※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2009年)
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藤原高藤と宮道列子のロマンス>勧修寺
『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとり
敦慶親王
宇多天皇の第四皇子・敦慶(あつよし)親王は、「容姿美麗、好色絶倫なり」と評され、「玉光宮(たまひかるみや)」とも称されました。
その生涯から『源氏物語』の光源氏のモデルのひとりとされています。
父・宇多天皇に寵愛された歌人の伊勢との恋愛、兄・醍醐天皇の女御だった藤原能子との恋愛・・・。
その生き方が光源氏を彷彿とさせます。
敦慶親王 (あつよししんのう)
888年(仁和3年)~930年(延長8年)2月28日
父は、宇多天皇。
母は、贈皇太后藤原胤子。
宇多天皇の第四皇子で、醍醐天皇の同母弟である。
896年(寛平8年)、母の藤原胤子が卒去し、宇多天皇の女御・藤原温子(ふじわらのよしこ・おんし)の猶子となる。
温子の一人娘で異母妹である均子内親王と結婚。
中務卿、式部卿 などを歴任。二品に叙される。
管弦詩歌に秀でており、醍醐朝の文化興隆に貢献した。
兄の醍醐天皇・叔父の藤原定方・定方の従兄弟である藤原兼輔らと文化的な親交があった。
≪敦慶親王が愛した女性たち≫
均子内親王 (きんしないしんのう)
890年(寛平2年)~910年(延喜10年)
父は、宇多天皇。
母は、宇多天皇中宮藤原温子。(更衣→女御→中宮)
敦慶親王の異母妹にあたり敦慶親王の正妃となる。
歌人の伊勢は、温子と均子内親王に仕えた女房。
孚子内親王 (さねこないしんのう)
生年不明~958年(天徳2年)4月28日
父は、宇多天皇。
母は、宇多天皇更衣徳姫女王。
敦慶親王の異母姉妹にあたる。
歌人としてすぐれていた。
孚子内親王は敦慶親王との恋ののち、源嘉種と偲ぶ恋をしたという。
藤原 能子 (ふじわらのよしこ)
生年不明~964年(応和4年)
父は、三条右大臣藤原定方。
いとこである醍醐天皇の更衣として入内。
913年(延喜13年)10月8日、更衣から女御へ。
三条御息所または衛門御息所と呼ばれた。
醍醐天皇の崩御後、醍醐天皇の弟・敦慶親王と通じ、のちには藤原実頼の妻となる。
歌人としてすぐれていた。
※但し、同時代に生きた藤原能子と藤原仁善子の読みが同じ「よしこ」であるため、記録に混同がみられる。
伊勢 (いせ)
877年(元慶元年)頃?~939年(天慶2年)頃?
父は、藤原継蔭(つぐかげ)。
平安中期の女流歌人。
伊勢の名は、父の藤原継蔭が伊勢守であったことにちなむ。
伊勢の御息所(みやすどころ)、伊勢の御(いせのご)とも呼ばれた。
宇多天皇中宮藤原温子に仕え、温子の弟・藤原仲平(なかひら)と恋愛。
のちに宇多天皇の寵愛を受け、親王を出産するが早世する。
温子崩御後、宇多天皇の皇子・敦慶親王との間に、娘の中務(なかつかさ)を産む。中務もまた、歌人として活躍した。
中務の名は、敦慶親王が中務卿であったことにちなむ。
伊勢は、宇多・醍醐・朱雀三代にわたって歌人として活躍。
歌集『伊勢集』を遺す。
※『伊勢集』は『源氏物語』にも深く影響を与えている。
*『百人一首』に撰ばれている歌
難波潟 みじかき葦の ふしの間も
あはでこの世を 過ぐしてよとや
【参考】
「もっと知りたい源氏物語」著:大塚ひかり/発行:(株)日本実業出版社
「平安時代史事典CD-ROM版」監修:角田文衞/編:(財)古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版
