晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

【PICK UP】 藤原高藤と宮道列子のロマンスの地 勧修寺ゆかりの人々お墓参り

2018年10月04日 | 「PICK UP」から移動

※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2009年)
ホームページサービス終了により当ブログへ移動しました。


藤原高藤と宮道列子のロマンス勧修寺宮道神社



京都市山科区内には、勧修寺ゆかりの以下の人物の墓や陵が伝わっています。
現在も地元の方々に大事にされている様子がうかがえますね。




宮道朝臣列子墓



●所在地:京都市山科区勧修寺西栗栖野

宮道列子(つらこ・れっし・たまこ)は宮道弥益(みやじのいやます)の娘。
藤原高藤(ふじわらのたかふじ)との間に 胤子(たねこ)・定国(さだくに)・定方(さだかた)・満子(みつこ)を産む。
醍醐天皇の外祖母。





藤原胤子陵



●所在地:京都市山科区勧修寺北大日

贈皇太后藤原胤子
宇多天皇女御。醍醐天皇の生母。
光孝天皇の第七皇子として生まれた源定省(さだみ=のちの宇多天皇)と結婚。
源維城(これざね)<のちに親王宣下→敦仁親王→醍醐天皇>を産む。







※宇多天皇陵は京都市右京区にあります。
※醍醐天皇陵は京都市伏見区にあります。




【参考】
「京都の歴史玄関 やましな盆地」発行:山科区老人クラブ連合会
「平安時代史事典CD-ROM版」   監修:角田文衞/編:古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版
「今昔物語集 本朝部(中)」  編:池上洵一/発行:(株)岩波書店



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【PICK UP】 藤原高藤と宮道列子のロマンスの地 宮道神社

2018年10月04日 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2009年)
ホームページサービス終了により当ブログへ移動しました。


藤原高藤と宮道列子のロマンス勧修寺



 『源氏物語』における光源氏と明石の君のモデル!?
 藤原高藤と宮道列子のロマンスの地

 宮道神社


●所在地:京都市山科区勧修寺仁王堂町
●交通 :地下鉄「小野」駅下車 徒歩10分





勧修寺(かじゅうじ)の南に宮道神社(みやじじんじゃ)が鎮座しています。
宮道神社は、さまざまなご縁結びの願いを叶えてくださる神社だそうです。




宮道神社は、898年(寛平10年)に創祀され、宮道大明神または二所大明神とも称されました。
後世、宮道弥益と娘の列子、列子の夫である藤原高藤とゆかりの人々を合祀されました。

<御祭神>
日本武尊(やまとたけるのみこと)・・・宮道氏の祖神
稚武王 (わかたけのみこ) ・・・日本武尊の子

<のちに合祀された御祭神>
宮道弥益(みやじのいやます) ・・・胤子の外祖父 
宮道列子(みやじのたまこ) ・・・胤子の母 
藤原高藤(ふじわらのたかふじ) ・・・胤子の父
藤原胤子(ふじわらのたねこ) ・・・醍醐天皇の母
藤原定方(ふじわらのさだかた) ・・・三条右大臣

など、勧修寺ゆかりの人々






『小倉百人一首』 三条右大臣(藤原定方)歌碑

 名にし負はば 逢坂山の さねかづら
  人に知られで くるよしもがな



宮道神社のご祭神のひとりである藤原定方(ふじわらのさだかた)の歌碑が建立されています。
藤原高藤と宮道列子の間に生まれた次男・定方は、右大臣となり、邸宅が三条坊門小路の北面にあったため、「三条右大臣」と呼ばれました。



京都市山科区において勧修寺ゆかりの人物の墓・供養塔が伝わっています。

 ゆかりの人々お墓参りへ続きます。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする