高品質の農産物は少々高くても海外で飛ぶように売れているとマスコミ等で喧伝されております。しかしながら、この事実をもって将来の日本農業の望ましい方向性を指し示していると言えるのでしょうか?
第一に、海外でそんなに多くのマーケットが存在するのでしょうか。富裕層向けといってもたかが知れているでしょう。極一部の生産者を潤すことはあっても、日本全国の生産者を潤すとは到底考えられないことです。
第二に、誰が儲けるかといったこともあります。これまで多くの生産地から輸出が試みられてきました。寡聞にして、生産者が大喜びをしたといった結果を知りません。その多くは日本国内の流通関連者、海外の関連者の利益とはなっても、生産者に還元されることが無かったのではないでしょうか。
第三に、海外への輸出量が増加すれば、国内への流通量が減少します。その分を輸入農産物に依存することになります。よって、国内で流通する農産物は、国内の富裕層に廻る一部の高級農産物を除き、低品質、低価格のものが主流となるでしょう。
このように、農産物を輸出したからといってバラ色の世界となるとも限りません。むしろ多くの消費者にとってマイナスになる可能性があることもご承知いただきたいと思います。
今、政府が掲げている政策が100%実現できたとしても、農業が再生する可能性は限りなく低いと考えます。むしろ、政策を実現する過程において、多くの兼業農家、零細農家を排除し、より歪な農業となってしまうことにもなりかねません。私は従来から主張しておりますように、「経営規模拡大」、「攻めの農業」、「集約化農業」、「兼業農家」、「零細農家」、「趣味の農業」などなど多様性の高い農業のあり方を認め、互いの特色で相互補完することができてこそ足腰の強い農業となるのではないかと考えます。
余談ですが、米の需要が年々減少してきております。米余りの一因でもあります。政府は米の需要喚起に消極的ともいえる政策を一貫して取ってきたように考えます。戦後の食糧難で米国から食糧援助を受けた一時期を乗り越えた後も、学校給食ではパン食のみが供されてきました。米の生産調整が行われるようになっても、やはりパン食が主流であることに変わりがありませんでした。私の小中学校時代では、ただの一度も米飯が供されたことはありません。このような食生活を経て成長した世代においては、パン食を愛する国民が生み出されたとしても不思議ではないでしょう。
ついでに一言、米が高い高いといわれておりますが、私からみればパンの方がよほど高価に思われます。
<参考> 「TPPについて(13)-攻めの農業って?」「TPPについて(17)-農業の経営規模拡大の行き着く果ては?」「TPPについて(18)-六次産業化とはいうものの・・・」