これまで延々となぜ兼業農家が絶滅しなかったのかということを述べてきました。しかし、今後はどうかということは何とも推測不能です。経済的なことで絶滅することはまず考えられないでしょう。ただ、後継者が無いことが最大の問題であると思います。私の場合には、男子3人の子供がおりますが、それぞれに職業を持ち家を離れております。私の両親がそうであったように、常々「仕事と結婚相手は自分自身で決めろ!」と言ってきました。私自身は農業が嫌で家を離れました。しかしながら、紆余曲折あっても農業に戻ってきました。我ながら不思議に思うことがあります。農家に生まれた者のDNAに刷り込まれたものなのでしょうか。であれば今後とも農業が衰退することはないと考えられます。
しかし、どうもそうではないようです。後天的な事由によるものが大いに影響しているものと思います。経済的理由もその一つでしょう。経済的に有利であれば参入者も増加しますし、不利であれば減少します。しかし、兼業農家の場合には、先述の通り経済合理性を超えたところに、その理由を見出します。少なくとも私共の世代が現役でいられる後15年位は。
私が生まれた昭和30年前半までは、未だ前々世代いわゆる明治・大正生まれが現役世代で、世帯の実権を掌握しておりました。「百姓の子は百姓。学問はいらない、余計なことは考えず身体を動かせ。」といった考えの下に育てられました。また、村落共同体の一員として生活していく術も教えられております。ですから、人格形成上多くの部分にこれらの考え方の多大な影響を受けております。
このような中でも、社会的、経済的要因で大きく農村も変化してきました。新しい息吹きの影響を受けてか、百姓の子が百姓を嫌がり家を飛び出すことになってしまった訳です。私の親の世代では、我々よりもっと強くこのような教育の下で育っております。そして、農業を受け継いだものの社会、経済構造の大変革に直面したのです。専業農業で生計を立てることが困難になる中で、我が子に百姓になれとは言い難いものがあったのではないでしょうか。ですから、祖父世代と親世代の板挟みになるような環境で育ったともいえます。農業を離れて別の世界を見てみたいと思えましたし、一方では何とか農地を守らなければならないといった思いもありました。
しかし、次世代に対しては、農業で喰っていけなどとは口が裂けても言えません。むしろ百姓以外の道で喰っていく道を探せといったことになります。農家に生まれながらも、農業と無縁に育っております。実際に農作業を体験したといったことは皆無ではないかと思います。このあたりに我々世代と次世代の間は、本質的に異なる点があるのではないかと思っております。これは何も私だけではなく、±10年程度の世代では多かれ少なかれ似たような状況にあるのではないかと思っております。
このことが良い影響を与えるのか、それともその逆なのか、今のところは全く判断がつきません。我々世代には、「先祖代々の農地を守っていこう。」、「田畑を荒らすのは恥だ。」といった考え方が、心のどこかに存在しているものです。次世代には、このような考え方をすることはほとんどないものと思われます。であるからこそ、新しい視点で農業を見つめることが出来るのではないかと思ったりもします。現時点では、そこに期待をするしかないのではないかとかなり悲観的に考えております。
以下、「なぜ兼業農家を続けるのか(8)」に続く。
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