なぜ農業をしているかと問われれば、兼業農家云々は抜きにして私の場合には「面白いから!」としか答えようがありません。今まで色々な仕事を体験してきましたが、農業ほど面白いものはないように思われます。何がそんなに面白いかって?
それは判りません。ひょっとすると自分が置かれた立場を正当化しようと、そのように思い込んで、いや思い込もうとしているのかも知れません。しかし、よく説明は出来ませんが、人間のというか、生き物としての何か根源的なところに根ざしているのかも知れません。
一般的には収穫や無から形あるものを作り出す喜びなどで説明されるのでしょうが、そういったものを通り越したような何かを感じることがあるからです。苦労も多いし、報われることが少ないのも事実です。これはあくまでも個人的感覚ですので、どうぞご勝手にの世界です。
では社会的にみて、兼業農家が存在する意義とは何かあるのでしょうか。私からすれば、面白いからやっているだけですが、世間様からみれば色々とご批判があろうかとも思います。そこで、後付ではありますけれども、少々屁理屈を捏ねてみたいと思います。
兼業農家は一体何を作っているかというと、やはり主食である稲作が主体でしょう。稲作はかなりの部分機械化が進んでおります。また、栽培管理の標準化(?)がなされており、極端に言ってしまえば配布される営農カレンダー通りにやれば素人にも出来てしまうのではないでしょうか。農業機械も作業委託すれば所有の必要もありません。それから、当地では裏作に小麦やビール麦などを作付けしております。これも稲作と似たような手間で栽培可能です。米は自家消費部分を除いたものが流通に廻ります。小麦の場合には、ほぼ全量が流通に廻っていると思います。減反に該当する場合には、転作作物として当地では、大豆が作付けされております。このように、兼業農家の作付けは穀類を中心に行われております。
次に、少々手が廻る兼業農家では、蔬菜類が栽培されることもあるでしょう。そのほとんどは自家消費されているものと思われます。自家消費で剰余分があれば、直売所などに流通しているものもあると思います。専業農家の場合には、単一作物を多量に作付けし、収穫後は農協経由あるいは独自ルートに出荷されていると思います。ところが兼業農家や零細農家の特色として、多品種・少量作付けが挙げられると思います。先述のように、自家消費が主目的ですから、このような栽培方法が取られているものと考えられます。
このような兼業農家の収益構造はどうなっているのでしょうか。現在の米価からすれば、農業用の機械類(トラクター、田植え機、コンバインなど)を自己所有しかつ減価償却を考慮せず、自己ないしは家族の労務費も参入しないなど現金等で支払われる純粋な出費(種、肥料、農薬、燃料などなど)のみを参入した場合で、作付け面積にもよりますが、トントンか赤字といった状況ではないかと思います。機械類も当然のこととして、修理や買い替えが必要になります。この負担に耐えられず、離農するケースも多いと思います。作業委託といった方法もありますが、この場合には当然のこととして赤字となってしまうでしょう。人件費などを入れたら、もちろんのこと大赤字となってしまいます。
それでもなぜ兼業農家を続けているのでしょうか。経済合理性の信奉者からすれば、狂気の沙汰としか言いようがなく、どうにも理解不能な事柄に映ってしまうのでしょう。ですから識者の多くは、何か裏があるのではないか、隠された旨味があるのではないかと疑われることになるのでしょう。
正直言って経済的な旨味は全くありません。強いて挙げれば、新鮮で安全・安心なものが手に入るといった旨味はあります。これは何ものにも代えがたい贅沢さではないかとは思いますが・・・。
以下、「なぜ兼業農家を続けるのか(5)」に続く。
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