平成22年5月4日(水)今日は、みどりの日(Greenery Day)
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ
国民の祝日。
元々は昭和天皇の誕生日4月29日は、『天皇誕生日』の祝日でした。
昭和天皇が生物学者であり自然を愛したことから
1989(平成元)年より「みどりの日」という祝日になりました。
2007(平成19)年より4月29日は「昭和の日」となり、
「みどりの日」は5月4日に移動されたのです。
また、新緑が美しい時期ですから以下のような記念日にも制定されています。
- みどりの月間 4月15日~5月15日
植物園の日
日本植物園協会が2007(平成19)年に制定。
ラムネの日
1872(明治5)年のこの日、東京の実業家・千葉勝五郎が、
ラムネの製造販売の許可を取得した。
中国人のレモン水製造技師を雇い製造法を学んだ。
エメラルドの日
コロンビアエメラルド輸入協会が2000(平成12)年に制定。
「みどりの日」に因み、緑色の宝石エメラルドをPRする日。
当初は4月29日であったが、2007(平成19)年、「みどりの日」が5月4日になる
のにあわせて5月4日に変更。エメラルドは5月の誕生石でもある。
うすいえんどうの日
えんどう豆の一種・うすいえんどうの収獲量が日本一の
和歌山県農業協同組合連合会が制定。
5月上旬が収獲のピークであることと、「みどりの日」であることから。
名刺の日
日本名刺研究会が制定。「めい(May)し(4)」の語呂合せ。
ファミリーの日
中華料理店チェーンの東天紅が、1985(昭和60)年にこの日が休日になると
決定した時、それにふさわしい愛称を公募し制定。
それまで家族全体の記念日がなかったことから。
- 国際家族デー 5月15日
ほんの一寸前まで5月4日は、(旧)国民の休日と呼ばれていた。
これは1985(昭和60)年12月27日の祝日法の改正により、国民の祝日に
はさまれた日(日曜日と振替休日の場合を除く)は休日となったのです。
これは実質的に5月4日を休日にするための制度でした。
制度自体は1985年12月27日からあったが、
翌年・翌々年の5月4日は日曜・月曜であったため、
第1回目は1988(昭和63)年となったのです。
2007(平成19)年の祝日法改正によりこの日が「みどりの日」となったため、
5月4日が国民の休日になることはなくなったのです。
しかし、敬老の日が移動祝日となったことにより、
年によって秋分の日との間でこの制度が適用される可能性があるのです。
さて、高速道路が、値下げというので、ゴールデンウィークは
思い切って遠出の予定を組んでいる方々も多いようですが、
日本各地で、大渋滞の報道もされています。
昨日は、博多どんたくに出かけていた方もあったようですし、
佐賀の有田陶器市や、久留米のつつじ祭、八幡西区香月の吉祥寺藤まつりも…
五月晴れに恵まれポカポカ陽気!半袖の親子もたくさん見かけました。
さて、昨年、私と同じ5月4日生まれの俳優 森繁久弥さんが死去
映画「夫婦善哉」や舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」、
テレビドラマ「七人の孫」など日本の大衆芸能に大きな足跡を残し、
現代演劇界初の文化勲章受章者の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが
平成22年11月10日午前8時16分、老衰のため東京都内の病院で死去しました。
96歳。大阪府枚方市出身。喪主は次男、建(たつる)氏でした。
昭和11年、早大商学部を中退し、東京宝塚劇場(現・東宝)に入り、
3年後、NHKのアナウンサー試験に合格。旧満州の放送局で勤務した。
21年に帰国、NHKラジオ「愉快な仲間」などに出演、
コメディアンとして頭角を現し映画界に進出。出世作は「三等重役」(27年)。
以来、“サラリーマン”“社長”“駅前”の各シリーズの喜劇や
人間味あふれる代表作「夫婦善哉」(30年)など出演本数は300本を超える。
舞台でも数多くの作品に出演。
42年初演のミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」では
http://www.youtube.com/watch?v=Tykfi5FyrAc&feature=related
主役のテヴィエを演じ、連続20年、計900回という
日本ミュージカル史上、最多上演記録達成。
テレビでは39年から出演の「七人の孫」が平均約30%の高視聴率で
国民的番組となり、「だいこんの花」「麗子の足」などドラマ史に残る名作は多い。
最近では不定期の単発作「おやじのヒゲ」シリーズが人気だった。
