植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

「金沢~東京 参勤ウオーク」② 津幡駅~倶利伽羅峠~石動駅

2019-04-12 04:07:44 | 日記


IWA東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク」レポート(1525)

◇「金沢~東京 参勤ウオーク」② 津幡駅~倶利伽羅峠~石動駅

石川県ウオーキング協会は2019年3月に金沢城をスタートし、2020年6月江戸加賀藩上上屋敷に到着する、東京2020応援プロクラム「金沢~東京参勤ウオーク」をレポートします。

〇 2019’ 3月27日(水)津幡駅→倶利伽羅峠→石動

天候に恵まれ120名の参加者が津幡駅に集合し倶利伽羅峠越えに挑戦した。

■写真は津幡駅



■写真はスタートする参加者

〇津幡本陣
津幡川にかかる橋の袂に本陣跡があります。

■写真は津幡宿弘願寺をスタートする参加者



〇竹の橋宿
間の宿で休憩に利用されたようだ。

■写真は竹の橋宿の参加者



〇歴史街道「倶利伽羅峠」

砺波山は小矢部市と津幡町との間に位置する倶利伽羅山の古称。広義には、付近の矢立山、源氏ケ峰、国見山なども含める。古くから交通の要所であった。
今から約800年前、源平の争乱のころ、木曾で挙兵し勢力を伸ばす木曾義仲と都から侵攻した平維盛の軍が越中と加賀の国境砺波山で戦う、これが平家物語にも記される倶利伽羅合戦である。倶利伽羅峠は加賀、越中の国境にある標高260mの峠。地獄谷に平家を落としたという「火牛の計」のモニュメントがある。
旧北陸道は加賀国側の津幡町竹橋から不動寺手向神社の南側下を進んだところで加賀、越中の国境を越え石坂を経て埴生に至る。

■写真は竹の橋の峠の参加者



■写真は休憩後スタートする参加者



■写真は龍ケ峰城跡



〇 倶利伽羅不動
倶利迦羅不動寺の創建は、718(養老2)年に元正(げんしょう)天皇の勅願により、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師が倶利迦羅不動明王(ふどうみょうおう)の姿をそのまま彫刻し、奉安したのが始まりと伝えられています。

■写真は倶利伽羅不動に到着



■写真は火牛の計モニュメント



〇倶利伽羅峠 芭蕉塚
「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」芭蕉が倶利伽羅峠を訪れたのは元禄2年(1689)7月15日、新暦の8月29日。この句は後に訪れた越前の燧ヶ城で詠んだものですが、義仲の生涯を偲び詠んだとされます。

■写真は倶利伽羅峠 芭蕉塚



■写真は石坂の参加者



〇埴生(はにゅう)護国八幡宮

創建の正確な年代は不明。伝承によれば養老2年(718年)創建という。 「源平盛衰記」には寿永2年(1183年)5月、木曾義仲が倶利伽羅峠の戦いの戦勝を祈願したといわれる。以来、武将の崇敬を受け、前田利長や佐々成政から社領を寄進された。

■写真は埴生護国八幡神社をスタートする参加者



■写真は今石動宿の参加者

(つづく)


「金沢~東京 参勤ウオーク」① 金沢城公園~津幡駅

2019-04-10 04:20:17 | 日記


IWA東京2020応援プログラム「金沢~東京 参勤ウオーク」レポート(1524 )

◇「金沢~東京 参勤ウオーク」① 金沢城公園~津幡駅 その1

石川県ウオーキング協会は2019年3月に金沢城をスタートし、2020年6月江戸加賀藩上上屋敷に到着する、東京2020応援プロクラム「金沢~東京参勤ウオーク」をレポートします。

〇 加賀藩の参勤・交代

加賀藩の参勤・交代は約2千人から4千人規模だったと言われ、加賀百万石に恥じない伝統と格式に裏付けされた華やかな大名行列は、沿道の庶民に藩と幕府の権威を示し、経済効果もあった。

寛永12(1635)年~文久2(1862)年の227年間、加賀藩では参勤93回、交代97回
の合計190回が実施された。その内181回は旧北國街道、中山道を利用した。

行列は総距離120里(約480㌔)を、1日平均10里(40㌔)を行進した。所要日数は12~13泊の旅程が一番多く、宿泊場所も一度に2千人を宿泊させる場所などなかった為、事前に手配した沿道の民家、寺なども宿泊場所としていた。1回の参勤・交代費用は現在の貨幣価値にすると、約5億円かかったという。



〇 2019’3月13日(水)金沢城→津幡(日帰り、津幡駅解散)

金沢城公園新丸広場にて110名の参加者で出発式を行った。

1)金沢城公園
金沢城の歴史は加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が、天文15年(1546)に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、天正8年(1580)、佐久間盛政が築城を開始、天正11年(1583)、加賀初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされました。
慶長7年(1602)に天守閣が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府への遠慮から再建されませんでした。

2)尾張町
尾張町という町名の由来は、初代藩主・前田利家の生まれ故郷である尾張の国から移住してきた商人の多くが、この地に居を構えたことから名付けられました。金沢城の正門にあたる大手門を出ると武家の住居が集まる大手町があり、その先に尾張商人が多く暮らす尾張町が形成されました。



■写真は金沢城公園での出発式と大手門をスタート(9:08)



■写真は浅野川大橋



3)下口の松門(金沢市大樋町)

