nonnon日記
夫が大変で、病院付き添いで長い時間、留守番ばかりさせた時も、いつも
帰ってくれば、「ガアアー」と鳴いて私を歓迎してくれた。
ご飯もしっかり食べて、トイレも綺麗に使い、困らせられることが殆どない。
当初、引き取ることが不安で、少なからず、この‘父がこの世に残して逝った’
18歳の老猫を、「負担」に思っていたけれど、今ではハクは、
父からの「プレゼント」だったと思う。
振り返れば、このハクの九州から北海道への「大移送」には、数人の人間が
関わっている。
まず、父の家の隣の家の小父さん。(ハクを可愛がってくれてハクがよく遊びに
お邪魔した。夏には、勝手に網戸を開けて出入りしたので、網戸がボロボロに
なったと、小父さんから苦情を入れられたこともある、と姉の話)
ところが、ハクは夜になると「出してくれ」と騒いで、必ず父の家で寝たそう。
この小父さんが、移送前の日からハクを拘留しておいてくれた。
(でも80代の一人暮らし。救急車で運ばれた過去があるそうで、健康に自信がない
ので、ハクを引き取ることはできない、と。)
翌日、姉が迎えに行って、ケージに入れて、車で空港まで1時間余りで移送。
空港の貨物カウンターで、姉が「ハクー」と呼びかけたら、「ガーガー」
と鳴いたけれど、空港職員の顔を見た途端、ピターッと沈黙したそうだ。
警戒したのだろう、と姉。
ケージの周囲に紙を貼られ、ハクは何も見えなくなって、それっきり、生まれて
ずーっと18年間、傍で見てきた姉との別れー。(姉も辛かったであろう。)
飛行機の中では大きい音が聞こえたと思うけれど、予め精神安定剤を餌と
一緒に食べさせられたハクは比較的、怯えが緩和されたのではないかと思う。
(これは、私の中学校時代からの友人で、獣医をしている友人からのとても
有難いアドバイスであった。)
北海道の空港では、私の息子が迎えに行った。
「衰弱していないか、ちゃんと生きているか」心配だったようだが、
とにかく無事にケージを受け取って、寒いところに出ると「ガーガー」鳴く
ので「大丈夫だ」と安心したそうだ。最短時間で運べるので、JRで運んだ。
こちらの駅では、私が車で待った。バスの停留所前(そこが一番JRの出口に
近い場所だった。できるだけハクを寒い外気にさらさないように)
で待っていたら、いきなり後ろからバスが来て、「プオー」といきなり追い立て
られたりしたけれど・・・(私の怒りよりずーっと向こうの方が怒ってる!
マァ、ドンマイ!)
「大丈夫かェ、すぐに獣医さんに連れて行かなくちゃならない状態になって
いたらどうしよう・・・」とドキドキした、あの時の緊迫感は今もその場所を
通る度に胸キューンで、血圧が上がりそうな記憶がよみがえる。
で、無事に我が家に帰り着いて、ハク君の長ーい旅は終わった。
ここまでで、5人の人間がハクに関わっているが、さらに背後で強力にサポート
してくれたのが、猫を4匹飼っている猫飼いのエキスパートの40年来の友人。
もしも私がハクにお手上げならば、5匹目の猫を飼ってもいいよ、と申し出て
くれたのである。これは、セーフネットとして、もの凄ーく心強かった。
(感謝、感謝である。)
振り返れば、夫が40度の熱を出したのが、昨年11月22日、
ハクの引き取りが11月26日。夫、2度目に41度の熱を出したのが、
12月7日である。夫の高熱は、体内の石によるもので12月14日~27日
の泌尿器科に入院しての治療後は、すっかり安定してこ2か月間調子がいい。
けれどもハクを引き取るのが、あの時点ではかなりな冒険だったことは事実だ。
(その前、11月上旬にも、一度、ハクの空輸が実行されかかったけれど、
北海道の天候不良で、直行便が欠航になってしまった。乗り継ぎ便だと、
とんでもなく時間が延びるので、ハクには酷すぎるということで延期になった。
12月はさらに天候不順になることが予測されたので、もう猶予ならなかった。)
かなり苦しい決断で、悪くしたら、夫も私もハクも、共倒れになるところであっ
た・・・・。
でもねェ、私には、一つ、「確信」がありましたよ・・・それは・・・
「きっと、亡くなった父が、天国から守ってくれる筈・・・」とね。
ずーっと、老人ホームで、私以上に、ハクのことを心配していた筈。
守護霊となって、ここで守らなかったら、どうする!
ハクを守ろうとする娘の私を守る筈・・・というわけで・・・。
とにかく、現在、有難いことに、夫も私もハクも、元気になってきました。
・・・それから・・・ハクのことを心配して度々メールをくださった心優しき
友人。 ハクは、苦難の日々を送ってはきたけれど、幸せな猫だと思います。
ありがとうございます。