「カラー小倉百人一首」 編著:島津忠夫・櫟原聰/発行:(株)京都書房
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藤原高藤と宮道列子のロマンス>勧修寺
『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとり
敦慶親王
宇多天皇の第四皇子・敦慶(あつよし)親王は、「容姿美麗、好色絶倫なり」と評され、「玉光宮(たまひかるみや)」とも称されました。
その生涯から『源氏物語』の光源氏のモデルのひとりとされています。
父・宇多天皇に寵愛された歌人の伊勢との恋愛、兄・醍醐天皇の女御だった藤原能子との恋愛・・・。
その生き方が光源氏を彷彿とさせます。
敦慶親王 (あつよししんのう)
888年(仁和3年)~930年(延長8年)2月28日
父は、宇多天皇。
母は、贈皇太后藤原胤子。
宇多天皇の第四皇子で、醍醐天皇の同母弟である。
896年(寛平8年)、母の藤原胤子が卒去し、宇多天皇の女御・藤原温子(ふじわらのよしこ・おんし)の猶子となる。
温子の一人娘で異母妹である均子内親王と結婚。
中務卿、式部卿 などを歴任。二品に叙される。
管弦詩歌に秀でており、醍醐朝の文化興隆に貢献した。
兄の醍醐天皇・叔父の藤原定方・定方の従兄弟である藤原兼輔らと文化的な親交があった。
≪敦慶親王が愛した女性たち≫
均子内親王 (きんしないしんのう)
890年(寛平2年)~910年(延喜10年)
父は、宇多天皇。
母は、宇多天皇中宮藤原温子。(更衣→女御→中宮)
敦慶親王の異母妹にあたり敦慶親王の正妃となる。
歌人の伊勢は、温子と均子内親王に仕えた女房。
孚子内親王 (さねこないしんのう)
生年不明~958年(天徳2年)4月28日
父は、宇多天皇。
母は、宇多天皇更衣徳姫女王。
敦慶親王の異母姉妹にあたる。
歌人としてすぐれていた。
孚子内親王は敦慶親王との恋ののち、源嘉種と偲ぶ恋をしたという。
藤原 能子 (ふじわらのよしこ)
生年不明~964年(応和4年)
父は、三条右大臣藤原定方。
いとこである醍醐天皇の更衣として入内。
913年(延喜13年)10月8日、更衣から女御へ。
三条御息所または衛門御息所と呼ばれた。
醍醐天皇の崩御後、醍醐天皇の弟・敦慶親王と通じ、のちには藤原実頼の妻となる。
歌人としてすぐれていた。
※但し、同時代に生きた藤原能子と藤原仁善子の読みが同じ「よしこ」であるため、記録に混同がみられる。
伊勢 (いせ)
877年(元慶元年)頃?~939年(天慶2年)頃?
父は、藤原継蔭(つぐかげ)。
平安中期の女流歌人。
伊勢の名は、父の藤原継蔭が伊勢守であったことにちなむ。
伊勢の御息所(みやすどころ)、伊勢の御(いせのご)とも呼ばれた。
宇多天皇中宮藤原温子に仕え、温子の弟・藤原仲平(なかひら)と恋愛。
のちに宇多天皇の寵愛を受け、親王を出産するが早世する。
温子崩御後、宇多天皇の皇子・敦慶親王との間に、娘の中務(なかつかさ)を産む。中務もまた、歌人として活躍した。
中務の名は、敦慶親王が中務卿であったことにちなむ。
伊勢は、宇多・醍醐・朱雀三代にわたって歌人として活躍。
歌集『伊勢集』を遺す。
※『伊勢集』は『源氏物語』にも深く影響を与えている。
*『百人一首』に撰ばれている歌
難波潟 みじかき葦の ふしの間も
あはでこの世を 過ぐしてよとや
【参考】
「もっと知りたい源氏物語」著:大塚ひかり/発行:(株)日本実業出版社
「平安時代史事典CD-ROM版」監修:角田文衞/編:(財)古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版
「カラー小倉百人一首」 編著:島津忠夫・櫟原聰/発行:(株)京都書房