緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

赤ちゃんにこにこroomと牧野富太郎没後50回忌

2007年01月18日 17時53分54秒 | 教育

平成19年1月18日(木)

今日は、今年初めての『赤ちゃんにこにこroom』の日でした。

いつも楽しみに予約くださるレギュラーの親子も、

今回初参加の方々も元気いっぱい

お正月明けの話題を楽しみに ご参加いただきました。

まず、ご挨拶に続き自己紹介の歌。

そして、季節感のある歌を数曲歌い、手遊び。

次は、身体を使ったリトミック、そして、

体操やゲームで盛り上がったところで

おおきなかぶ』のエプロンシアター

全員集中して、引き込まれ「うんとこしょどっこいしょ

と、かけ声をかけて、かぶを抜くおじいさんやおばあさん、

孫娘や動物たちに なりきって かぶを抜くために力一杯応援しました。

なんとなんとまあ、やっとこさで抜けた「カブ」は、

大人もビックリするほど とーんでもなく大きくて、バネ仕掛けで、約十倍位に…

本当に大きな美味しそうなカブでしたヨ。

それだけ、見事に育ったかぶは、

おじいさんとおばあさんが、種まきから丹誠込めて

育て上げたのだと、2歳前後の幼児期の子どもながら 悟りました。

そして、

どんなにちっぽけな 何の役にも立たないように思えた

ネズミのような動物も、日頃は、とかくバカにされ勝ちだが、

いざという時にはその力が無くては、カブが抜けなかった~

だんだん手伝い人の人数は増えるが、大きさが小さくなり、ハラハラ

繰り返しの面白さにワクワクする話です。

ロシア民話、1年生の国語教科書にも登場するお話しに

ノリノリで足を踏ん張って、真剣に真似をする仕草が、

とても真剣で可愛く、思わずシャッターを切りました。

そのあと、コマを作って、遊びました。

また、くつろぎのティータイムでも、

初めてご参加の方々もすっかりうち解けあって、

和気あいあいとすごしていただきました。

              

                

また、次回の予約を入れて、会いましょう。

さ、今度は、どんなトキメキ との出会い???

                 

 楽しい時間になるのでしょう…

      お楽しみに

さて、本日1月 18日は、

植物分類学者である牧野富太郎さんの没後50年の忌日でした。

牧野富太郎博士は、高知県高岡郡佐川町に生まれました。

3歳で父、5歳で母と死別、また、祖父も6歳で死別。

10歳から寺子屋、塾で習字、漢学を、また、英語学校にも学んだ。

12歳で佐川小学校に入学したが、授業に飽きたらず自然退学。

15歳の時、請われて佐川小学校の臨時教員となった。

以後、正規の学校教育は受けていない。

植物学を自分の目と足で学び、我が国植物学の泰斗となった。

読書家でその蔵書は4万5千冊に及ぶと言われている。

31歳で東京帝国大学助手となったが、

正規の学歴がないことで不当な扱いを受けたようである。

65歳で理学博士の学位を受け、92歳で病臥するまで

「草に遊び、草に枕する」生き方を貫ぬき、

95歳で逝去、死後文化勲章を受章した。

博士の長寿の秘密は残された色紙に、こう書かれていた

「長生きしたけりゃ枇杷を食え」


 1月18日は、博士の50回目の命日である。

記念展示として植物画展が開かれているが、

緻密さと美術的価値を併せ持つ素晴らしい植物画。

植物園は平成11年に敷地が拡張されて

牧野富太郎記念館」が増築された。

また、現在は、土佐山にある「県立土佐寒蘭センター

を移設するための工事が進んでいる。

讀賣新聞の「編集手帳」には、以下の文が有りました。

 

「植物学者の牧野富太郎は小学校を中退したあと、

学校と名のつく所では学んでない。

49歳で東京帝大の講師となり、77歳で退職するまで肩書は講師だった。

学識の世評は高くとも学歴のない老講師に、ひと恥かかせる魂胆だろう。

野外観察の折、ひとりの学生が枯れ草の根を取り出し、

牧野の前に黙って差し出した。

名前を当てられるものなら当ててごらん。

学生たちが好奇の目で見つめるなか、牧野は草の根をそっと口に含むと、

関東地方では見られない南方種のヒルガオの名を静かに告げた。

特徴として、その根にはサツマイモに似た甘味のあることを言い添えた。

渋谷章著「牧野富太郎」に記された挿話である。

生涯に50万点の標本を採集し、1000種の新種を発見した植物分類学の巨人が

94歳で死去したのは1957年(昭和32年)の1月18日、

きょうは没後50年の忌日にあたる。

学者には学問があれば何も要らない」。

冷遇と貧窮の時代にも、そう語っていたという。

学者の誇りを捨てた「論文捏造(ねつぞう)教授」や、

欲に良心を売り渡した「研究費流用教授」が世を騒がす昨今、

折に触れて思い出される人である。

たわむれに詠んだ都々逸が残っている。

「草を褥(しとね)に 木の根を枕 花を恋して五十年」

教育というのも煎(せん)じ詰めれば、

ひと筋に恋する人をつくることかも知れない。」

私は、「ひと筋に恋する人」をつくる仕事に携わっている!

編集手帳執筆者氏も、

牧野富太郎先生を心から尊敬していらっしゃるらしい。

それにしても、根気強く、丁寧に、積み上げた、 素晴らしい業績。

敬意を表し、日本の誇る牧野富太郎先生を偲びたい。  合掌 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする