緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

第57回音楽会

2010年11月21日 15時15分07秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

平成22年11月21日(日)最高気温20℃

ここのところ穏やかな秋晴れが続き、今日も昨日同様の小春日和です。

昨日20日(土)は、第57回音楽会がありました。

会場『響ホール』は、(北九州市八幡東区平野1丁目1番1号)にあります。

  http://www.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/kicpac/hibiki/

響ホールは残響時間約1.8秒(満席時)という究極の音響設計による
クラシック音楽専用ホールで、音楽を愛する人たちの殿堂です。
建築材にはレンガ、ガラスを取り入れ、客席がステージを取り囲む
シューボックス形式の720席の美しい響きを持つ全国に誇れるホールです。
奏でられる音色はホール全体に響き渡り、空間に満ち溢れる
感動のアコースティック・サウンドが観客を包み込みます。
皆様の心に潤いとゆとりをもたらし十分に音楽を堪能していただけるホールです。

  A:午前9時30分開場・10時00分開演~11時20分頃

 B:午後1時00分開場・1時30分開演~2時50分頃  

             

体調を万全に整えて ご飯もしっかり食べて、時間に遅れないように

早めに到着して準備万端OK!ご協力ありがとうございました。

                  

18日(金)は、全クラス、園のホールで最後の仕上げの練習をしました。

年長組さんは、一段と集中して、先週と比べても見違えるほど成長し

それぞれのクラスの課題を念頭に置いて、

ギリギリ最後までよく練習しました。

素晴らしい心のこもった演奏になりました。

自信を持ってのびのびと、顔つきも引き締まり、集中!

みんなそれぞれの持ち場でお友だちの楽器の音色や歌声をしっかり

聞いて、協調性も目覚ましく育ち、指揮者を見る目も真剣そのもの!

               

年中組も、4~5歳児と思えない程のアンサンブルです。

勤労体験学習に来園していた萩原小学校6年生もびっくりするくらい

メキメキと曲の感じが出てきていました。

強弱もつけて、調子よく演奏でき、グーンと表現力が伸びてきました。

                     

年少組も・たんぽぽさんも、丁寧な指導で 楽しく頑張りました。

初舞台にしては、落ち着いてしっかり指揮者を見て演奏できていました。

緊張した表情も、とても可愛かったですね。

皆様お疲れさまでした!

午前の部と午後の部、どちらも大変よく出来ました。

 

ご来賓、地域の皆様、未入園の皆様 最後までゆっくりご観覧

誠にありがとうございました。

そして、子どもたちのかがやく姿に惜しみない拍手をたくさんいただき

熱唱・熱演を精一杯励ましていただきました!

お礼申し上げます。

                      

 写真やビデオやDVDなど撮影は、

一階席では三脚など禁止となっていました。

二階席も、他の方の迷惑にならないようご配慮ご協力

ありがとうございました。

 

原則として、演奏中の出入りや私語や騒音も禁止でした。

携帯電話は、電源を切っていただくかマナーモードかにして

お話しは、ホワイエへ出てから…色々と厳しいきまりをおねがいしましたが、

最後までよいマナーでのご協力、本当にありがとうございます。

 

座席での喫煙や飲食は禁止でしたが、これも、よく守られていました。

一階席は全て指定席で、ご来賓は、二階にご案内させていただきました。

                    

当園は、情操教育に力を入れて、心を育てる

少しずつ感性を高める指導です。

様々な場面で 一人ひとりの個性を見極めながら、

またお友だちと切磋琢磨で工夫し考えながら

経験や体験をとおして、着実に一歩一歩、

心ゆたかに育ってきています。 あくまでも結果よりもプロセスが大事です。

      

そもそも幼児教育で、音楽を教えるのは何のためなのでしょうか。

楽しそうに、にこにこしながら歌っている子に対して、大きな声で歌うことを強制し、

音程が違うことを注意している姿を見ていると、

この人は、子どもに何がしたいのだろうかと考えてしまいます。

秋からクリスマスにかけて、多くの園では、学芸会、合唱祭、おゆうぎ会などが

行われます。

一生懸命練習することは悪くないのですが、歌うこと、

楽器を演奏することの楽しさを失うようであれば、考えた方がいい気がします。


大人になってから、日々を豊かに、いろいろな楽しみを持ち生きていくための

さまざまなことを子どもたちは経験していきます。

それが、もしかしたら、いやなことがあった時に、

自暴自棄にならないために必要なのかもしれません。


この度の演奏や歌声を3月にはCDにして、

年長さんは、卒園記念にさしあげる予定です。

年中さん以下は、三学期の終業式の日です。どうぞ、お楽しみに!

そして、宝物にして、演奏することの楽しさを辛い時には思い出して

心豊かな人生を送って欲しいと願っています。

 

                 

 

  おしらせ 

 園児募集

平成23年度の新入園願書は、 10月1日から配布しています。

 11月1日午前8時から願書の受付をいたしております。

転勤枠がとってありますが、ほぼ定員に達してきています。

まだ入園手続きがすんでいない方はお急ぎください。 

満3才組(2歳4年保育)は、募集人数が少ないので、お早めに!

定員に達し次第に受付を締め切ります。

転勤枠がいっぱいになりましたら、

キャンセル待ちになります。

在園児の弟妹は、

お早めに手続きを済ませてください。

 

 子育て支援の満2歳児「たんぽぽくらぶ」は、

随時受付をしています。

 詳細は、親子で見学して、遠慮なくお尋ねください。

 見学は、随時,日常のありのままを見学出来ます。

  園外保育に出かけて留守していることもありますので、

     朝、電話してからお越しください!

         TEL093-631-3939

                      

 

 


長崎街道『黒崎よさこい祭り・黒崎花まちフェスタ』参加

2010年05月16日 17時16分10秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

平成22年5月16日(日)

素晴らしい晴天に恵まれ、久し振りに布団を干して 

朝から初夏の気分です。

幼稚園の「たんぽぽ」のクラスのお昼寝用の布団も丁寧に干して、

カバー類も洗濯し、常に清潔に保たれています。

 

今日は、『第2回黒崎よさこい祭り黒崎花まちフェスタ』のオープニングに

実行委員会からの出演要請を受けて

九州・山口各地からのよさこいチームの方々の歓迎と

あたたかいおもてなしの心を込めて

カムズ商店街アーケードで、行われるイベントに

年長組『FRESH GRASS KID'S』の希望者101名が参加しました。

 

黒崎よさこい祭りの会場は、5会場に分かれていますが、

メインの芝生広場会場や藤田通り会場のオープニングに始まり、

カムズ通り会場も、井筒屋前会場も、三角公園会場も人が押し寄せてきて

大変にぎわい、日頃のやや閑散とした 寂れつつあるシャッター通りのイメージが

パッと払拭され、まわりの雰囲気が、明るくあたたかく 華やかになりました。

参加チームは50チームで、踊り子総数約800名。

 

園児の演奏に期待を寄せて集まった遠来のお客様や、

近隣の商店街の方々、そして早朝からご協力いただいた

保護者の皆様の応援のお陰で、

前回の演奏の時よりも また一段と落ち着いて集中し

どの子もバチさばきも上手くなり 腕をあげてきました。

慣れない路上の演奏でしたが、5月にしてはとても素晴らしい出来映えでした。

どのこの胸にも、参加賞の『よさこいバッチ』が輝いていました。

 

演奏が終わってからも、全員声を揃えて、「ありがとうございました!」の言葉も

大変元気良く、自信を持って参加した喜びに輝いていました。

 

保護者の皆様、ご協力有り難うございました。

是非とも子どもたちのがんばりを、たくさん褒めてください。

 

実行委員会の世話役の方々から、準備をしているときも終わってからも

「演奏開始までの待機中の園児全員の態度がとてもお行儀が良かった」と

口々に褒めていただきました。

 

ご褒美に、『スケッチブック』を持って帰りました。

今日の思い出を、早速描いている子どもたちもいることでしょう。

本当によく指揮者を見て集中していましたね。

 

フラワースタンプラリーに参加した人は、

ゴールの芝生広場で先着500名は

『花ポット』のプレゼントがありました。

 

縁日で、遊んで帰った子どもたちもいたようですね。

 

まちのあちらこちらに花がたくさんアレンジしてあり、

動物や鳥の形に飾ってあり

親子でふれあう笑顔がたくさん見られる一日でした。

皆様、お疲れさまでした。

お家でも、ガーデニングや鉢植えのお花の世話なども

3歳頃からどんどん体験させましょう。

 


北九州アカデミー少年少女合唱団第36回定期演奏会

2010年05月09日 21時25分07秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

平成22年5月9日(日)

昨日は、素晴らしい晴天!午前中は、『ふれあい参観日』でした。

皆様、大変お疲れ様でした。

熱心に参観後には、保護者の皆様の自己紹介の後、

お蔭様で、クラス役員の選出も大変スムーズに出来ました。

素晴らしいボランティア精神を発揮していただき

感謝にたえません。

                       

きっと平成22年度も、仲良く和気藹々と、進むことでしょう。

どうぞ、子ども達のために 

「三人寄れば文殊の知恵」で、よろしくお願いします。 

                    

さて、昨日8日、夕方6時半から 

北九州市立八幡市民会館

『北九州アカデミー少年少女合唱団』の

第36回定期演奏会がありました。

『北九州アカデミー少年少女合唱団』は、

最初は、元北九州市立小学校校長の坂田正克先生ご指導で、

昭和47年に、北九州市立黒崎小学校(現在は統廃合で「黒崎中央小」)が、

全国学生音楽コンクール小学校合唱の部で全国一位を受賞したのがきっかけ。

卒業生のその子たちが、「卒業してからも歌い続けたい!」といい出し

その熱望を受けて、昭和49年12月(今から36年前)に

北九州アカデミー少年少女合唱団』が誕生しました。

 

目標は、「心を育てる」。

合唱活動を通して、

素直で、明るく、礼儀正しく最後までやり通す

健全な青少年の育成を目指しています。

現在、団員は幼稚園児から高校3年生までの123人。

演奏レパートリーは、幅広く、

合唱の原点である宗教曲にもチャレンジしている。

現在、国内でも数少ない ”混声合唱に取り組んでいる少年少女合唱団”でもある。

(男子団員が20人もいる。)

毎年5月に定期演奏会、12月にクリスマスコンサートを開催。

また、10月のチャリティーコンサートでは、

世界の恵まれない子ども達へ募金をして、寄付をしている。

国内では、『全日本ジュニアコーラスフェスティバル』に

3回出場し、いずれも優秀団体賞を受賞。

 結成10周年には、東京・都市文化センターで記念公演を行いました。

20周年には、オーストラリア演奏旅行を実施。

これを機に、以後、多くの海外演奏旅行を実施し、世界の青少年と友好を深め

合唱音楽の向上と国際人としての資質の向上を図っています。

 オーストラリア演奏旅行では、シドニーオペラハウスで単独演奏会をはじめ

メルボルンや、ゴールドコーストでも

教会や小学校、私立名門中・高等学校でコンサートを実施。

 平成13年夏、第一回ヨーロッパ演奏旅行を実施。

ウィーン少年合唱団50名と3日間にわたり合同合宿。

総指揮者のヴィルデ先生より指導を受け、その後交歓演奏会を実施。

ポーランドクラクフ市ヤギウェオ大学にてコンサート、

ワルシャワフィルハーモニーホールにて

国立アラポラッカ児童合唱団とジョイントコンサートを行う。

 平成19年春、第二回ヨーロッパ演奏旅行を実施。

チェコのプラハ城聖ビート教会で、単独コンサートを行う。

また、ピルゼン少年少女合唱団とのジョイントコンサート。

ピルゼン市内の中・高等学校でのコンサートでは、大喝采を浴びる。

ドイツのドレスデンオペラハウスフラウエン教会にて演奏。

ドレスデンフィルハーモニー少年少女合唱団とジョイントコンサートを実施し、

ドレスデン音楽祭への招待を受ける。

 平成17年夏に、大連市で開催された『日中青少年国際音楽祭』に参加。

帰国後、我が国初めての福岡中国総領事館でのコンサートを開催。

 平成18年夏には、中国天津市で3年に一度開催される

天津国際少年児童文化芸術祭』に日本代表として中国政府より招待され、

参加40ヶ国の中から優秀5団体に選ばれ、閉幕式のオオトリをつとめる。

 平成21年夏、再び同芸術祭に招待され、

http://www.bellpo.org/kaiga7/kaiga7-beigin.pdf

アカデミーの活動が中国全土に放映された。

また、演奏に加え、アフリカ ジンバブエからの参加団体との交流も高く評価され

脚光を浴びる。

来年、平成23年春には、東ヨーロッパへの演奏旅行を企画中。

(以上は定期演奏会プログラムの「プロフィール」より)  

             プログラム 

わらべ歌            日本のわらべ歌      

ずいずいずっころばし    東京地方わらべ歌   

ひえつき節           宮崎県民謡          

会津磐梯山          福島県民謡

刈り干し切り歌        宮崎県民謡

 

車にゆられて          メキシコ民謡

禁じられた遊び         スペイン民謡。

線路は続くよどこまでも     アメリカ民謡

 

サンタルチア           イタリア民謡

グリーンスリーブス       イングランド民謡

カリンカ               ロシア民謡

 

AVE MARIA            コダーイ作曲

MISSA BREVISからKYRIE  Nancy Telfer作曲

ALLELUIA              Reijo Kekkonen作曲

HEGYI EJSZAKAK 1     コダーイ作曲

                                         

= 休    憩 =

こどものための合唱組曲

『日記のうた』              蓬莱泰三 作詞/南康雄 作曲

 

手紙 ~拝啓十五の君へ~    アンジェラ アキ 作詞・作曲/鷹羽弘晃 編曲

YELL                  水野良樹 作詞・作曲/鷹羽弘晃 編曲

あの空へ ~青のジャンプ~   石田衣良 作詞、大島ミチル 作曲

桜                  小渕健太郎、黒田俊介 作詞・作曲/今村康 編曲

秋桜                さだまさし  作詞・作曲/今村康 編曲

翼をください           山上路夫 作詞/村井邦彦 作曲

ビリーブ             杉本竜一 作詞/吉田孝古磨 編曲

 

最後に、卒団する高校3年生へ、

 小さい団員から花束と記念品の贈呈がありました。

石橋美里さん、井口良美さん、杉本鈴香さん、

野田紫央里さん、草野美香さん、野口安美さん

  ありがとう! 卒団おめでとう!

 アンコールの曲♪が、ジーンと胸に響きました。

 37期生 新入団員を募集しているそうです。

歌が好きな人なら誰でも入団できます。

   (幼稚園~高校生)

練習日は、毎週土曜日13時~15時

        小学6年生以上は17時まで

練習場所は 北九州市八幡西区熊西小学校 3F音楽ホール

        (ホテルクラウンパレス北九州の向かい側)

    見学したい人は、いつでも歓迎!だそうです。

    体験入団も随時受け付けています。

※お問い合わせは、TEL093-692-4622(事務局本田様)へどうぞ!

※緑ヶ丘第二幼稚園の卒園生が多数入団して活躍しています。 

                             


NHK全国学校音楽コンクール課題曲発表!

2010年03月22日 13時09分00秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

2010年3月22日 10:00-11:00:NHK教育テレビで Nコンの

課題曲を歌おう(第77回) 課題曲の発表・紹介がありました。

  さてNHK全国学校音楽コンクールとは?

日本放送協会

日本教育音楽協会全日本音楽教育研究会 http://www.jsme.net/が主催する

小・中学校、高校の合唱サークルによる合唱コンクール

(かつては合奏部門もあった)です。

全日本合唱コンクール http://www.jcanet.or.jp/jca/concour/index.htm

と並ぶ二大コンクールの1つであり、通称はNコン

1932年に「児童唱歌コンクール」として開始、2010年度で第77回を数える。

1962年から現在の名称。毎年夏から秋にかけて開催され、

例年全国で2,300校を超える学校の参加がある。

コンクールは大きく小学校、中学校、高等学校の各部門に分かれる。

参加希望校は主催者が各部門ごとに新たに作曲を委嘱した課題曲

(本日NHK教育テレビで発表)1曲と、出場校が独自に選択した自由曲

(規定時間内であれば何曲でもよい)を歌うことになる。

都府県地区コンクール
毎年7月から9月にかけ各都府県ごとに開催される都府県地区大会が行われ、その都府県地区での代表校を各部門ごとに選出する。面積が大きい都府県地区・出場校が多い部門では予選大会を行うところもある。
 
ブロックコンクール
都府県地区大会を勝ち抜いた代表校がこのブロックコンクールに参加する。ブロックは北海道・東北・関東甲信越・東海北陸・近畿・中国・四国・九州の8ブロックに分けられ、各ブロックから1校(関東甲信越は2校)代表校決定。
 また、前年度の全国コンクール金賞受賞校(2006年度からは銀賞の受賞校も)が出場したブロックからはもう1校出場できることになっている。
 
全国コンクール
全国コンクールは全国各地のブロックコンクールを勝ち抜いた計11校が東京・渋谷のNHKホールで演奏を行い、金賞1校、銀賞1校、銅賞2校を決定する。
体育の日が10月第2月曜日に曜日固定されるようになり、全ての部門で生放送されるようになった2000年度以後はその前日の日曜日に小学校、体育の日に中学校(午前中)と高校(夕方)コンクール実施。

特徴:

小・中・高校各部門ともに合唱部・音楽部としての参加のほか、

学級・選択音楽等の授業クラスで参加する学校も多い。

人数は小・中学校は35名まで、高等学校は40名まで

ただし課題曲と自由曲の間に15名まで入れ替えが可能なため、

合計で50名ないし55名が参加できる。

小楽器の演奏者(歌唱しない人に限る)は歌唱人数に含まれない。

課題曲は、全団体が公平に取り組めるよう毎年新曲が委嘱により

書き下ろされている。詞のテーマは前年の全国コンクール終了間際に

作詞作曲者とともに発表される。

 完成曲は、毎年3月下旬に『課題曲を歌おう』という番組の中で

模範演奏が放送されています(本日放映でした)。

自由曲は小学校は4分以内、中学校は4分30秒以内、高等学校は5分以内

と決められている。

各地のコンクールの自由曲の演奏は、

NHKラジオの『みんなのコーラス』で放送されることもある。

  • 過去のコンクールの演奏は、↓インターネット配信でも公開されている。

課題曲のテーマ 第68回から採用。

  • 2001年(第68回):個が輝く時代
  • 2002年(第69回):環境
  • 2003年(第70回):希望
  • 2004年(第71回):信じる
  • 2005年(第72回):はたらく
  • 2006年(第73回):出会う
  • 2007年(第74回):つながる
  • 2008年(第75回):そして☆未来へ
  • 2009年(第76回):ジャンプ!
  • 2010年(第77回):いのち

第77回(2010年度)大会 課題曲 

   共通テーマ「いのち」

  • 小学校の部:「いのちのいっちょうめ」(同声2部合唱)

     作詞:里乃塚玲央 作曲:横山裕美子

  • 中学校の部:「I ♥ ×××(アイ・ラヴ)」(混声・女声3部合唱)

     作詞・作曲:大塚 編曲:上田真樹

  • 高等学校の部:「いのち」(混声・男声4部合唱、女声3部合唱)

     作詞:谷川俊太郎 作曲:鈴木輝昭

  ※NHK全国学校音楽コンクール 公式サイト

 

 昔、私も、小学生の頃、4年生から合唱部に属し、

放課後は、毎日講堂で歌っていました。

当時の小倉市立米町小学校は、最初は、木造の校舎で、講堂がありました。

  • 1991年(平成3年)4月1日 北九州市小倉中央小学校が 開校
  •       (米町小学校と小倉小学校の統合)

    西鉄の路面電車が走っていた通り(砂津)に面してありました。

    そのあと、今の、AIM(西日本総合展示場)の場所に国鉄のガードをくぐり

    北へ移転しました。

    まるでホテルのような鉄筋コンクリートの校舎に建て替わりました。

    私の記憶では、すべての教科に亘って先端を走る指導が行われていて、

    特に文部大臣賞に輝いた最新の給食設備(リフト)と

    温室や珍しい教材教具が揃っていて工夫を散りばめた理科教育が

    とても有名でした。おかげで、私は、理科の実験が大好きでした。

    また、後藤 崇(ごとうたかし)先生という児童文化の分野で有名な

    口承童話の上手な先生もおられました。この先生は叔母の担任でした。

    遠足の時には、必ず最初に面白い民話を聞かせてくださっていました。

    楽しい思い出が数々ありますが、

    特に、楽しかったのは、まるで

    シューベルトの風貌の有川先生の熱心なご指導で、

    合唱にもとても力が入っていて、半ドンの土曜日はお弁当を持って行き、

    歌の練習に集中していました。

    今は、母校は、児童数の減少で統廃合で無くなり、堺町小学校と一緒になり、

    北九州市立小倉中央小学校になりました。

     残念ですが、当時の面影を偲ぶものはもうどこにも何にも残っていません。

    中学生の頃は、部活は、運動系だけしかありませんでしたから、

    小学生の時のようにはNコン目指して練習はありませんでしたが、

    その代わりに、英語の石田洋子先生が、英語の歌を沢山教えてくださいました。

     高校生の時にも、またNコン出演目指し、福岡県立東筑高校は、情熱的に

     米倉マサ先生が指揮され、自主的に楽しく練習し、よく頑張っていました。

    今も、Nコン高校生の部では、後輩がよくがんばり原田テルミ先生のご指導で

    時々入賞しているようです。

    原田テルミ先生とは、先生が音大生時代に、私は、小学生で 

    夏休み中に父の勧めで毎年電車に乗って通っていた

    到津動物園(現いとうづの森公園)で実施されていた

    『林間学校』で出会い、『もりの音楽堂』で 歌をたくさん習いました。

    久し振りに45~50年以上前のことを思い出しています。

    三つ子の魂百まで と言いますが、幼い日、多感な時に

    青春時代までに経験したことは、後々まで 人生に大きい影響を与えます。

     特に、歌は心豊かになる早道です。

    心身の健康のためにも、歌を歌うことはとても健康増進に役立ちます。

    プンプン怒っていては美しい歌声は出ません。

    全身全霊を込めて集中して初めて、感動的な透明感のある合唱になります。

    自分勝手に歌うのではなく、ひとの歌声をよく聞きながら合わせて響かせる

    すると、2部合唱や3部合唱も美しくハモるのです。

    さて、2010年のテーマは『いのち』です。

    コンクールですから、入賞を目指すのでしょうが、結果の如何に関わらず

    日本全国で、『いのち』を歌い、充実した日々を過ごす子ども達を心から

    応援したいものです。

    いつも 心に太陽を、唇に歌を

     

    心に太陽を持て

    心に太陽を持て。
    あらしが ふこうと、
    ふぶきが こようと、
    天には黒くも、
    地には争いが絶えなかろうと、
    いつも、心に太陽を持て。

    くちびるに歌を持て、
    軽く、ほがらかに。
    自分のつとめ、
    自分のくらしに、
    よしや苦労が絶えなかろうと、
    いつも、くちびるに歌を持て。

    苦しんでいる人、
    なやんでいる人には、
    こう、はげましてやろう。
    「勇気を失うな。
    くちびるに歌を持て。
    心に太陽を持て。

    ---フライシュレンによる--- 

    2010福智町音楽祭で卒園生活躍!

    2010年02月28日 20時51分05秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成22年2月28日(日)

    昨夜の雨が嘘みたいに晴れ上がり、うららかなお天気に恵まれました。

    久し振りに洗濯やお掃除の後、庭や畑の草取りをしました。

    雨上がりで、根元が抜けやすく、とても楽でした。

    草取りをしながら、昨夜の『2010福智町音楽祭』の余韻を反芻していました。

    この音楽祭の実現には、実は、卒園生永田郁代さんが大活躍していました。

     2月27日(土)19時~の『2010福智町音楽祭』には、

    1月に永田さんから丁寧な招待状をいただいていました。

     コンサートの会場は、『福智町地域交流センター』(多目的ホール)でした。

     主催者は、福智町 福智町教育委員会

     出演者は、東京交響楽団コンサートマスターでviolinの大谷康子さんと、

      NHK交響楽団主席チェロ奏者の木越 洋(きごし よう)さん、

      それにpianoは永田郁代さんでした。

    福智町は、昔の田川郡赤池町と金田町と方城町が合併して誕生。

       人口約2万4600人余り。田川パイパス沿いです。

       世界一長寿の114歳7ヵ月皆川ヨ子(よね)さんがいた町として有名です!

       また、福智町は童謡作曲家・河村光陽(かわむらこうよう)の生誕地

       としても知られています。

       彼が残した数々の名曲は、半世紀以上たった今でも色あせていない。

       光陽が残した大きな足跡とその精神は、ふるさと福智の地で、脈々と

       受け継がれています。

       童謡が口から口へ伝わっていくように、童謡や音楽の町づくりの想いが、

       心から心へ伝わっていくことを願って取り組まれています。

       河村光陽(直則)は、明治30年8月23日、福智町上野(当時上野村)で

       産声を上げました。雄大な福智山を背景に清らかな流れをたたえる福智川、

       周囲に田園風景が広がるのどかな環境で育ちます。

       こんもりとした丘の上に福智下宮神社、その隣に光陽の生家がありました。

       当時は、秋にお神楽が奉納され、たいへんにぎやかだったと言います。

      光陽の生家は広い屋敷だったので、お神楽のメンバーが宿泊していました。

      光陽はその演奏に聞き惚れ、尺八を習いました。

      それが彼のメロディーやリズム感、音楽家の原点です。

      地主だった父を早く亡くした光陽は、母ヒデノの希望で小倉師範学校に進学。

      そこで作曲家藤井清水に出会い、野口雨情らのコンサートに参加するなど

      強い影響を受けます。

       卒業後の大正七年、音楽教師として隣町の金田小学校に赴任。

     しかし光陽の胸には断ちがたい目標がありました。

     「シベリア鉄道でモスクワへ行きロシア国民楽派の音楽を学ぼう。

      できればヨーロッパにも足を延ばしたい…」。

      大正9年、光陽は音楽家としての将来を託し、単身で朝鮮に渡ります。

     公立師範学校に勤めた後、国境近くの学校に転勤。

     そこは豆満江を隔て、対岸にロシアの灯りが見える場所でした。

      しかしそのころ、幸か不幸か、日本人が陸路シベリア経由で

     モスクワへ行ける情勢ではなくなりました。

     光陽はモスクワ行きを断念しソウルの学校に移ります。

      光陽がもし、シベリア鉄道に乗っていたら… 

     国民学派の音楽に刺激され、管弦楽曲への道を

     まっしぐらに進んだかも知れません。

     立ちはだかった時代の壁が運命の分岐点となり、

     後に光陽を童謡の世界へと導いて行きます。

       ソウルでは八波武治に作曲法とヴァイオリン奏法を学んでいました。

     そこへ母ヒデノが「1人息子がこのまま帰らないのでは」と迎えに来ます。

     光陽は、東京に出ることを母に約束し日本に戻りました。

       大正13年、山田耕筰らによって日本初のシンフォニーオーケストラ

     「新交響楽団」が結成され、光陽はヴァイオリン奏者に応じようと上京します。

     しかし募集は終わっていました。

     光陽は奏者をあきらめ、学習研究のため東京音楽学校選科(現東京芸大)に

     入学します。

     そこで音楽理論を学び、卒業後も2年間、中田章(和声)、榊原直(ピアノ)、

     藤井清水(作曲)、大沼 哲(管弦楽法)らの自宅で 個人指導を受け、

     本格的基礎を学習。

     その間長女順子、次女陽子が生まれますが、就職はせず

     学習専念の4年間を過ごしました。

      「別テーブルで読書をしながらの食事でした」と妻 都根美さんは語っています。

      3女博子が誕生した昭和4年、光陽は東京の竹早小学校に教師として復職。

     すでに昭和3年から自宅でヴァイオリンと歌を教えはじめていた光陽は、

     NHK出演やコロンビアレコードの吹き込みなどで多忙になります。

     光陽の童謡作曲が始まったのはそのころでした。

      光陽は子どもの実生活をうたった武内俊子やサトウハチローらと出会い、

     美しい詩を日本旋律にのせていきます。

      光陽が童謡を作曲するうえで最も大切にしていたのが、

     子どもたちの息づかいや遊びのリズムでした。彼は著書にこう記しています。

      「子どもの世界を知らぬ人には本当の童謡は作り得ない」と…。

      河村光陽の作品は、幼稚園でもこの時期日本全国で歌われている

      『うれしいひなまつり』をはじめ、『グッドバイ』、『かもめの水兵さん』、

      『赤い帽子白い帽子』、『仲よし小道』、『りんごのひとりごと』など千余曲を作曲。

     日本童謡史に一時代を築く。昭和21年12月24日、胃潰瘍発作で急逝、享年49。

     郁代さんもこのところ数年がかりで「美術館コンサート」や「添田町オークホール」

     にも出掛けて…田川関係の芸術文化振興にも一役かっているらしく、

     今回もクラッシックには全然縁がなかった人も沢山足を運んでいました!

     金曜日に中学校でスクールコンサートを実施したばかり。

     高齢者と中学生(吹奏楽部員?)が同時に沢山来ているコンサートは珍しい!

     大谷康子さんは、熱烈歓迎に感激のあまり大粒の涙!

     大ホールでのフルオーケストラの時とは違うあたたかいアットホームな雰囲気…

      3人の解説も分かり易く面白く、初めてクラッシック生演奏を聴いた人にも

    親しみやすい、充実した演奏会でした!以下プログラムから↓

    モーツァルト『ピアノトリオケーゲルシュタット』に始まり、メンデルスゾーン、
    クライスラー『愛の喜び』『レスタティーボとスケルツォ』2曲、
    サンサーンス『白鳥』、バッハの『無伴奏チェロ組曲第1番プレリード』…
    深い哲学的なチェロの音色!

    1810年3月1日生まれといわれている生誕200年のショパンを中心の話題に
    『ノクターン』『子犬のワルツ』『チェロソナタ』3曲とも素敵でした!
    カサド『親愛なる言葉』、アラール『乾杯の歌』、サラサーテ『ツィゴイネルワイゼン』生ならではの琴線に触れる音…Wonderful!

    次の『千の風になって』は、小さく口ずさんでいた!

    最後のピアソラのトリオ版『リベルタンゴ』は情熱的にリズムを刻んでノリノリ!

    そしてアンコールは『チャルダッシュ』で、大谷さんは客席の後方から登場し、間近に通路を巡り、まるでviolinで流しの大サービス!
    アンコール2曲目は、ブラームス『ハンガリー舞曲第5番』…これも力が入り、会場全体が盛り上がり手拍子と拍手の渦に!

    木越 洋(きごし よう)さんのチェロを聴いて、朗々としてまろやかであたたかい音色に…自殺を思いとどまった人がいると言われていますがナルホド納得でした!

    生きる希望を与える音楽!

    大谷康子さんも、最近は『題名のない音楽会』出演だけでなく、コンサートの合間を縫って病院でのボランティア演奏やCD制作にも勤しんでいるらしく、愛器1708年製ピエトロ・グリネリの音色は心に染み通る癒やしの音色!名器は302歳!

    そういえば、今朝『題名のない音楽会』で、ショパンコンクールの覇者ブーニンのpianoでショパンの『マズルカ』を聴きました!

    ジャズピアニスト山下洋輔さんのお家芸『肘打ち』を仲良しの彼がブーニンに伝授?
    彼らしいエレガントな『肘打ち』を実演!

    そして、ピアノ協奏曲第1番…ブーニンはこの曲に恋しているそうです!
    愛情をタップリ込めた繊細で心地良い演奏を楽しみました!

    音楽って、人をchangeし、即、元気にする力があります

    そして私は、「幼児教育に恋してる人」と言われたりします。 


    劇団四季の55steps『ソングandダンス』

    2009年12月27日 22時03分38秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成21年12月27日(日)

    午後から久し振りに劇団四季の

    『55steps ソングandダンス』を I さんと鑑賞しました。

    それぞれの演目をご覧になっていた方々には、こたえられないほど

    楽しい歌とダンスのメドレーで、感動の連続だったことでしょう。

    我々の席の周りは、若者で超満員でした。パワフルな歌と踊りにうっとりでした。

    劇団四季(げきだんしき)は、年間3,000ステージ超、

    俳優・スタッフ700名以上を有する

    日本最大規模の劇団です。

    劇団創立は 1953年(昭和28年)7月14日。

    海外ミュージカル作品の上演だけでなく、

    最近は、子供向けのオリジナルファミリーミュージカルも人気があるようです。

    劇団四季は、日本においてミュージカルを定着させるのに

    大きな役割を果たしてきています。

     
    劇団四季は、「四季メソッド」という母音をはっきり発音する
     
    独特の朗唱法を使用しています(母音法)。
     
    台詞がはっきり観客の耳に届くよう生み出された発声方法ですが、
     
    はっきり伝えようとするあまり 台詞に感情が無いと、
     
    この独特の発声方法を嫌う演劇関係者や観客もいるようです。
     

    劇団四季は、当初は東京大学慶應義塾大学の仏文科の学生

    浅利慶太日下武史ら)を中心として結成された

    学生演劇集団でした。

    そして、最初からミュージカル劇団だったわけではなく、

    設立からかなり長い期間がストレートプレイ専門の劇団でした。

     

    というのは、当時 新劇界を席巻していたイデオロギー優先で

    演劇的な面白さを欠いた潮流に懸念を抱いた創立者たちが、

    演劇そのものの面白さを追求する劇団として立ち上げたからです。

     

    主にジャン・ジロドゥジャン・アヌイフランス文学作家の書いた戯曲を

    演じていました。

    劇団の精神的指導者は

    創立メンバーにフランス演劇を教えた加藤道夫氏だったのですが、

    加藤道夫氏は劇団四季の創立直前に死亡。

    最初は学生による同人的な劇団だったが、次第にプロ化し

    1967年株式会社になり「四季株式会社」となりました。

    「四季」と名付けたのは、俳優・演出家の芥川比呂志さん

    ちなみに、創立メンバーである浅利さんたちは、

    彼らが愛読していたT・S・エリオットの長編詩から着想を得て、

    「荒地」という劇団名を考えていたということです。

     

    芸術性を優先して日本人による創作劇を連続上演して経営危機に陥ったり、

    生活を支えるためにアルバイトを優先する劇団員と

    それを批判した劇団幹部の対立によって

    内部分裂の危機に見舞われたりしたが、

    安定した集客力をもつ高いレベルの芝居を上演することで、

    芝居だけで劇団員が生活できる経営を目指すようになっていきました。

     

    1971年越路吹雪主演のミュージカル『アプローズ』をヒットさせてから、

    さまざまなミュージカルを上演しながら技術を蓄積し、

    1979年に『コーラスライン』を上演したことが転機になりました。

     

    日本の劇場は月単位契約のために大ヒットを重ねても

    どうしても収益が限られてしまうため、

    劇団四季は四季専用の劇場を得ることを模索しはじめたのです。 

    1983年に西新宿の空き地にテント張りの仮設劇場を設けて、

    CATS』のロングラン公演に踏み切りました。

    1984年11月10日までの長丁場の公演となりました。山田卓振り付け)

    1985年大阪市西梅田の旧国鉄コンテナヤードに仮設テントを設けて

    『CATS』を再演し、13ヶ月のロングラン公演を達成しました。

      『コーラスライン』を上演するまで劇団四季の上演回数は多くても年19回で、

    年平均 10回程度。

    『コーラスライン』を上演した1979年は前年の50倍の581回となり、

    『CATS』を初演した1983年は707回。以後一貫して上演回数が増え続け、

    2002年には2530回上演しています。

     近年は、子供向けファミリーミュージカルにも力を入れているようです。

       http://kokoronogekijou.com/

      福岡市の私立幼稚園連盟の教職員対象に、

    この珠玉の宝石箱とも称されている『55steps ソングandダンス』の

    練習風景やバックステージを見学したりして

    身体表現や歌やダンスの研修会が開かれるそうです。

     

    数年前、北九州市八幡西区の私立幼稚園連盟の教職員対象に

    ミュージカル『ライオンキング』鑑賞の時には、

    ただ鑑賞するだけではなく

    劇団四季の横のホテルで、鑑賞後の青木道夫先生の講演会が開催され、

    とても刺激的で「感性を高める」勉強になったという事を受けて、

    あちらこちらで、ミュージカルを学びの素材にする

    教職員の研修が広がってきたようです。

    子どもたちの感性を高めるには、まず、教職員が感性を磨き

    「美しいものは、美しい」と感じ

    「価値あるものは、価値ある」と見分ける力をつけ

    常に、アンテナを張り、

    より佳いものを子ども達にふれさせる環境作りに努めるよう願います。

    そのためには、余暇を利用して

    常日頃から芸術の香り高い本物の価値あるもの

    (絵画・音楽・演劇・舞踏・文学・書・茶道・華道・香道・陶芸・庭園…)に

    沢山ふれ、実際に実物をみて、のびのび心を遊ばせて

    自己の人間性を高めてゆくように願っています。 

    さて、『55steps ソングandダンス』は、1月3日までです。 

    平成22年 新春1月14日(木)からは、

    福岡で『コーラスライン』↓ の上演開始です。

     http://www.shiki.gr.jp/closeup/chorusline/movie/

    また、長期休暇には、必ず大自然の中で、ゆっくりと

    風に吹かれ 鳥の声や、木々のこずえの語らいに耳を傾ける

    これは、何より感性を高めるには大事なことです。

    その前にまだ

    さて、『センス オブ ワンダー』をまだ読んでいない保育関係者の方は、

    是非ともお早めにお読みくださることを お勧めいたします。

      サブタイトルは  ~子どもたちへの一番大切な贈り物~

    レイチェル・カーソン 著/上遠恵子 訳/新潮社/1,400円(税別)

    レイチェル・カーソンは、1962年に著書『沈黙の春』で

    農薬や化学物質による環境汚染や破壊の実体に、

    いち早く警笛を鳴らしたアメリカの海洋生物学者です。


     『センス・オブ・ワンダー』は、彼女が幼い子ども(甥)と一緒に

    自然を探索した体験をもとに書かれたエッセイで、

    子どもたちと自然の中に出かけ、神秘さや不思議さに目をみはる感性を育み、

    分かち合うことの大切さを伝えています。

    本の中でレイチェルは、問いかけています

     美しいもの、不思議なもの、神秘的なものを見つけ、

    喜んだり、驚いたりする「感じるこころ」を育てようと。

    子どもの頃は誰もが豊かに持っている「感じるこころ」。

    おとな達は誰もが「子どもたちに豊かに育ってほしい」と言います。

    でも、大人たちは、子どもたちと感動を分かち合うようにしているでしょうか。

    人工物に夢中になって自然から遠ざかったり、

    自然に触れても知識を身につけることに気をとられ

    「感じる」ことをしなくなっているのではないでしょうか。

    大切なのは、まず「感じるこころ」を育み、輝かせること。

     そのために、美しさ、神秘さにあふれる自然に入ってみよう・・・と。

    文中から引用~  寝る時間がおそくなるからとか、

    服がぬれて着替えをしなければならないからとか、

    じゅうたんを泥んこにするからといった理由で、

    ふつうの親たちが子どもから取り上げてしまう楽しみを、

    わたしたち家族はみなロジャーにゆるしていました。

    ともに分かち合っていました。

    子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、

    驚きと感激にみちあふれています。

    残念なことに、

    わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、

    美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、

    あるときはまったく失ってしまいます。

    もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に

    話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない

    <センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を

    授けてほしいとたのむでしょう。

    この感性は、やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、

    わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、

    つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、

    かわらぬ解毒剤になるのです。

    もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと

    感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。

     たとえば、こどもといっしょに空を見あげてみましょう。

    そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。

    「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

    子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす

    種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ

    肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

    美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、

    思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情が

    ひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたい

    と思うようになります。

    そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。

    消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、

    むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうが

    どんなに大切であるかわかりません。

    人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことは、

    どのような意義があるのでしょうか。

    自然界を探検することは、

    貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法にひとつにすぎないのでしょうか。

    それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。

    わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。

    さて、もうすぐお正月。 初日の出を見に行ったことがありますか?

    子どもと一緒に、皿倉山に登って、初日の出を見ませんか?

     


    ドリームジュニア合奏団第9回演奏会

    2009年12月13日 22時26分36秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成21年12月13日(日)のち

    朝方から深い霧に包まれていましたが、次第に雨が降り始め

    午後からは、降ったりやんだり。だが、さほど寒くは無い。

      早めに家を出て、父方のご先祖様の眠る遠賀霊園に寄り道しました。

    ここには、学園の慰霊塔もあります。

     病気などで在職中に殉職なさった先輩の職員や学園の

    教育推進に献身的に多大な貢献をくださった物故者となられた

    理事さん方の功績を偲び、感謝しつつお参りいたしました。

    碑文を読みながら 先輩諸氏の前で また新たな気力を授かりました。 

                  

     

     午後2時から、岡垣サンリーアイ の ハミングホールで

    (福岡県 遠賀郡 岡垣町野間1丁目2番1号 tel 093(282)1515)

    ドリームジュニア合奏団結成10周年記念、

    第9回演奏会がありました。

    主催:ドリームジュニア合奏団・貞国音楽院

              http://www.geocities.jp/sadakunimusic/

        〒807-0024 遠賀郡水巻町高尾11-1    アクセス

             TEL.(093)202-7439

    共催:(財)岡垣サンリーアイ管理公社

    後援:水巻町教育委員会・折尾愛真学園日本クラシック音楽協会

        貞国音楽院後援会                   http://www.kurakon.net/

     

               プログラム

    第1部 弦楽合奏<クラシック>

    1 童謡メドレー                  鈴木メソッド

    2 ガボット                     ゴセック

    3 2人のてき弾兵                 シューマン

    4 カノン                       パッヘルベル

    5 アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク第一楽章 モーツアルト 

    6  四季より『春』全曲 

            バイオリン独奏:貞国みどり    ヴィバルディー

           http://classic-midi.com/composer_list/mbox/o_Vivaldi.htm

    第二部 弦楽合奏<スクリーン>

    1 さんぽ                       映画『となりのトトロ』より

    2 君を乗せて                    映画『天空の城ラピュタ』

    3 チキチキバンバン                映画『チキチキバンバン』

    4 星に願いを                    映画『ピノキオ』

    5 ドレミの歌                     映画『サウンドオブ ミュージック』

                  (休 憩)

    第三部 オーケストラ

    1 カルメン前奏曲                 ビゼー

    2 ペルシャの市場にて              ケテルビー

    3 クシコスポスト                  ネッケ

    4 ラデツキー行進曲               ヨハン・シュトラウス

        ※楽譜協力:トヨタミュージックライブラリー

    ♪アンコール: 一青窈の『ハナミズキ』 …

             100年続きますように の願いを込めて

             しっとりと切ない調べを見事なオーケストレーションで

             聴かせてくれました。感動を有難うございます。

                          

    年中組の毛利天音(もうりあまね)ちゃんは、自信を持って

    とてもしっかりと瞳を輝かせて集中してバイオリンを演奏していました。

                       

    卒園生で高校2年生の相浦京子さんは

      ピアノ演奏を頑張っていました。

    情操を高めて、心豊かに過ごすひとときでした。

    2時間があっと言う間に経ちました。

                               

    なお、

    平成22年3月14日(日)14時~同じ会場で、

    貞国音楽院若い演奏家たちによる

    『ジョイントコンサート』があります。

     年中組の毛利天音(もうりあまね)ちゃんは

      この日も出演が決まっているそうです。

                  

                           

    その前に、

    12月19日(土)は、『おゆうぎ会』です。

    全園児が揃って元気に参加出来るようにお祈りしています。

     


    文化勲章の受賞者小澤征爾

    2008年11月03日 21時00分11秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成20年11月3日(月)

    10月28日、文化勲章の受賞者の発表がありました。

    そして、今年度の文化勲章授与式が本日3日、皇居・宮殿「松の間」であり、

    小説家の田辺聖子さん(80)やスポーツ(水泳)の古橋広之進さん(80)ら

    6人に、天皇陛下が橘(たちばな)の花をかたどった勲章を手渡しました。

     授与式に出席したのはほかに指揮者の小澤征爾さん(73)、

    今年のノーベル物理学賞に決まった素粒子物理学の益川敏英さん(68)、

    同、小林誠さん(64)そして、日本文学のドナルド・キーンさん(86)。

     数学の伊藤清さん(93)と ノーベル化学賞に決まったUSA在住の

    海洋生物学者の下村脩さん(80)の二人は欠席。


     受章者を代表し小説家の田辺さんが

    「この栄誉に対し、一層精進を重ねる決意です。」 とごあいさつ。

    天皇陛下は

    「大きな成果を収められ、誠に喜ばしく思います。」

    と述べられた。

     

    記念撮影後の記者会見では、益川さんが

    「私は誇りを持って(自分を)野蛮人だと思っている。

    文化人と言われるとこそばゆい」。

    これに横から小澤さんが

    「今日から野蛮人やめれば?」

    と話しかけ… 会場を沸かせた。  

     

    さて、世界でも指折りの指揮者小澤征爾さんは1935年中国・奉天(現瀋陽)生まれ。

    幼い頃からピアノを学び、成城学園中学校を経て

    桐朋学園斎藤秀雄(親戚に当たる)に指揮を学んだ。

    小澤 征爾 桐朋学園短大を卒業後、単身渡欧し、

    『ボクの音楽武者修行』という本にも

    書かれているように、1959年秋フランスの

    ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、

    一躍注目を集めた。

    当時ボストン交響楽団の音楽監督でこのコンクール

    の審査員を務めていたシャルル・ミュンシュにタングルウッドに招かれた。

    そこでバークシャー・ミュージック・センターの最高賞

    優秀な学生指揮者に贈られるクーセヴィツキー賞を受賞した。

    その後、旧西ベルリンで 帝王といわれたヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。

    レナード・バーンスタインの目にもとまり、1961年~1962年のシーズンには、

    ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の副指揮者を務めた。

    1962年N響の指揮者となるが、派手な指揮や言動が保守的な楽員の反感を買い、

    演奏会をボイコットされるという事件に至った。

    それをきっかけに海外での活動が中心になった。

    1962年1月、サンフランシスコ交響楽団を指揮して北米でデビュー。

    1964年から5年間に亘ってシカゴ交響楽団によるラヴィニア音楽祭の音楽監督を、

    また4年間トロント交響楽団の音楽監督を務めた。

    1970年にタングルウッド音楽祭の芸術監督に就任。

    同年12月にはサンフランシスコ交響楽団の指揮者・音楽監督

    (~1976年以降音楽アドヴァイザー)にも就任した。

    1973年アメリカ屈指のオーケストラ ボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任し

    アメリカはもとより世界的にオーケストラの評価を高め、

    1976年の欧州公演や1978年の日本公演で多大な成果を得た。

    また、中国政府の公式招待により訪中し、北京中央楽団とともに活動し、

    1979年に再び訪中し、演奏活動に加えて

    中国人音楽家の指導・育成や討論会などで、米中の文化交流にも貢献した。

    1979年にはボストン交響楽団を率い、現地の主要な音楽祭のみに出演する

    という前例のない欧州公演を行った。

    また1981年には同団創立100周年を記念して、ボストン交響楽団にとっては

    17年ぶりのアメリカ大陸横断演奏旅行(米国14都市)を行うとともに、

    日本、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスを回る世界的演奏旅行も行った。

    その後も1984年、88年、91年、93年に欧州公演と、

    86年、89年、99年に日本公演を行い、いずれも絶賛を博した。

    アメリカのみならずヨーロッパでの評価と人気も絶大なものがあり、

    ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などの

    名門オーケストラを定期的に指揮している。

    また、パリ・オペラ座ミラノ・スカラ座ウィーン国立歌劇場 等

    ヨーロッパ屈指のオペラ・ハウスでも活躍を続けている。

    日本においては、創立時より密接な関係にある

    新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者陣の首席を務め、

    1991年には名誉芸術監督に就任(1999年9月より桂冠名誉指揮者)。

    1995年には、やっと 32年ぶりにN響と和解して共演を行った。

    1998年には新日本フィルハーモニー交響楽団を率いて

    ロシア公演(モスクワ、サンクト・ペテルブルク)を行い成功を収めた。

    1998年12月、フランスのシラク大統領より同国の最高勲章である

    レジオン・ドヌール勲章を授章し、音楽家としての功績を称えられている。

    「クラシックの伝統を持たない日本人ということを最大限プラスに生かし、

    楽譜に忠実で正統な楽曲解釈を行っている」とも言われている。

    ボストン交響楽団の音楽監督を長年にわたって務め、

    指揮者斎藤秀雄の門下生を集って編成した

    サイトウ・キネン・オーケストラの指揮者としても活躍中。

     また、松本で毎年夏に開かれるサイトウ・キネン・フェスティバル

    国際音楽祭として位置付けることにも貢献。

     今後は名門ウィーン国立歌劇場の芸術監督としても更なる飛躍が期待されている。

     http://www.dearseiji.com/post.html

    彼の場合を見ても、幼児期からの「環境」が やはりとても大事だとわかります!


    北九州アカデミー少年少女合唱団 第34回定期演奏会

    2008年05月04日 22時27分53秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成20年5月4日(日)のち夜9時過ぎから

    今日は私の??回目の誕生日、家族で ささやかな昼食会でした。

     そして、北九州市立八幡市民会館(約1500人収容)で

    心を育てる『北九州アカデミー少年少女合唱団』の

    第34回定期演奏会は、午後6:30から 開催されました

    北九州アカデミー少年少女合唱団には、卒園生が多数入団して、活躍しています。

                     

     北九州市八幡東区の八幡市民会館は、満席で 立ち見のかたもいたほどで 

    熱気で少し暑かったのでしたが、子どものお客様が比較的に多い割には

    聴衆のマナーがよかった。

                      

    今年三月に、緑ヶ丘・第二幼稚園を卒園したばかりの2人の新一年生

    双子のS姉妹も団員の制服姿で張り切って出演し3回出番がありました。

    その他に RYさん、TSくんも新入団と判明  感激! 

     指導者代表の坂田正克先生も、

    坂田先生が、熊西小ご在職中の当時の教え子の村瀬貴士先生も、

    リハーサルから、長時間立ち通しで、ギリギリまで声を磨き上げ…本番!

        プログラム         

       ★第一部★

    ♪おお、牧場はみどり

    ♪すれちがいの歌

    ♪小鳥だったら

    ♪ユッパイディ

    ♪この橋の上で

    ♪モルダウの流れ

    ♪子守唄

    ♪タンツイタンツイ

    ♪ピチカートポルカ

    ♪ドライボーンズ

      ジュニアだけで…

    ♪クラリネットをこわしちゃった

    ♪山のごちそう

    ♪おおブレネリ

    ♪空を見上げて

    ♪アルプス一万尺

    ♪ゆかいな牧場

    ♪友だち賛歌

      シニアだけで…

    ♪さくらさくら

    ♪ほたるこい

    ♪刈り干し切り歌

    ♪ソーラン節

    ♪春に

    ♪Let's Search for Tomorrow

    チェコ・ドイツ演奏旅行報告…DVD

    ピルゼンとドレスデンで演奏会や交流会!

    ドレスデンフィルハーモニージュニアー合唱団や

    ピルゼンの高校でのコンサートの模様は和やかで感動的で、

    スタンディングオーべーションで拍手喝采を受けたそうです。

    世界遺産の素晴らしい風景建物の数々の中、

    特にプラハ城の聖ビート教会では、世界各地からの大勢の観光客の前で

    15分間のミニコンサートを実施、満員の観光客の皆様方に感動の歌声を

    プレゼントできたそうです。それで、教会の方から、

    「とても、よい演奏で感動した。お礼に一般非公開の王室の戴冠式に使う部屋も

    どうぞ!」

    と特別に見学させていただき、そこでも演奏したのです。ブラボー!

    ドレスデンのオペラハウス・ゼンバー歌劇場や、有名なフラウエン教会でも

    特別演奏をしたそうです。

    そして、チェコ ピルゼンでのホームステイは、ほとんどが一人での

    ホームステイで、全く言葉が通じない中、外国の家庭で過ごした体験は

    大きな自信をつけて「生きる力」となったようです。

    どの瞬間を切り取っても感動の連続だったそうです。

     その間の高校生の頑張りが 目に見えるようです。

    山口先生のお嬢さん(卒団生 大学生)が、同行し、司会や通訳を! 

    ポピュラーステージ OB・OG団員とともに

    ♪おおシャンゼリゼ

    ♪ビギン・ザ・ビギン

    ♪あのすばらしい愛をもう一度

    ♪翼をください

     「北九州アカデミー混声合唱団」のデビューでした。

     OB・OGの皆さん、定期的に練習に集まるといいですね!

    第2部合唱ミュージカル『ビリーの木』★

    (作詞 藤 公之助 二木 光子  作曲 小六 禮次郎)

    ♪1コンクリートの庭

    ♪2ビリーの秘密

    ♪3季節がこっそり(a)

    ♪4お馬鹿さんだねビリー(a)

    ♪5季節がこっそり(b)

    ♪6花を見つけて

    ♪7季節がこっそり(c)

    ♪8お馬鹿さんだねビリー(b)

    ♪9季節がこっそり(d)

    ♪10カモン!

    清々しい歌声に客席は思わず引き込まれスタンディングオーべーション!

    また、例年のように アンコール曲の 最後には、

    高校三年生13人への花束の贈呈と「卒団式」もありました。

    高校3年生の団長さん、お疲れさまでした!

    高校生は、皆をリードして、まとめて、心を合わせて

    持ち場の責任を果たし素晴らしい活躍でした。

     感謝です!

     「うちは、1人っ子だけれど、アカデミーのお姉さんやお兄さん達が、

    家族でもなかなかそこまでは出来ない位に親身になり個人的な

    辛い事も忘れさせ、励まし、いたわり素直な心を育ててくれた。」

    「お陰で、他の学校の人ともアカデミーで出会って 知り合い、

    友達が沢山出来て、表情が明るくなり、自信を持ってきた。

    入団させて本当に良かった!」 と 保護者某さんは言っていた。

                   

    新体制で、新たなスタートの時期を迎えましたね。

     悲しい時こそ、心に太陽を唇に歌を

     中学生は、勉強や部活が忙しくなる時期だが、一人っ子の中1生保護者は、

    「土日も嫌々ながら進学学習塾へ行くよりも、

    130人の仲間のいるアカデミーに入って、土日は

    合唱団で 年齢の差のある子ども達が心のふれあい、

    切磋琢磨で磨き合い、ひとへの おもいやりとか、集中力や

    やさしい心や 強い意志を育み、心が育ってきた事の方が、

    ガリ勉の点取り虫くんになるより、よっぽど意味があり、有り難いこと。」

    そして、「好きな歌の練習をとおして、結局 歌が上手くなるというだけではなく、

    礼儀正しくなり、人前でも 堂々と物怖じしない態度や、心を表現する事の

    難しさや大事さ、人間力をトータルに鍛えてもらえて、逞しくやさしくなった。

    本当にここに入団させていて良かった!」

    また「先輩たちの良い影響を受けて、受験勉強も頑張って

    励まし合って、困難を乗りきる目的意識や集中力も付いて

    大きく心が育ってきた気がします。本当にありがたい…(感涙)…」

    涙ぐんで、アカデミーへ感謝していました。

    目覚ましい『心の成長』が あった ということを

    笑顔で報告していただき、沢山感動の言葉を聞かせていただき

    私まで心から嬉しく思った次第です。

     また、ソロで歌うには勇気がいります。先生や先輩が選ぶのではなく

    自ら進んで手を挙げた子どもたちがソロで歌ったのだそうです。

    多少は間違えても、全然問題ではないのです。その勇気を讃えましょう! 

    その子の個性や持ち味を良く理解して家族が応援しているからこそ、

    素直に全てに自信を持って意欲的に取り組む姿勢につながっていると、確信でした。

     高校三年生の女子Nさん、ご両親が揃って来場。

     「本当に良く頑張って練習に打ち込みましたよ~!」

    と、お母様は声がうわずり、興奮状態。

    「これがアカデミーで歌う最後の定期演奏会、しっかり見て、聞いて帰ります!

    もう今日で卒団なんですよ!最後のミュージカルでは大事な出番が最初から

    あるらしくて、私の方が ドキドキしています!」

    と、満面の笑顔を輝かせて、感慨無量といった面持ち。

      「北九州アカデミー少年少女合唱団」の

    カリスマ指揮者の坂田先生をはじめ、後継指導者の村瀬貴士先生、

    それにピアノ伴奏だけではなく 的確に子どもたちの相談にも応じ

    指揮者としても素晴らしい感性と才能に溢れた山口正恵先生、

    また、息子さんも在団中のピアノ伴奏の本田智津子先生、

    同じく小田宏美先生の指導、 また育成会の支援サポーターの皆様の

    子ども達へのこまやかな心遣いの影響は大きい。

    そうそう、小田先生は、いよいよ間もなく(女児?)ご出産予定だそうです。

    どうぞ、お大事に!きっと、とびきりよい胎教になったことでしょう。

     

    ここには、きっと「子ども達の魂の居場所」がある。

      今回もあの「天使の歌声」とトスカニーニに称えられた

    『ウィーン少年合唱団』にも負けない、アカデミーのある種の崇高さや

    気品をたたえた曲の仕上がりぶりに、感嘆の声やため息が会場内に

    広がりました。

    見事に気持ちよくハモって歌うその素直なナチュラルな透明感のある声には、

    だれもが感動!

    「歌」というよりも「祈り」だと評した方がいらっしゃったとか。

    「人間の声帯と身体は、最高の楽器」と、誰かが言っていた。

     『タンツイタンツイ』は、

    チェコ少年少女合唱団が歌ったのを 初めて聞いたときに受けた感銘を

    そのまま想起しました。

    ポピュラー曲、懐かしい『あの素晴らしい愛をもう一度』は爽やかで、

    我が園のPTAコーラスグループ『あすなろグリーンコール』でこの歌を

    歌った当時のことが甦ります。

     なんといっても、シニア中心のミュージカル『ビリーの木』は

    実にすっきりと切れ味良くまとまり、

    演出や照明も工夫されていて見応えがあった。

     衣裳も華美に飾り立てず感じよく、全て教育的な配慮や

    程良いバランス感覚が発揮されていて、

    頭声発声のやわらかい声で、どの曲も非常に品格があり 

    後味が良かった。

     

    7月6日13:00~は、戸畑市民会館で、

    北九州市主催の「少年少女合唱祭」に出演だそうです。

     

     卒園児達の、活躍・成長ぶりに惜しみない拍手を送り、

    今後も末永く見守り 応援させていただきたいと思っています。

    益々、国際的に 幅広く 他民族の皆様とも親しくふれあい、ご活躍を祈念! 

    来年は、2009年5月9日(土)に第35回定期演奏会を

    開催予定とのこと。皆様、どうぞお楽しみに。

    入団希望者は、幼稚園年長組~高校生対象で、

    北九州市立熊西小学校の3階 音楽ホールで

    毎週土曜日、午後1時から見学や体験ができるそうです。

    連絡先:育成会本田 TEL093-692-4622

    どうぞ、誘い合って…見学 体験を!


    全盲のピアニスト辻井伸行くん

    2008年04月14日 23時07分32秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成20年4月14日(月)

    今日から、平常の保育時間になりました。

    なるべく、スムーズに慣らし保育の効果が出て

    新入園児さんが、新しい環境、教諭やおともだちに慣れるように

    と、祈っています。

                  

    全盲のピアニスト辻井伸行くん19歳は、昨年秋、CDデビュー。

    サントリーホール2000人収容の音楽家あこがれのホールに立つ

    最年少のプロピアニスト!

    ピアノソナタ第14番『月光』ベートーベン作曲

    最初の音に全神経を集中した。

    アンコール曲は、親子の思い出『川のささやき』を演奏!

    長蛇の列の演奏後の握手!

    成功!

    川の流れが、こんなに美しい音色に生まれ変わるとは!

    母親は、家事の合間に…

    なにげなく口ずさんでいた

    ♪『ジングルベル』だった。

    その曲を… 2歳3ヶ月で突然

    いきなりおもちゃのピアノで

    ♪『ジングルベル』を弾きだした子どもに

    母親は、開眼! 早速手ほどきした。

    4歳よりピアノをはじめ、6歳より川上昌裕川上ゆかり に師事。

    10歳でプロ・オーケストラと共演し、12歳でサントリーホールでソロ・デビュー。

    カーネギーホールモスクワ音楽院大ホールなど、海外の著名なホールでも

    演奏を披露している天才ピアニストに成長。

    2007年秋デビュー・アルバム♪『debut』をリリース。

    今は、上野学園音楽大学に学ぶ。

    両親は、全盲の息子に夢を託している。

    天才的な才能… 17歳でショパンコンクールに挑戦!

    もう随分前、BS朝日TVで

    「全盲のピアニスト ショパンコンクールに挑戦!」を観た。

    このコンクールは、ショパンの祖国ポーランドで、5年に一度開催されます。

    もう15回目の歴史ある国際ピアノコンクールです。

    審査員に中村紘子さんがいて、彼女は1965年大会の第4位入賞者。

    今回、生まれながらにして全盲の辻井伸行くんが、最年少17歳で挑戦しました。

    257名の参加で、2次予選(上位30名)にまで進みました。

    本選の12名には残れませんでしたけど、ポーランド批評家賞を受賞。

    彼は27歳という年齢制限まで、まだ2回のチャンスがあり、将来が楽しみ。

    天才は、才能以外に、本人の努力、家族の支え、先生や友人との出会いなど

    さまざまな人の協力があって、初めて存在する。

    彼のピアノは、参加した多くの人を感動させ、

    涙するシーンもたくさんありました。

    しかし、全ての人に敬意を払い、

    公平に審査する大会の素晴らしさはさすが。

    前回、やはり全盲の梯(かけはし)剛之さんが

    ワルシャワ市長賞を受賞しています。

             

    全盲のピアニスト辻井伸行くんは『川のささやき』を自分で作曲した。

    この曲には、父親と共に散歩に行った時の神田川の印象が表現されている。

    辻井伸行くんは音楽が好きなお母様と

    産婦人科医のお父様との長男として、この世に生を受け、

    多くの盲人に夢と希望を与え、

    生きる喜びを感じさせる演奏を目指している!

    生まれつきのハンディを 

    絶望的な障害とあきらめずに

    前向きに、辻井伸行くんの母親は 

    藁をもすがる気持ちで二人三脚を続けてきた。

    もう、彼も、独り立ちの時を迎えました。

    母親にとっては、寂しい気分に襲われる時でしょうが、

    息子の自立のためには、我慢して見守る時期ですね。

    I can do it!

    You can do it!

    さあ、

    新入園児のおかあさん、おとうさん、

    もう、ぼつぼつ、独りで着替えたり、食事したり、

    トイレも 手洗いも うがいも 出来るように…

    徐々に 

    全盲のピアニスト辻井伸行くんの両親の関わりに習い

    深い愛情で、しっかり手取り足取り

    年齢に応じた躾や教育を行い、時期が来たら

    親離れ、子離れを 順調にいたしましょう。

    そして、わが子へのよいお手本、モデルとなってください!

