉢もついている。おいしくいただいた。
薬を飲み、一息ついて店を出た。
ショッピングセンターのエスカレーターを下っていく。店はまだやっている。途中の階で、新星堂があったので、ちょっとのぞいてみた。
そういえば、次の日に新宿に帰ったら買うつもりだった、坂本龍一のCDをここで買ってしまおうと思ったが、なかった。それもそのはず、商品の棚を見てみると、品揃えに田舎を感じることができる。圧倒的にジャニーズ系統のタレントや女性アイドルの作品が多い。あとは演歌系。それでほとんどのように思えた。
一瞬の目論見をあきらめ、僕は店を出る。
閉店時間に差し掛かっている「エスパ」を出て、松本駅のほうへ向かった。
先ほど、到着時に出てきた改札を通り過ぎ、コンコースになっている駅の高架橋の上を歩いてみる。
建物が新しいのもあり、天井が高く、綺麗なコンコースだ。

松本駅コンコース。

ちょうど、バイオリンを弾いている人がいた。田舎の主要駅にしては上品な雰囲気を醸し出している。
そのむこうでは、話をしているカップルも絵になる。
しばらく、その空気感を感じていたら、そのカップルが別々の方向へ帰っていく。その寂しそうな2人の姿に、なぜか、僕が罪悪感を感じてしまう。
そんな後味の悪さからか、コーヒーが飲みたくなり、ちょうど、コンコースの改札の向かいにある、スターバックスコーヒーで、モカを飲んだ。
そういえば、モカの豆が品薄になっている、とか言う話はどうなったのだろう?
じっくりとモカを味わった後、そろそろ、と言う感じで、会場であるRAIZへ向かった。

RAIZに着き、地下の入り口で紙のパスを腕につけられた。
スタッフの人たちを見ていると、初めてのイベントであるせいか、何となく初々しさと手作り感を感じる。
しかし、中に入ると通常のクラブである。雰囲気は、東京のそれとあまり変わらない。
ちょうど、着いた時には、某バンドが演奏をしていて終わりかけだった。
次は、まだ、ハラカミさんではなかったハズで、もしかしたら、あの名前だけは以前から聞いたことのある「七尾旅人」だろう、と思っていたら、そうだった。
気になっていたのだ。
出てきたら、スナフキンのようなイデタチ。
とりあえず、MCがおもろい。関西人の模様。たまに出てくる大阪弁。言ってことが本質的に、本当におもろい。漫談のよう。
やってることもおもろい。音楽的に。そして、音楽自体も良い訴求をしていて、おもしろい。
うまいなぁ。実に良い。本当に頭の良い人ですね。まいった。

さぁ、そして、次はお待ちかね、ハラカミさんの登場です。

その6。につづく。

TB。--------
「junzirog:長野行。その4。

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長野行。その4。

2009年10月12日 00時10分50秒 | 旅行記
しばらく、エントリーしていませんでしたが、そろそろ再開ということで。

小町屋から、また一旦、岡谷まで戻るのであるが、今度乗った電車には乗客が多かった。
荷物も多かった僕ではあるが、これから1時間半以上、立ったままではつらいので、とりあえず、座れる場所を何とか確保。
乗客は、来た時と同様、学生や地元の人が多かったが、山登りを終えた人たちなども含む観光客もちらほら見受けられ、さすが連休、と言ったところか。
戻りの電車には、行きの電車とは違うところがもう一つあった。
車掌が乗っていた。午後はやはりそれなりに乗客も多いということも見越しているのだろう。
とは言っても、都会のそれとは違い、この路線の車掌というのは、もっぱら改札業務をやっていると言える。
車両の中はもちろん、停車した(無人)駅のホームを駆けずり回り、降りた乗客の切符などを回収orチェックしている。
ほとんど、体力仕事だ。車両のドアは、行きの電車同様、勝手には開かない。ただ、運転士がドアのロック解除などをしている。
そんな慌ただしい車掌を横目に、他の乗客に目を移してみる。
僕の真横に立っている若い女性二人は、職場の同僚と見え、職場の他の人の話をしている。やがて、家族の話になり、兄弟の連れ添いの話になり、そして、彼氏が欲しい、というような話になっていてか、ある瞬間、いきなり、
「ハグしてくれる人、ほしいよぉ。」
と、僕の目の前で言い出し、なぜか、一瞬、ドキッとする。(←おまえじゃない。)

乗客は、岡谷に近づくほど多くなっていき、岡谷に着いた頃には、車内はほぼ乗客で埋まっていた。
そして、ほとんどの乗客は岡谷で降りる。
僕も岡谷で降り、乗り換えて、松本へ向かう。
次に乗る予定の電車は、なんと、25分後発。
とりあえず、飲んでいなかった薬を飲み、しばらく、ホームのベンチでくつろぐ…。

電車が、あと10分か5分ぐらいで来るので、ベンチから立ち上がろうとすると、隣に座っていた女の子から声をかけられる。
「次の電車は、長野へ行きますか?」
地元でもない、僕に聞くなよ。とか思いつつ、
「長野って、松本の向こうですよね。行くんじゃないですか。」
と、かなりええ加減に答えてしまった。女の子は納得していたが、彼女も地元ではないのか?

来た電車に乗った。
車内はこちらも混んでいる。ただ、違うのは車内の雰囲気だった。
乗っている人の身なりなどが軽装の人が多いせいか、どことなく、都市部の路線の車内のような雰囲気で、乗っている人たちに「都会」というか「街」を感じる。
そして、松本に近づくにしたがって、しだいに車窓の外の風景も、ひらけた街並みになってゆく。
電車が、松本に到着しようとした時、僕はある既視感に襲われた。松本の駅の風景の感じが、JR高槻駅に似ている。そう、電車が松本駅のホームに入っていくところが、JR京都線を大阪方面から来て高槻駅のホームに入っていくところの雰囲気に似ていた。
ま、たぶん、気のせいなんだろうけど。ちょっと、懐かしかったわけです。

そんな感じで、松本に到着したのでした。

その5。につづく。

TB。--------

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長野行。その3(たぶん。)。

2009年09月27日 18時07分01秒 | 旅行記

降り立った駅は、駒ヶ根駅からひとつ南にある、小町屋駅。
何度も、僕は間違えて、小屋町と言ってしまう。
駅は、去年末、駅東側の土地区画整理事業の一環として改修されて、非常に綺麗。
駅を出ると、無人駅にもかかわらず、ロータリーがあり、バスの停留所やタクシー乗り場がある。
こちらもできたばかりで、非常に綺麗。

そんな造成されたばかりの街を通り、写真を撮りながら東へ道なりに歩く。
空き区画に咲いているコスモスが、これまた綺麗。

小町屋のコスモス。

実は、自信を持って歩いているように見えて、そうではなく、家を出る前にもう一度、小町屋駅からのルートを確認しておくのを忘れていたのだ。
しかし、それでも、道なりに歩いていき、やがて、伊南パイパスとの交差点「下市場」の横断歩道を渡りきった時、少し遠くに、今日最初の目的地らしき白い建物が、もう見えてきた。あとは、そのお店がお休みでないことを祈るばかり。そう、営業時間はわかっていたが、定休日などは調べていなかったw。
交差点からまっすぐその建物へ向かう。しだいにお店の看板が確認でき、その建物が目的地であることを確認する。
建物の窓を見ていると中に人の気配が感じられない。
「もしかして…。」
そんな不安をいだきながら、とりあえずはお店の前には行ってみようと、さらに、その建物に近づいていった。
建物の前にたどり着いた時、今まで見ていた窓はお店の窓ではなかったことに気付く。お店の入り口は、建物の向こう側にあり、それに伴って、お店の窓は僕の進んできた方向からは見えなかったのだ。
そのお店の窓から中の様子を窺うと、女性の店員さんらしき方がいるのがわかった。どうやら、営業しているようだ。
お店の前で、何を注文しようか、しばらく立ち止まって考えたが、結局、何も決めず、お店の中へ入って行った。

このお店の名前が、「アンシャンテ」という。
先日、こちらでエントリーしていた、藤原新也さんがエッセイの中で、「日本一うまいカレー」と唸った、そのカレーのお店だ。
このお店でのことは、そちらのエントリーを参照してもらいたい。

さて、本当においしかったカレー食した後、お店を出て、また、小町屋駅へ戻る。
その道を歩くに、藤原さんがそのエッセイの中で書いておられたように、本当に普通の田舎の家々の中に突然カレーのお店がある、といった感じだ。駅前にある、ということでもないし、考えれば考えるほど、人の出会いや営みに偶然さの不思議を感じる。
そして、そのカレーの味に藤原さんが出会い、また、僕もそれによって、うまいカレーに出会い、この長野の風土にも出会っている。
もう、感激と感慨を心にかみしめていた。
この時点で、長野に来てよかったし、半分以上、今回の長野行は、大成功と言えた。

その4。につづく(たぶん。)。

TB。--------

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長野行。その2(たぶん。)。

2009年09月26日 20時48分44秒 | 旅行記


以前、長野・伊那市に住んでいた職場の女の子から、JR飯田線のことは話に聞いていた。
無人駅が多く、本数が少ない。しかも、乗務員がワンマンの時もある、と。
飯田線の車両に乗って、いきなり、そのワンマンの電車だった。
ワンマンの時は、前に乗ったほうがいい、と聞いていたので、一番前に乗ってみると、バスのように運賃箱があり、運転席には車内などの確認のためのミラーがついている。
時間が来たので、発車した。というか、「発車します。」と言ってから、実際に車両が動き出すまでには、何分かかかった。
ドアを閉めるために安全を確認し、ドアを閉め、さらに、安全を確認し、やっと加速しだす。しかも、一回目の加速では車両はビクともしない。「ガシャ!」という音だけ。2回目の加速でやっと動き出し、スピードが出てくる。
しばらくして、次の駅に着くが、着いたら、ドアは開かない。
乗る人は自分でドアを開け、降りる人は、運転手が確認する中、運賃箱に運賃を入れてから、ドアの開くボタンを押して開け降りる。(無人駅の場合。)
なので、乗客がその動作に時間がかかると、その分、ダイヤは遅れることになる。
東京メトロ・丸の内線のワンマン運転とは訳が違う。そして、大阪人気質のある僕にとっても、その光景は異質に感じた。
さすが、田舎である。それで、文句の言う人はいない。のんびりしている。
さらに、ホタルで有名な辰野駅や、僕が降りる駅のひとつ手前の駒ヶ根駅で、5~10分の停車があり、逆方向の電車をやり過ごしていく。
乗客は、休みでもクラブ活動のある高校生、たまにサラリーマン、そして、おじちゃん、おばちゃん達だ。
駒ヶ根駅で、そのほとんどの乗客が降り、残った乗客は僕を入れて数名だったが、時間が正午前だったのにも関わらず、僕以外、全員寝ていた。

何ともいえない、この時間の速度の遅さ。のんびりさ。
せかせかしていないところが、この地域に住む人たちの人間味を豊かにしていそうな気がした。
僕はこの時間の流れ方は好きである。

そして、しばらくして、電車はやっと動き出し駒ヶ根駅を出て、僕が降りる予定だった、最初の目的地の最寄駅に到着する。

その3。につづく(たぶん。)。

TB。--------

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