参勤で江戸へ向かうおり、ここで行列を緩め旅姿になり江戸へ向かい、交代で遠く江戸から金沢城入場する大名は衣装を整えてから、ここ松門より城下へ入る時行列を立て直し金沢城に入る為の惣門の役割を果たした松です。

■写真は下口の松門



■写真は森本駅



■写真は金沢市北森本町付近



4)旧金沢下口往還松並木

藩政時代には参勤交代をはじめ最も多く利用された幹線路であった。城下入口にあたる下口筋は、下口往還とも呼ばれ、黒松並木が残されている。

■写真は旧金沢下口往還松並木



■写真は北部運動公園スタート



5)浪自加弥(はじかみ)神社遥拝殿

浪自加弥神社遥拝殿がある。この神社は日本で唯一の香辛料の神様で、はじかみとは生姜や山椒、山葵などのように噛んで辛いものを指すという。

■写真は浪自加弥神社遥拝殿



■写真は津幡町内(津幡駅到着13:19)

(つづく)


金沢城公園の春2019 ① 支輪、鼠多門工事中

2019-04-08 04:31:10 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1082(No.1523)

◇金沢城公園の春2019 ① 支輪、鼠多門工事中



■写真は河北門の支輪

〇支輪(しりん)とは

蛇腹あるいはコーニスともいい、社寺建築における、軒裏や折上げ天井の斜めに立ち上がる湾曲した縦材のこと。神社仏閣では多様されているようだが、お城の建築では金沢城だけという。







■写真は橋爪門の支輪







■写真は石川門の支輪







■写真は玉泉院丸庭園の椿







■写真は鼠多門工事中

■撮影日:2019.3.8

(つづく)

「植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました」累計150万ページ達成しました!!

2019-04-07 04:27:05 | 日記


「植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました」累計150万ページ達成しました!!(No.1522)

2010年12月21日に開設したこの観光ブログブログは4月3日に累計アクセス1,500,733ページ、累計訪問391,469IPを達成しました。
今後とも金沢・いしかわを取材し発信しますので、訪問よろしくお願いします。

石川県ウオーキング協会は2019年3月に金沢城をスタートし2020年6月江戸加賀藩上上屋敷に到着する、東京2020応援プロクラム「金沢~東京参勤ウオーク」を3月13日にスタートしました。

■写真は金沢城公園新丸広場の出発式



■写真は大手門をスタートする参加者

兼六園の椿 ⑥ 大白玉、京唐子、不明品種(調査中)

2019-04-06 04:36:11 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1081(No.1521)

◇兼六園の椿 ⑥ 大白玉、京唐子、不明品種(調査中)

〇昨年末から取材中椿の中間報告です。花の撮影を行っているが、椿は一番撮影タミングが難しい。一つ目は9月から5月くらいまで咲く。2つ目はつぼみが出てから開花までの日数がまだつかめない。3つ目は咲いてから時間たつと黒ずんだり、花が落ちてしまう。4つ目は7千種類も品種があるので品種特定が難しいい。
これからも取材が続きそうです。







■写真は大白玉(19.2.23-25)











■写真は京唐子







■写真は桜ヶ岡不明品種









■写真は山崎山付近不明品種

(つづく)

兼六園の椿 ⑤ 紅奴、太郎庵、白玉吹雪、雪椿

2019-04-05 03:25:26 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1080(No.1520)

◇兼六園の椿 ⑤ 紅奴、太郎庵、白玉吹雪、雪椿

〇昨年末から取材中椿の中間報告です。花の撮影を行っているが、椿は一番撮影タミングが難しい。一つ目は9月から5月くらいまで咲く。2つ目はつぼみが出てから開花までの日数がまだつかめない。3つ目は咲いてから時間たつと黒ずんだり、花が落ちてしまう。4つ目は7千種類も品種があるので品種特定が難しいい。
これからも取材が続きそうです。





■写真は紅奴(19.3.6)



■写真は太郎庵(19.3.8)







■写真は白玉吹雪(19.3.19-3.26)







■写真は雪椿(19.3.26-3.30)

(つづく)

金沢の春-5 ひがし茶屋街

2019-04-03 04:20:37 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1079(No.1520)

◇金沢の春-5 ひがし茶屋街

○ひがし茶屋街の概要

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をと
どめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。
現在6軒の茶屋が営業しており、16名の芸妓さんが所属している。



*つららや雪を落とすための長いスコップ





■写真はひがし茶屋街一番町





























■写真は二番町





■写真は三番町



■写真は浅野川

(つづく)

撮影日:2019.3.3


金沢の春-4 泉野、伏見川ほか

2019-04-02 04:23:56 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1078(No.1519)

◇金沢の春-4 泉野、伏見川ほか

日頃ウオーキングしている泉野、伏見川ほかのリポート。

■写真は四十万屋







■写真は泉野の民家





■写真は泉野図書館











■写真は伏見川、富樫の椿

(つづく)

金沢の春-3 寺町 ② 妙立寺、西方寺、玉泉寺、龍渕寺、本是寺

2019-04-01 04:16:33 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1077(No.1518)

◇金沢の春-3 寺町 ② 妙立寺、西方寺、玉泉寺、龍渕寺、本是寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、70近くの寺院が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。



■写真は妙立寺(別名忍者寺)







■写真は西方寺













■写真は玉泉寺





■写真は龍渕寺





■写真は本是寺

(つづく)