    あわてず、あせらず、無理しないで、…

    いつも、子どもの心の成長に着目し

    心に寄り添っていきましょう!

    少しずつ

    褒めながら

    自信を持たせるのがコツです!

     

                      

     


    千住真理子バイオリンコンサート

    2008年02月16日 21時05分01秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成20年2月16日(土)

    『早春賦』の歌のとおり、「春は名のみ」の日々が続き

    最低気温が0℃、最高気温5~6℃でしんしんと底冷えです。

    明日も、「晴れのち曇り時々雪」の予報が出ている。

    午前中は、「かがやき研究チーム」の資料整理や、

    方向性の確認など、集中して捗りました。

    さて、

    午後3時から 響ホールの

    千住真理子バイオリン・リサイタル に誘われました。

    千住三兄弟の末っ子、2歳半からバイオリンを始め、

    全日本学生音楽コンクール小学生の部全国1位。

    NHK交響楽団と共演し、12歳でデビュー。

    日本音楽コンクールに最年少15歳で優勝、レウカディア賞受賞。

    パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞。

    慶応義塾大学卒業後、指揮者故ジュゼッペ・シノーポリに認められ、

    1987年ロンドン、1988年ローマデビュー。

    国内外での活躍はもちろん、文化大使派遣演奏会として、

    ブラジル、チリ、ウルグアイ等で演奏会を行う。

    また、チャリティーコンサート等、社会活動にも関心を寄せている。

    1993年文化庁「芸術作品賞」、1994年度村松賞、

    1995年モービル音楽賞奨励賞各賞受賞。

    1999年2月、ニューヨーク・カーネギーホールのウェイル・リサイタルホールにて、

    ソロ・リサイタルを開き、大成功を収める。

    2000年デビュー25周年記念CDを発売。

    著書『聞いて、ヴァイオリンの詩』(時事通信社)を発売。

    NHK朝の連続テレビ小説『ほんまもん』の音楽を作曲家で兄千住明氏が担当。

    千住真理子が、演奏し、全国で注目を浴びた。

    2002年秋、ストラディヴァリウス『デュランティ』との運命的な出会いを果たし、

    話題となる。

    2003年8月に東芝EMIより移籍第一弾となるCD『カンタービレ』を出し、

    高い評価と売れ行きを記録。

    2005年は、デビュー30周年を迎え、記念アルバム『愛のコンチェルト』を発売。

    2007年1月には新アルバム『ドルチェ』をリリースし、

    11月にも名曲を集めたアルバムをリリース。

    2008年1月には、全国でプラハ交響楽団と共演、

    6月にはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とのツアーを予定。

      <本日のプログラム>


    G線上のアリアJ.S.バッハ

    カノンパッヘルベル

    ラルゴヘンデル

    アヴェ・マリア(バッハ~グノー

    わが母の教えたまいし歌ドヴォルザーク

    エストレリータ~小さき星に~ポンセ

    チャルダッシュモンティ

         休憩

    夜想曲第2番ショパン

    愛の喜びクライスラー

    愛の悲しみ(クライスラー)

    夜想曲第20番 遺作 (ショパン)

    タイスの瞑想曲マスネ

    風林火山~大河流々 大河ドラマ「風林火山」紀行テーマ曲(千住明

    チゴイネルワイゼンサラサーテ

      *アンコール*

    愛の挨拶(エルガー)

    月の光(ドビュッシー)

    ピアニストは、山洞智さんでした。

    4歳からピアノを14歳から作曲を学んだ。

    1993年東京藝術大学大学院修了。1990年大学より安宅賞受賞。

    1991年第60回日本音楽コンクール作曲部門首位、併せて安田賞受賞。

    その後、フランス政府給費学生として渡仏。1997年8月に帰国。

    1998年8月には、国際交流基金派遣で、

    南米ブラジル、アルゼンチンの各地まで演奏旅行に出かける。

    現在、東京芸大、国立音大、東京音大講師。

     

    ヴァイオリンストラディヴァリウスでした。

    300年前に北イタリアの小都市クレモナで制作されました。

    工芸品のような趣を持ち、貴重な名器とも呼ばれ、

    数少ない現存するストラディヴァリウスの一つ、『デュランティ』と名づけられ

    特別な存在です。

    音楽は、最近、『音楽療法』とも言われて、心の浄化や、和み、癒しにも

    役立てられていて、身体全体を

    目には見えない音の振動や反響が、包み込み

    リラックスし、心の安定や平安を得られるのです。

    彼女のPureな魂にふれました。

    いつも思うが、人柄のよさが、そのまま顕れてくる。、

    それで、

    園のランチルーム給食の時にも、

    クラッシックの名曲をBGMで 流しています。

    さて、次は、何組? 楽しみです。

     


    今年もウィーンフィルでさわやかにスタート!

    2008年01月01日 18時30分17秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    謹賀新年…  あけましておめでとうございます

     みなさま、新春を家族揃って元気に迎えて、厳粛に神仏にお参りしたり、

    お屠蘇やおせちやお雑煮に舌鼓を打ち、なごやかな笑顔でスタートを

    きっていることでしょう。

                  

    さて、例年の大晦日の深夜の私の楽しみは、おせちを作り終えて、除夜の鐘

    を聞き、いよいよ カウントダウンの「シルベスタコンサート」。

    続き、お正月の夜の衛星生中継!

    ウィーンフィルニューイヤーコンサート!!!

    昨年末は、我が家の居間にも、20年近く見ていた画面のちらつくTVを

    やっと、ボーナスで薄型の地デジ「アクオス」に買い替えました。

    くっきり画面で、音響もサラウンドで聴こえます。

    黒柳徹子さんが現地ウィーンからの案内役。

    画面は、馬車で…市内めぐりから始まります。

    …公園、王宮、ブルク劇場、市庁舎、ウィーン大学、…

    馬車を降りて 地下鉄で、ウィーン楽友協会へ!

     

    大ホールは、黄金のホールとも呼ばれ

    音響効果のために天井が浮いているらしい!?

    毎年、著名な指揮者が、登場します。

    (2002年は、小澤征爾さんが…記憶に残る指揮でした。)

    そして、華麗なバレーとのコラボレーションもあります!

     

     ウィーンフィルニューイヤーコンサート2008

    1月1日(火) 19:00~22:00
    NHK教育
    Gコード(17449888)

    「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート」の模様を生放送です。

    元日恒例のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による世界最大のクラシック音楽の祭典です。

    日本人にもおなじみのメロディーが満載の ワルツやポルカが楽しめます。

    指揮者のジョルジュ・プレートルは、世界中の歌劇場やコンサートホールで指揮をした経験を持つ。

    その中でも特にウィーン・フィルと結び付きが強く、地元での人気も高い指揮者。

    今回はウィーン・フィルの演奏に合わせて、アルベルティーナ美術館や

    カールス教会前広場などウィーンの名所でもバレエのパフォーマンスが披露されるらしい。

    新年のウィーン学友協会から衛星生中継!!!

    今年第一号のクラシック音楽の祭典…ワクワクです。

    ☆“黄金のホール”から世界へ

    ☆フランスの名匠プレートル(満83歳)の指揮でおなじみの名曲を…

     美しく青きドナウ(この時にも、バレーがあるらしい)・ラデッキー行進曲など

    ☆プログラムに表れる異国趣味

    ・ウィーンは文化の交差点

    ☆ウィーン流・音楽とお菓子の素敵な出会い

     横浜のウィーン菓子専門店のパテシエ野澤孝彦さんは、

    自慢の腕をふるって、7番の第一部の最後に…

    休憩中に…あたたかいデザート『シュトゥルーデン』をご紹介くださる。

    ホットワイン(カモミールやシナモンなどのスパイスをブレンドした飲み物)と楽しんで、

    ゆたかな時間。

    ☆黒柳徹子さんが語る夢の街ウィーン

    色々な国から集まってきた人々が、住みやすい街だと、永住したがる。

    ウィーンはヨーロッパ各国からの交通の便利の良い通り道にあり、多民族都市。

    マリア・テレジアのシェーンブルン宮殿には1441部屋もあり、家具調度も贅を尽くしている。

    「異国の風景や人物画」「細密画」「庭園の間」など…

    その昔、幼いモーツアルトも招かれ、マリーアントワネットに面した折に、

    転んだときに手を差し出してマリーが助けてくれた時に、

    「ありがとう。大きくなったら結婚してあげるよ。」

    と、その部屋で王女様に言ったらしい。

    さて、今回の プログラムは、…?

     

    BS2 2008年 1月2日 (水)  19:30 ~ 22:30 BS2
    ハイビジョン 2008年 1月6日 (日)  15:00 ~ 18:00 BShi

    ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
    ニューイヤー・コンサート 2008  
    1. ナポレオン行進曲 作品156 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    2. ワルツ「オーストリアの村つばめ」 作品164 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
    3. ラクセンブルク・ポルカ 作品60 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
    4. パリのワルツ ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
    5. ベルサイユ・ギャロップ 作品170   ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
    6. 天国と地獄のカドリーユ 作品236 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    7. ギャロップ「小さな広告」 作品4 ( ヨーゼフ・ヘルメスベルガー作曲 )

    8.

    喜歌劇「インディゴと四十人の盗賊」 序曲 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    9. ワルツ「人生を楽しめ」 作品340 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    10. ポルカ「かわいい曲」 作品271 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    11. トリッチ・トラッチ・ポルカ ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    12. ワルツ「宮廷舞踏会」 作品61 ( ヨーゼフ・ランナー作曲 )
    13. ポルカ・マズルカ「とんぼ」 作品204 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
    14. ロシア行進曲 作品426 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    15. ポルカ「パリジェンヌ」 作品238 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    16. 中国風ギャロップ 作品20 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
    17. 皇帝円舞曲 作品437 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    18. ポルカ「インドの舞姫」 作品351 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    [ アンコール ]
    19. スポーツ・ポルカ 作品170 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
    20. ワルツ「美しく青きドナウ」 作品314 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
    21. ラデツキー行進曲 作品228 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )

    管弦楽 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
    指 揮 ジョルジュ・プレートル
    スタジオ出演
    黒柳 徹子 (女優・作家)
    堀内 修 (音楽評論家)
    野澤 孝彦 (パティシエ)
    高橋 美鈴  アナウンサー

    [ 2008年1月1日, ウィーン楽友協会 ]

     

                      

     

    夢のような時間、お馴染みの曲が、つぎつぎと楽しめます。

    どうぞ、ご家族揃って、心ゆたかに 特等席のお茶の間からお楽しみください。

                           


    感動! 松本和将さんと奥田佳道先生の訪問ピアノコンサート

    2007年11月05日 21時00分05秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    11月5日(月) 

    松本和将さんをご存知ですか?注目の新進気鋭のピアニストです

    「一流のクラシックの演奏家」というイメージとは全然違う極めて普通な気取らない雰囲気の若者です。

    実は、ご本人に会う前に、「ヴォカリース」というCD(1999、Victor)を聴きました。解説書にピアニスト直筆メッセージ。そして沢山の写真。曲目は、リスト「カンパネラ」、ラフマニノフ「ソナタ」、音の絵、前奏曲 他。これは、松本さんが、クラシック・ピアノのファン層拡大に努めた意欲的なCD。リストのソナタをメインに据えた若向けのヴィルトゥオーゾ作品集。「正にサムライ魂全開の演奏!」と評されている。冒頭に置かれたラフマニノフの前奏曲は、自然な弾き出しだが、次第に音が増え(17小節以降)若干加速し、力いっぱい体当たりして感動を表現。パワフルな意欲的な表現は、聴いていて好感が持て,元気になる気分。

    とにかく、昨日11月4日(日)、いよいよ響ホールへ出かけた!

    チョウチンさんのチェロとのデュオの演奏会。ピッタリ合った二人の呼吸!感動の演奏会!演奏後のサイン会やティータイムトークも、和菓子と抹茶…和やかな雰囲気でリラックスした素顔のお二人に接して、より一層身近な感じがして追っかけ応援団の団員になりそうな感じになってきた。 北九州国際音楽祭ボランティアの皆様は、心のこもったお土産までご準備下さり、お世話が行き届き、感謝感激でした。

    趙静さんとのトークや松本和将ファンクラブホームページによると、

    1979年生まれ満28歳の松本和将さんは、

    幼児期からの夢を実現できた幸せな人。

    しかもその夢は、ピアニストという、天賦の才能がなくては、努力だけでは 絶対に叶えられないものでした。

    ご本人は 「作曲家でも、指揮者でもよかった。とにかく音楽家になれたらいいなと思っていました。」と、さらりと述べた。

    いくつかの偶然と巡り合わせが重なって、今日の自然体のピアニスト松本さんがあるようです。

    松本さんは、国内外で演奏活動を展開中。

    その音楽性豊かな演奏は、世界各地で高い評価を受けている。

    2003年には、世界三大コンクールとして名高い

    エリザベード王妃国際音楽コンクールでピアノ部門5位入賞。(日本人最高位)

    かのピアニスト園田高広先生が絶賛した という経歴を持つ。


    あたたかさ、力強さ、やさしさにあふれた輝く音は、彼の人柄を思わせる。

    出身高校は県内有数の進学校であり、成績はトップクラスだった。

    そろばんを習っていたので、暗算が大得意。語学も堪能。

    今では英語、ドイツ語をマスターしている。

    何でも易々とこなすマルチタレントな人。クラシック一本やりの経歴ではない。

    高校時代は同級生とロックバンドを結成し、自らも作曲をしていた。

    当時は、エレキギターを担当していたとのこと。

    ギターはかなりの腕前で、他のバンドからゲスト出演依頼が殺到するほどだった。

    熱狂的な B'zファンでも知られている。

    特にB'zのギタリストである松本孝弘氏を敬愛しているとのこと。

    クラシックだけでなく、他分野の音楽にも精通した異色の天才ピアニストである。

    人柄はとても温厚。 テレビ・ラジオ等のメディアにもよく出演。

    ご自身のブログではプライベートな話題にも言及。最近では車が趣味。

    オフには友人と夜通しドライブをすることもあるという。

    この「友人」って、現在の奥様のことかも?(もちろんBGMはB'z)。

    国道をすべて制覇するのが当面の目標らしい。

    HIROSHIMA MUSIC FESTIVALのゲストピアニスト。

    2007年6月現在は、ベルリン芸術大学大学院在籍。

      生まれは美術館の街として知られる倉敷市。

    家の隣がたまたま保育園だったので、幼児期は、

    そこからピアノの音が流れてくると、家の窓を開けては一心に耳を傾けたそうです。

    本格的にピアノを習い始めたのは6歳から。

    幼稚園に通っていたころから、既に人前で弾くのが大好きで

    中学、高校時代は、友だちとバンドを組み、ロックにのめりこんだそうです。

    それで、お気に入りは B'zやXJapan、

    スウェーデンのイングウェイ・マルムスティールや

    ドイツのバンド、ハロウィンを好んでた。

    「ロックもクラシックも基本的な部分は同じだと思う。

    ただロックのほうが聴衆の反応が直に伝わってくるので、こちらものってしまう。」

    「中学3年の時、たまたま先生に勤められて全日本学生音楽コンクールに出場したら、何と全国1位。」

    けれど、趣味で弾いていたロックをやめてまで、クラシックに専念するつもりは、当時はなかった。

    転機は高校3年の時。ウクライナのキエフで開かれた

    第2回ホロヴィッツ記念国際ヤングピアニストコンクール

    (14~18歳の部)を受けたら、3位入賞。

    「生まれて初めて行った外国で、生まれて初めてブラボーを浴びました。」

    その時の感激は今も全然薄れない。

    いろいろな国の音楽学生と巡り合い、開眼、やがて松本さんの中で、ロックとクラシックの比重か逆転して、翌1998年に東京芸大に入学。

    その年の秋、日本音楽コンクールで見事、優勝。

    「自信がなかったわけではないけれど、何が何でも1位を取らなければとも考えなかった。落ちても失うものもないし、人前で弾くチャンスですから。」

    と、弾くこと事体が嬉しくて、「たまたま1位になっちゃった。」のです。

    すべてに対して自然体のようですが、努力は惜しみません。

    だから「練習したな~というのがありありと見えるようではダメです。

    自然にらくらくと弾いているように見えなくては。」と…。

    好んで弾くのは、リストショパンラフマニノフ

    何より「自分の感情に素直に弾くこと」を心掛けているそうです。

    結局はそれが作品に敬意を表することになると思うと…

      好きなピアニストは往年の大巨匠ホロヴィッツ

    「主観的な、とても深い世界を持っているし、クラシックという壁を感じさせずに

    純粋に音楽として聞かせ、聴衆を共感させてしまうのがすごい。」

    だからといって巨匠ホロビッツに近付こうなどとは思っていない様子。

    「僕は僕の音楽をするだけ。それしかできません。」 と 謙虚。

    昔は、「自転車で走るのが好き」で、通学に利用し時間を見つけては、

    荒川の河畔にでかけたりもしたそうですが、

    「地下鉄のあの無機質な暗い雰囲気に比べて、路面電車は心が和みますね」

    「町屋あたりで感じる下町の雰囲気も好き」

    「人と人とのつながりが濃いですね。東京で感じる″冷たさ″から

    開放される気分になります」とおっしゃっていたが、…ドイツ ベルリンに留学。

    今では、車が大好きで、F1のファンで、鈴鹿サーキットにも度々出かけたり、

    新婚の奥様と一緒に仲良くドライブに出かけるそうです。

    車が大好きなピアニストで、そのせいか、スピード感、切れ味の良い表現は

    抜群のリズム感とバランス、感度のよいゆたかな感性に支えられていると感じます。

    今後の期待が高まります。

    さて新進気鋭の注目のピアニスト、松本和将さんが、本日は

    緑ヶ丘・第二幼稚園へ、訪問コンサート!

    夢のような話が、実現しました。

    今朝、7時半、ピアノの調律師村山さんがYAMAHAから来てくださり

    9時半頃、北九州国際音楽祭事務局の川路さんと、豊嶋(てしま)さんが来園。

    (豊嶋さんは、ソプラノの豊嶋さんのお姉様!)

    10時過ぎには松本さんと司会進行の奥田佳道先生が到着。

     子どもたちも~ワクワク~お待ちして、準備を整えました。

    いよいよ11時~調律も出来上がり ピアノコンサート開会! 

    司会進行役の音楽評論家の奥田佳道先生は、

    年長組の幼児にわかりやすく曲目を解説くださった。

    松本和将さんのピアノも、指で弾く のじゃなくて、全身の渾身の力で
    格闘していらっしゃる感じの部分もあり、また繊細な表現も際立ち
    まるでスタンウェイか!? と思うほど素晴らしい演奏で大感激でした。

    調律の村山様にも随分ご苦労をお掛けしました。が、やはり弾き手次第!?

    子ども達の反応も、どの子も最後まで背筋がピーンと伸びていて、
    一心に集中してピアノの奏でる音楽に聴き入り、楽しんでいました。

    担任の先生達だけでなく、母の会役員のお母様方も、
    地域の絵本読み聞かせボランティアで来園中のご年配の方々も
    声をそろえて、以下のような感想を述べておられた。

    (まとめてご紹介)

    ・「こんな機会が作っていただけて、子ども達は最高に幸せでしたね。」

    ・「子どもたちのお行儀の良さにビックリしました。美しいものは美しいと感じる感性が育っていて素晴らしい!」

    ・「情熱的でパワフルで、しかも繊細な演奏で感動し、心洗われた思いです。」

    ・「年長組の子ども達の心の中に、一生、あのシューベルト『即興曲』や
     吉松隆さんのプレイアデス舞曲集『さりげない前奏曲』や『プラタナスダンス』、
     今まで聴いた生演奏の中では最高の『トルコ行進曲』、
     そしてスケールの大きい『英雄ポロネーズ』が、
     右脳に刻まれ、良い刺激になったに違いない!」

    ・「18日の響ホールでの園児の音楽会に向けて、モチベーションが高まった。」

    ・「現代作曲家吉松隆さんの名前は初めて聞いたが、日本にもたいした作曲家が活躍中と知り嬉しかった。 松本和将さんの名前も初めてだが、将来は大物になりそう。若々しくて才能に恵まれ今後の活躍が楽しみ!」

    ・「幼稚園のヤマハピアノが、響ホールのスタンウェイに変わったみたいな輝く音色の響きでしたね~感動!感激!元気が出てきました!」

    ・「まだ歌う練習をはじめたばかりの子どもたちの歌う『ビリーブ』を褒めてくださり、大変嬉しかった。伴奏を弾くとき いつもより緊張してしまったが、お二方に聴いていただき光栄でした。」

    ・「年長組だけでなく、年中組や年少組の園児にも、保護者にも一同に会して聴かせてあげたいと思った。 でも、八幡西区は、北九州市で一番納税人口も多いのに、本格的なホールも図書館さえも無いから、九州厚生年金病院の跡地にゆくゆく 是非、1600~2000人位は収容できる多目的ホールが欲しいものです。老人会の催しも3回に分けて実施したり、苦労している。青少年の健全育成の為にも環境整備が大事だから 奥田先生にも北九州市当局へ芸術文化の振興の援護射撃の働きかけを是非 専門家の立場から賢明なるアドバイスをお願いしたい!」

    ・「北九州市は、文化や芸術の不毛の地と言われて いつも悔しく思っていたが、
     きっと このコンサートに参加した子ども達の中から、未来のアーティストや
     クラッシックの愛好家が誕生するかもしれない…。そんな気がして聴きました。」

    ・「司会・解説の奥田先生に、園児にもわかりやすかったので、お礼を言いたい。
     良い声で、原稿なしにお話され、園児の目線で、流石一流の音楽評論家ですね!」

    ・「これから、松本和将さんや奥田先生の名前がマスコミに出てくるのを注目して、
      ご活躍を楽しみにしています。早速演奏曲のCDを買いに行きます。」

    ・「市が財政難といっても、できるだけ幼児期からの教育や文化の推進には
     力をいれ、子ども達の健全育成や感性を高め心をゆたかにする活動に
     惜しみなく支援やチャンスを与える活動は続けて、子どもの未来には
     より一層環境整備し、予算化し、投資して欲しい!」

    ・「教育や芸術文化振興施策は、即効性は無いかもしれないが、
     ふるさとが誇れるような人材に育つよう 心の栄養をたっぷり与えて、
     辛い困難な事にも立ち向かえるパワーや知恵を蓄えさせ、
     心の宝物がいっぱい詰まったゆたかな感性の子どもに育って欲しい。」

    ・「限られた予算の中で、内外のトップアーティストによる教育プログラムは、
      素晴らしい!気軽なミニコミュニティーコンサートも年間通じてあると良い。」

    ・「非行に走る子どもや虐待問題の対応に追われたりするのではなく、
     良い環境で、安心して子育てが出来るように、このような幼稚園訪問
     学校訪問が、どんどん推進され、クラッシック愛好人口が増えれば、
     街中で外国のように気軽に良質の音楽を楽しむ雰囲気が醸し出され
     次第に俗悪劣悪な環境が浄化され、『北九州国際音楽祭』も長く存続
     しそうで、企画アドヴァイザーの奥田佳道先生の貢献は偉大だと思う。」

    ・「市の少年少女合唱団」だけでなく、「北九州アカデミー少年少女合唱団」
     のような民間の本当に実力のある合唱団にもチャンスを与え、支援がなされ
     国内外への演奏活動や音楽家との交流がもっと、盛んになるように…また
     松本さんのような素晴らしい演奏家との共演も計画していくと、クラッシック音楽
    が より一層身近なものになりそうだし、国際交流、ひいては平和外交にも繋がる。」
     
    (※注 「北九州アカデミー少年少女合唱団」には、卒園生が多数入団しています。
     来年3月末に ドイツ・チェコ方面に演奏旅行に行くらしい。
     昨年は、中国天津市からのご招待で日本代表で国際音楽祭に出演、最後のトリを飾り絶賛された。
     数年前には、オーストリアでウイーン少年合唱団と世界ではじめて合同合宿し、
     演奏した。オーストラリアのシドニーのオペラハウスでも、演奏した。
     指導者は坂田正克先生。 土曜日午後熊西小学校で練習しています。)

    等など…「私も、同感!」 の感想やご意見が、沢山皆様から聞かれました。

    ピアノ熱演の松本和将さんにもメールで、心からお礼を申し上げています。

    松本夫人や奥田佳道先生とも昼食をご相伴させていただけ、大変光栄でした。

    その時初めて奥田佳道先生は、N響のコンサートマスター第一バイオリンの

    篠崎史紀さんの義弟と判明!感激でした。

    つまり、篠崎史紀さんの奥様は、奥田佳道先生のお姉様!

    今後も、松本和将さんも奥田佳道先生も 陰ながら 応援させていただきましょう。

    ご協力いただいた皆様、誠に有り難うございました。
     

     お二人のサインは子育てサロンに飾ってあります。 

     

     


    ヘルシンキ大学男声合唱団

    2007年11月03日 21時34分40秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成19年11月3日(土祝)文化の日 一日中気分爽快。

    今日は、北九州市立響ホール 午後3時~開演

    「ヘルシンキ大学男声合唱団」

    ~シベリウス没後50周年記念特別公演~

    フィンランドの由緒ある男声合唱団が贈るシベリウスの世界

    へまいりました。

     

    「ヘルシンキ大学男声合唱団」は、

    1883年創設の伝統ある男声合唱団。

    同国合唱界の最高権威者であるマッティ・ヒュオッキの指揮により、

    シベリウスの世界を描く特別公演。

    シベリウスはフィンランドを代表する作曲家で、

    本合唱団のために 多くの作品を作っています。

    今回のプログラムは、

    没後50年を迎えるシベリウスの作品を核として構成し、

    美智子皇后陛下による日本語訳詞の作品「アンニの歌」も演奏された。

    さらに、国際舞台で活躍するテノール歌手、ヨルマ・シルヴァスティ

    特別参加するなど見逃せない公演だった。

     

    今日の合唱界におけるシベリウス演奏のリーダー的存在である

    彼らによる澄み切った詩情の世界でした。

       <プログラム>

    ①シベリウス:失われた声・我が心の歌・恋するもの

    湯浅譲二:芭蕉の俳句による『四季』

    ハンニカイネン:『アンニの歌』

    シューベルト:セレナード

    ⑤アンコール:フィンランディア

     

    今回は、絵本のおばさま稲田類子さんと 

    中国人オペラ歌手 韓 紅さん のお二人が同行しました。

    福岡教育大学音楽科教授の岩崎洋一先生も丁度一緒になりました。

    どの曲も、精神性の高い 本物の芸術作品でした。

    惜しかったのは、

    二階に空席が目立っていたことです。

    このような素晴らしいコンサートには、

    是非とも空席が出ないように、

    親子で鑑賞する親子1000円割引席や 

    小中高生の招待席をもっと設けて、

    青少年の健全育成に努めるべきだと思いました。

     


    10月11日は,エディト・ピアフ作詞『 愛の讃歌』を歌いましょう

    2007年10月10日 20時47分10秒 | 音楽関係・コンサート・LP・CD・DVD

    平成19年10月10日 本日は、エディト・ピアフを偲びその代表曲を思い出しています。
     

    愛の讃歌(Hymne à l'amour)

    作詞:エディト・ピアフ
    日本語詞:岩谷時子
    作曲:マルグリット・モノー
    唄:越路吹雪

    あなたの燃える手で 私を抱きしめて
    ただ二人だけで 生きていたいの
    ただ命の限り わたしは愛したい
    命の限りに あなたを愛するの

    頬と頬よせ 燃える口づけを
    交わすよろこび
    あなたと二人で 暮らせるものなら
    なんにもいらない
    なんにもいらない
    あなたと二人で 生きていくのよ
    私の願いは ただそれだけよ
    あなたと二人

    固くいだきあい 燃える指に髪を
    からませながら いとしみながら
    くちづけを交わすの 愛こそ燃える火よ
    私を燃やす火 心とかす恋よ

    (制作:二木紘三)

    Le ciel bleu sur nous peut s'effrondrer
    Et la terre peut bien s'écrouler
    Peu m'importe si tu m'aimes
    Je me fous du monde entier
    Tant que l'amour inondera mes matins
    Tant que mon corps frémira sous tes mains
    Peu m'importent les grands problèmes
    Mon amour, puisque tu m'aimes...

    J'irais jusqu'au bout du monde
    Je me ferais teindre en blonde
    Si tu me le demandais...
    J'irais décrocher la lune
    J'irais voler la fortune
    Si tu me le demandais...
    Je renierais ma patrie
    Je renierais mes amis
    Si tu me le demandais...
    On peut bien rire de moi,
    Je ferais n'importe quoi
    Si tu me le demandais...

    Si un jour la vie t'arrache à moi
    Si tu meurs, que tu sois loin de moi
    Peu m'importe, si tu m'aimes
    Car moi je mourrai aussi...
    Nous aurons pour nous l'éternité
    Dans le bleu de toute l'immensité
    Dans le ciel, plus de problèmes
    Mon amour, crois-tu qu'on s'aime?...
    ...Dieu réunit ceux qui s'aiment!


    1949年、私が生まれた年に発表され,生まれた有名なシャンソン。

    1956年、ジェフリー・パーソンズによって英詩がつけられ、

    ブレンダ・リーなどが歌って大ヒットしました。

    日本では、『サン・トワ・マミー』などと同様、

    訳詞:岩谷時子、歌:越路吹雪のコンビでヒットしました。

    今秋、新作映画が話題になっています。全編に流れているのは、本人の歌声。

    エディット・ピアフ自身が作詞した愛の讃歌(Hymne à l'amour)

     シャンソンの代表曲です。

    あなたも、秋の夜長にどうぞお聴きください!

     シャンソンという言葉は、フランス語で「歌」を現す言葉です。

    したがって、特定のリズム・パターンや楽器編成を現すものではありません。

    と言うことは、「シャンソン」はフランス語で歌われる歌謡曲、ポップス

    という意味です。

    しかし、我々日本人にとっての「シャンソン」は、

    明らかにひとつの音楽ジャンルのことであり、

    そこにはアコーディオンという楽器の存在や

    何曲かの名曲の存在が大きな影響を与えています。

    イブ・モンタンの「枯れ葉」やアダモの「雪は降る」などは、

    ある意味シャンソンのイメージを決定づけた作品ですが、

    それ以上にシャンソンの代名詞とも言える作品が、

     Edith Piaf エディット・ピアフの「愛の讃歌」だと言えるでしょう。

    彼女こそ、世界中の人々が「シャンソン」と聞いてイメージする

    ある種の音楽スタイルを確立したアーティストなのです。

    だが、現在のフランスにおいて、

    彼女のシャンソンは過去のものとなっているそうです。

    その点では彼女はオールド・スタイル・シャンソンの確立者であったと同時に、

    最後のアーティストであったとも言えるようです。


        <孤独なヒロイン>


     エディット・ピアフがこの世に生まれ落ちたのは、

    1915年12月19日、クリスマスを目前にした

    パリの下町ベルヴィルの路上だったと言われています。

    (実際は、ちゃんと病院で生まれたらしいのですが・・・)

    父親のルイ・アルフォンス・ガション Louis Alphonse Gassionは、

    ストリートで逆立ちなどの軽業を披露する大道芸人で、

    母親のアニタ Anita Maillardもストリートで歌う歌手でした。

    そんな貧しいその日暮しの夫婦の元に生まれた彼女は

    筋金入りの「ストリート・チルドレン」でしたが、母親の家出によって

    必然的に彼女は「ストリート・シンガー」の道をも歩まざるを得なくなりました。

    こうして、ある日、病に倒れた父親に代わって、

    彼女が歌える唯一の歌

    ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)」を

    歌った時、彼女の歌手人生はスタートしたのです。


    <ストリートのアイドルへ>

     15歳の時、彼女は酒癖の悪い父親に嫌気がさし、ついに家を出ました。

    彼女は一人街角に立って歌うようになったわけですが、

    下町のいかがわしい繁華街で生き抜くため、自ずと強い女へと成長しました。

    (パリでは無許可営業のミュージシャンは取締の対象になったので、

    彼女は何度も警察に逮捕されたようです。)

    後に彼女が国民的な人気者となってゆくのは、彼女のこうした

    叩き上げの人生と反権力的な生き方が、

    フランスの国民性にマッチしたからだそうです。


    <ストリートから舞台へ>

     1935年、そんな下町のアイドルに大きなチャンスが訪れました。

    ある一流クラブが、彼女の人気と実力に目を付け専属契約を申し出たのです。

    こうして、20歳のピアフは、ついに屋根付きの舞台に立つことになり、

    すぐにシャンソン界の人気者になって行きました。


     1937年には名門のABC劇場でのステージを成功させ、

    いっきにトップ・スターへの階段を駆け上がり始めます。

    しかし、運命はいつまでも彼女に微笑み続けてはくれませんでした。

    運命は、彼女を含むフランスの全国民を不幸のどん底に突き落としたのです。


    <ナチス・ドイツ占領下のパリにて>

    1940年6月14日フランス領内に侵攻していたナチス・ドイツは、

    ついにパリを占領。

    フランスはナチスドイツの占領下に置かれることになりました。

    彼女にとっても、フランス国民同様辛い日々が始まりました。

    ナチスの占領下において、アーティストたちはナチスに反抗して地下に潜るか、

    彼らのプロパガンダ活動に協力するかの二者択一を迫られました。

    いかに強い女性とはいえ、彼女がナチスと闘うことは不可能だったため、

    しかたなく彼女はナチス主催のパーティーで歌ったり、

    捕虜収容所でフランス人のために歌ったりする生活を始めました。

    (と言っても、後に彼女はこの時のことを「ナチスという連中がどんな奴らかを見たかったから出演したのだ」と言っているのですが)

    しかし、さすがは反骨のストリート・ファイティング・ミュージシャンだけあって、

    その後 彼女は自分の立場を利用して、

    ナチスへのレジスタンス活動を展開して行きます。

    それは、慰問先の捕虜収容所から 何人かの捕虜をバンドのメンバーに

    紛れ込ませて脱走させるという、まるで映画のような作戦でした。


    <ドラマを求める人生>

     戦争中、それだけ危険な行為に加担していながら、

    彼女はけっして熱烈な愛国者ではなかったようです。

    もしかすると、彼女は自分が挑んでいる「危険な賭け」

    に喜びを感じていたという説もあるくらいです。

    その後の彼女の人生に見られる数々の恋愛ドラマも

    そんな彼女のドラマチック大好き人間的性格の成せる技

    だったのかもしれません。

    そして、それが彼女の歌のもつドラマ性と独特の表現力の源に

    なっていたのかもしれないのです。

     ピアフのシャンソンを「真実を歌うシャンソン」と呼ぶそうですが、

    それも彼女のそんなドラマチックな人生があったからこそ

    可能だったのかもしれません。


    <ラヴィアン・ローズ>

     彼女の人生において「恋」こそが最大のエネルギー源だったことも

    間違いないでしょう。

    なかでも有名なのは、年下の大スター、イブ・モンタンとの恋です。

    と言っても、この恋には、師弟愛という側面もあり、

    単純な恋とは言えないかもしれません。

    第二次世界大戦が終わり、

    ナチス・ドイツの占領から解放された喜びと

    若いイブ・モンタンとの恋の喜びは、彼女の代表曲のひとつ

    ラヴィアン・ローズ」を生んだと言われています。

     デビュー当初は、ジャズポップス系のアメリカナイズされた歌手だったモンタンを、

    ピアフは一から教育し直し、フランスを代表するシャンソン歌手へと育てあげました。

    しかし、彼がピアフと肩を並べるほどの人気歌手に成長した時、

    すでに二人の恋は終わりを迎えていました。


    <愛の讃歌>

     そしてもうひとつ、彼女の人生を変えた「至上の愛」は、

    あの名曲「愛の讃歌」を生みました。

    それが、プロ・ボクシングの世界チャンピオンだった

    マルセル・セルダンとの恋でした。

    世界的に有名な二人は、忙しいスケジュールの合間を縫って、

    愛を確かめ合っていたが、1949年ニューヨークで公演中だったピアフに

    会うために乗ったマルセルの飛行機が大西洋上に墜落、

    わずか一年の短い恋は、セルダンの突然の死により、悲劇の結末を迎えました。

    セルダンの突然の死にピアフは、立ち直れないほどのショックを受けましたが、

    歌に人生のすべてを捧げてきた彼女は、

    この悲劇をもひとつの歌にしてしまう力をもっていました。

    こうして、生まれたのが名曲「愛の讃歌」だったというのが、かつての定説でした。

    しかし、最近、この曲はマルセルの死の以前に書かれていたことがわかりました。

    つまり、ピアフは、妻子がいるマルセルとの愛に自ら幕をおろすため、

    この曲を作ったらしいのです。

    したがって、自分が歌うのではなくイベット・ジローにこの曲を歌ってもらうことに

    なっていたのです。ところが、マルセルの死によって、別れは突然に訪れてしまった。

    そこで、彼女は急遽この歌を自ら歌うことを決意したというのが、

    真相だったようなのです。

    こうして、シャンソンを代表するだけでなく

    「愛の歌」を代表する名曲として

    愛の讃歌」が生まれたのです。

    <シャンソン旧世代の女王>

     こうして彼女は、1963年48歳の若さでこの世を去るまで、

    フランスでは別格的な人気を保ち続けました。

    そして、彼女の死とともに戦前から続いてきた古いタイプのシャンソンの時代は

    終わりを告げ、新しいシャンソンの時代を生み出して行くことになるのです。

    「世の中のことなんて、どうでもいいの
    ただあなたが愛してさえくれれば・・・
    あなたが死んでも私は平気、

    あなたが愛してくれれば私も死ぬのだから・・・」 
    「愛の讃歌」より

    「エディット、君は僕なんかより、ずっと素晴らしい仕事をしているんだね。

    あの人たちを幸福にするのが君の仕事なんだ」マルセル・セルダン 

    「世紀を変えた歌」(NHK・BSのドキュメンタリーより)

    私の友だちの I さんも、封切り直後に、映画を見たそうです。

    久々に感動したと目を潤ませていました。

    私も、早く見たいと思います。