いよいよ、今日から7月。
昨日の日記でも、あっという間の人生だった、との感慨を言葉に載せましたが、今年も、まさに光陰矢のごとし。
もう半年が過ぎてしまいました。
年を重ねる毎に、歳月の流れのスピードが早まるとは、よく言われますけれど・・・・・・
正にその思いに、ここ数年は浸ってばかりいます。
焦っても仕方ないことながら・・・・・・
残された余生に、亀の歩みの私ができることなんて、数が知れていて、なんだかちょっと複雑な心境に。
もっと貪欲に生きた方がいいのかしら?
光陰矢のごとしは、時の経過の早さを示す慣用句として、一番よく使用されますが・・・・・・
ネットで検索すると、時に関する諺は、他にもたくさんありますね~
芸術は長く人生は短し
歳月は人を待たず
少年は追いやすく学は成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
最初にあげた、芸術は長く、人生は短し。
本当に字の通りですね~
古今東西、優れた芸術は、国の財産として永久保存といった意気込みを感じますもの。
私達も、そのような芸術の美に触れ、恩恵を享受し、いかに心を潤おわせてもらってきたことでしょう。
ゆえに作品とともに、芸術家の魂も不滅です。
羨ましいことですが、平凡な才能しか持ち合わせない私達には、到底かなわないこと。
肉体が滅んでも、想い出が、次々世代くらいまで生き続けることはありえるかもしれませんが、
いつかは、すべてが消滅してしまいます。
それも潔し、なんて思っていましたが、もしかしてブログは、永久保存?
それもちょっと困りますね~(笑)
対策を検討しなくては。
この世から消えた時に、すべて削除するよう依頼しておくのも、潔いことにも思えたりもします。
私が今、複雑な思いで読書中の村上春樹の書物.
ある女性が自分が綴った過去の思い出記をすべて焼却するよう依頼し、突然なくなってしまうシーンがあります。
それが念頭にあるから、こんな気持ちになるのかしら・・・・・
そして二番目の慣用句、時の性格をよく表した言葉。
歳月は人を待たず
人の都合など待たず、時は時々刻々、変わりなく流れていく、といった意味でしょうか。
これも、思い当たることが、どなたでも色々おありでしょう。
学生時代の定期試験や、受験の準備などでは、それを実感なさいませんでしたか。
準備が十分できていなくても、時は待ってくれず試験期が迫り、とても慌てたものです。
この苦労で懲りたのかしら。
少年は老いやすく学はなり難し。
この慣用句が、上に挙げた諺の中で、一番身に堪えますね~
もう老いてしまった今、この言葉をいくら噛みしめ反省しても、もう遅し。
ブログを綴るようになり、この点は、反省することばかりです。
もっと学問を積んでおけばよかった、もっと幅広く読書に精を出し、豊かな教養を身につけるべきであった、と。
そうすれば、今より、多少は増しな香り高い文章が書け、余生をもっと心豊かに過ごせたのでは、と。
いつも朝日の天声人語を読むたびに、豊饒な知識、見識、感性に感嘆し、憧れるばかりです。
しかし、老いとは、かなり主観的なものですよね。
肉体は老いても、心に青春のたおやかさを失うことなく、日々、向学心に燃えて過ごしておられる方は、大勢いらっしゃることでしょう。
そんな気概が感じられるブログのタイトルも、目にします。
一生勉強、生涯学習等々。
生涯学習は、最近、よく耳にする言葉ですね~
気持ち次第で、自分はまだまだ若い、と思えるでしょう。
そして今から、いろいろなことを学んだって遅くはないはず。
けれど、日々三度の食事の準備に追われ、一向に家事から解放されず、次第に体力が減退していく身の私。
どんなに頑張っても、できることは知れています。
こんな心境になった時、私を支え励ましてくれるのが、最後に挙げた次の諺、
一寸の光陰軽んずべからず
余すところ長くない人生の私には、今一番大切な言葉かも知れません。
二度と巡ってこない今日という新しい1日を、軽んじることなく丁寧に真心込めて生きること。
今が一番素敵の私のブログタイトルにも通じる精神です。
その日々の連なりが、結果的に私を成長させてくれるに違いない、と思いましょう。
愚かなことによる時間泥棒にだけは、くれぐれも気を付けなければ・・・・・・
たとえば探し物。
毎日この時間泥棒に悩まされています。(笑)
私にしては、身の程知らずの精神主義的なことを綴り、なんだか恥ずかしいですけれど・・・・・・
自戒を込めての日記と、ご理解下さいませ。
今日もご訪問下さいまして有難うございました。
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