「森繁自伝」などエッセイストとしても著作を残し、49年に菊池寛賞を受賞した
ほか50年、紫綬褒章、54年、芸術選奨文部大臣賞、62年、勲二等瑞宝章。
59年には大衆芸能の分野で初めて文化功労者に選ばれ、
平成3年、現代演劇界初の文化勲章に輝いた。
平成8年11月、日本俳優連合理事長として橋本龍太郎首相(当時)と会い、
俳優・音楽家の知的所有権の保護充実を求めた。
平成9年8月公開のアニメ映画「もののけ姫」では声優として参加。
最後の出演作は、映画では16年の「死に花」、
テレビドラマでは同年「向田邦子の恋文」。
平成19年に、「最後の作品」と銘打った朗読DVD
「霜(しも)夜(よ)狸(だぬき)」(録音は3年)が発売された。
彼については、もう一つ 作詞作曲でも才能を開花させていたことを
忘れてはならない。
『しれとこ旅情』の知床とは、北海道北東部に位置する知床半島一帯をさす。
知床国立公園があり、2005年7月17日には世界遺産に登録された。
楽曲制作者は、俳優業のほかに歌手としてNHK紅白歌合戦への出場歴もある
森繁久彌さんなのです。
1960年の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で
知床半島羅臼に長期滞在している間制作され、
その最終日に羅臼の人々の前で『さらば羅臼よ』という曲名で披露された。
1962年の大晦日に放送された第13回NHK紅白歌合戦では、
森繁さん自身によって披露された。原曲は「オホーツクの舟歌」。
http://www.youtube.com/watch?v=INNdxQuwf8U&feature=related
『徹子の部屋』の第1回放送の中で、このタイトルで熱唱している。
なお、森繁さんは、1975年3月にNHKホールで挙行された
日本放送協会開局50周年記念式典において、
また1970年に加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、
同年にシングルのB面曲としてシングルカット。徐々に人気に火がついた。
翌1971年にはオリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得、
同年のオリコン年間ヒットチャートで2位に輝いた。
加藤盤の累計売上は140万枚を記録。
http://www.youtube.com/watch?v=T40Tx2WS6Ag
また、同楽曲で第22回NHK紅白歌合戦に初出場をしたほか、
1969年に続いて2度目の第13回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞している。
同楽曲のヒットの要因としては、当時日本国有鉄道がディスカバー・ジャパンの
キャンペーンを展開していたことの相乗効果もあったといわれている。
およそ20年後の第41回NHK紅白歌合戦でも加藤登紀子によって歌われ、
2005年、第56回NHK紅白歌合戦の開催にあたりNHKが大々的に行ったアンケート
「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組対象の上位99位に入り、
時代を超えて愛され続けていることを印象付けた。
目梨郡羅臼町にある、海に面した「しおかぜ公園」には、
森繁久彌が出演した上記映画『地の涯に生きるもの』
(原作は戸川幸夫「オホーツク老人」)の老人の像と、
「知床旅情」の歌碑が建立されている。
歌詞には知床の名所・名物が多く登場する。
例えば、斜里郡斜里町の町花が「はまなす」、
その斜里町と本楽曲の歌碑がある「ラウス(羅臼)」を結ぶ国道334号にある「峠」
から「クナシリ」を望むことが出来る。
一方、歌詞に「白夜(びゃくや)」が登場するが
北海道では白夜は見られずフィクションである。
本来「白夜」は「はくや」と読んでいたが
「知床旅情」での「びゃくや」の読みで
「白夜」という現象が日本で広く知られ一般化した。
NHKでも「白夜」は「びゃくや」を標準読みにしている。
「知床旅情」 「オホーツクの舟歌」
森繁久彌さんは『知床旅情』の元歌とも言うべき楽曲を作詩・作曲している。
それは『オホーツクの舟歌』という曲で、
その曲の歌詞は1番・2番で知床の冬の厳しさを歌い、
3番で春の訪れを喜ぶとともに、かすかに見える国後(クナシリ)を
「我がふるさと」と言い、いつか帰れる日を願う、と言うものである。
この『オホーツクの舟歌』は、森繁久彌自身もレコーディングしているが、
倍賞千恵子さんが主に歌っており、倍賞さんのアルバムに収録されている。
今日は、彼を偲び、謹んでご冥福をお祈りします。
明日は、こどもの日!
GW最後の日を、緑の中で、思い切りのびのび駆け回り
充実した 家族ふれあいの日にしてお過ごしください。