昨日の記事でも触れましたが、タイトルの言葉をまさにその通り、と思うようなことが、人生上で幾度かありました。
体と心は違う生き物だと感じたことが。
そのもっともたる経験が、両親を介護していた頃の出来事です。
私は五十代に差し掛かる少し前から、認知症が始まった母と同居。
その数年後に、父も体調を崩し、私のもとにやってきました。
そして、その内に、二人とも寝たきりとなり、かなり厳しい介護生活となりました。
その頃は、まだ介護保険制度はありませんでしたが、父母が入退院を繰り返した病院より、訪問看護師さんが週に一回見えていました。
私は環境に順応するのは早いほうで、その変化を素直に受け入れる性格です。
ですから、両親の介護も当たり前のごとく感じて、ストレスにはなっていないつもりでした。
ご近所さんに
「さぞ大変でしょう。よくやられるわね~」
と言わたりすると、
「そんなに大変とは思っていないのですよ。娘として当たり前のことをやっているにすぎませんから」
といつも答えていたものです。
ブログにアップできるような新しい画像が、手元にほとんどなくて。
そのため、昨日、次女宅に出かける夕暮れ時、道すがらで慌てて撮った写真です。
事実、私は元気に明るく介護生活に臨んでいるつもりでいました。
大変になってからは、妹も、週末を除いてほとんど毎日手伝いに来てくれていましたし。
夫の理解もありました。
娘たちは大学生で、青春を謳歌。
何もかも順調に捗って、忙しいながら平穏な日々を送っているつもりでした。
ところが、心に反し、体は違った受け止め方をしていたようです。
寝込むようなことはありませんでしたが、次から次へと、心配事に見舞われました。
まず最初が、メニエル病。
起床時、あるいは床に就いたとき、天井がメリーゴーランドの如く急回転。
グルグルグルグル。
数か月続き、一度病院で診察を受け、メニエルと診断されましたが、その後病院に通う暇もなく、気に留めないように心がけていたら
いつの間にかよくなりました。
またある時は帯状疱疹に。
軽くて済みましたが、病院で頂いたその病の説明書には、ストレスが一因と書かれていました。
またある時は、頭皮に白いうろこのようなものができたりと。
病名は忘れてしまいました。
両親がなくなる5~6年の間に、ストレス病のほとんど経験してしまった私です。
でも心は元気。
鬱になることはもちろんなく、張り切って明るく、介護業、主婦業、母親業に勤しんでいたつもりです。
ですから、体と心は別の生き物と思わざるを得ない心境でした。
体は疲れても、心は元気だったからでしょう。
いずれのストレス病も、居心地が悪くて弱っていたのでしょうか。
自己治癒力で退治。
お医者通いしなくても、1~2か月で回復しました。
似たような経験をしたのが、4~5年前のこと。
バーチャルの世界で少々つらいことがあった時。
私は夫の介護に追われる日々でしたから、努めて明るく振舞い、栄養価の高い三度の食事を作ることや、病院通いに専念していました。
夫には心配をかけたくなかったし、あまりにくだらないことでしたから、話したのは一、二度だけ。
一切触れることはありませんでした。
娘たちにも内緒にしていました。
ところが実際は、娘たちは、すべての経緯を追っていたようです。
それを知ったのは、半年以上経過してからです。
この程度のことは、一人で耐えて平常心で日々を暮らす自信が自分にはありました。
バスもありますが、徒歩15分(私の足だと20分くらいかかります)の次女宅までの道を、てくてくと
できるだけ歩くように心がけています。
ところがこの時も、体は正直に、私のストレスを表しました。
息苦しさ、異常なのどの渇き。味覚が分からなくなり、食欲不振、と。
最初は、その原因がわからず、クリニックを渡り歩き、娘と一緒に大病院で診察を受けたりりもしました。
でもまったく異常なし。
ある日、これはストレスによる自律神経失調症に違いない、と自己診断するに至りました。
すると途端に、不調な体調が快方に向かい、みるみる良くなりました。
でもこの時は、両親を介護している頃のようにはすぐに回復せず、二年半位、辛い症状に悩まされましたけれど。
上に挙げた例からも、私は心と体は別の生き物との実感を、強く抱いています。
けれど、この程度の病でしたら、心が元気であれば、自己治癒力で回復しますが、その後、ますます年を重ねた今。
そんな逞しさが、自分にあるか疑問です。
今後は、深まる秋の風情に似た心境で、のんびりと平穏な日々を送りたい。
今は、そのような気持ちでいっぱいです。
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