植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

井上靖の四高通学路を歩く!①

2020-06-30 04:18:59 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1841)

◇井上靖の四高通学路を歩く!①

今まで四高跡(現四高記念文化交流館)、W坂、桜畠楼(現寺町3丁目)は何回か取
り上げて紹介しているが、今回は「井上靖の四高通学路を歩く」をテーマにつないでみた。
井上靖が四高に柔道に熱中しながら疲れて帰る道を約90年前の昭和初期に思いを馳せながら歩きレポートする。

■写真は石川四高記念文化交流館(正門)

○井上靖(いのうえやすし)略歴
明治40年(1907)北海道旭川生まれ、天城湯ヶ島、三島・沼津で過ごす。
昭和2年(1927)年に旧制四高に入学、昭和5年卒業。
京都帝国大学を卒業後大阪毎日新聞社に入社。
小説『闘牛』で第22回芥川賞受賞、文壇デビューは昭和25年(1950)年43歳。
現代小説、歴史小説、エッセイ、自伝的小説、詩集、シルクロードなど創作。
平成3年(1991)永眠、享年83歳



■写真は旧第四高等中学校門衛所



〇旧制第四高等中学校

1886年の帝国大学令により、北海道・沖縄県を除く全国を5区に分割しそれぞれに高等中学校を設置することが定められたが、このうち新潟・富山・石川・福井の北陸4県からなる「第4区」では、金沢に石川県専門学校(その前身は加賀藩の藩校明倫堂および維新後に設立された金沢中学校)を母体とする高等中学校が置かれることとなり、東京の旧制一高、京都の三高に次いで第四高等中学校の設立となった。

■写真は四高記念碑



〇石川四高記念文化交流館

建物は明治24年(1891)に建てられた旧第四高等中学校本館である。翌明治25年(1892)の旧第四高等中学校開校から昭和25年(1950)の旧第四高等学校閉校まで旧制高等学校として使用され、次いで昭和39年(1964)まで金沢大学理学部として使用された。平成20年(2008)に旧第四高等学校に関する資料の展示と文化活動の機会を提供する目的で設置した。



■写真は井上靖『詩集 北国』流星 碑



■写真は石川四高記念文化交流館(四高記念公園より)

□石川四高記念文化交流館ホームページ



〇井上靖の四高通学路を歩く!コース

四高跡(現四高記念交流館)~柿木畠~大工町~中川除町~桜橋~W坂~旧桜畠6番丁(寺町3丁目)

■写真はコース図



〇柿木畠「金沢教会」略歴

明治12年(1879)10月アメリカ合衆国北長老教会宣教師トマス・ウイン先生金沢に移住、伝道を開始 。昭和29年(1954)石浦町から現在地に移り、11月新会堂完成 。平成14年(2002)3月15日新会堂完成



■写真は柿木畠「金沢教会」



■写真は竪町通り



〇立野畳店(有形文化財 建造物)

立野家住宅は、寛永8年(1631)の大火のあと拝領地を受けた藩の大工衆がかつて住んでいた大工町の一角に残る町家の遺構です。立野家は畳店で現当主で7代目に当たり、明治初期にこの建物を購入しました。建築年代は不明ですが、1階平面の原形から建物後部に座敷が無かったことが明らかに確認できることから、19世紀初期は下らないものと推定される。



■写真は大工町「立野畳店」

参考:井上靖の金沢旧制四高時代の下宿
□「市民が見つける金沢再発見の会」ホームページ

(つづく)



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