nonnon日記
先月下旬、夫も納得の上で、転院した。
前の病院では、2年半お世話になり、その間、胃瘻と気管切開の手術もし、
主治医の薬の調合も夫にピッタリで、リハビリも毎日しっかりやっていただいた。
病気ながらも、充実した日々も送らせていただいたこと、大変感謝している。
しかし・・・思い返せば、厳しい師長さんに変わったところから、
夫と私の苦難が始まったように思う。
「家族は、絶対に吸引をしてはいけません。何かあったら、こちらの責任に
なりますから」 とその師長さんは、徹底した。(その前の師長さんは、
黙認してくださっていたのだけれど)
その病棟には、夫を含めてコールを押せない人が多かった。
痰が詰まって苦しい人がいても、看護師さんが回ってくるのは1時間に1回。
夫は病気の進行と共に唾液と痰が多くなってきて、午後の面会時間に私が
行くと、痰で胸がベタベタになっていたり、むせている光景も多く見るように
なった。家族がコールを押せば、確実に吸引してくれるので、
段々私は面会時間いっぱいの、午後0時から8時まで、ベッドの横に座って、
夫が痰にむせる度に、コールを押すようになった。
当然、看護師さん達に 「また吸引ですか?」 と不評を買うことに。
仕舞には、コールを押しても「後で行きます」「待ってください」
「さっき取ったばかりです」等、言われることも。
一方で、夫は気管切開してあるカフスの部分が粘度の高い痰で詰まると
呼吸できないので、苦しがって必死で咳き込む。唾液もあふれたものを
飲み込むと、誤嚥性肺炎の確率が高まる。
肺炎を繰り返す人の、苦しそうな咳き込む音とうめき声。
夫をこんな苦しい終わり方の・・・負のスパイラルの中に入れたくない。
・・・・で、結局、追い詰められた私が何をやったかというと・・・・
「コッソリ吸引」 である。
看護師さんが、あまり来ない時間を見計らって・・・
喉と口と鼻の吸引をシャシャシャーとやって・・・
カテーテルやその包装紙、ビニール手袋,等、証拠になるものは、
タオルケットの下に一旦すべりこませる。
それから、誰も来ないのを見計らって、用意した袋に仕舞う。。
これを、ドロボーのごとく、素早くこなさなければならない・・・・・。
帰ってきてから、その本数を数えたら・・・いつも10本近くあった。
3か月以上の間に、見つかって、こっぴどく怒られたこと3回!
人の手ではもう間に合わないので、低圧持続吸引器を付けてください、
と3回お願いしたが・・・
「この病院では、管理上、つけられません。」と断られた。
・・・もはや限界・・・と低圧持続吸引器を付けてくれる病院を探した。
そして、今日は転院して11日目。
確かに、唾液と痰は、ウソのように解決されたが・・・。
私も、犯罪者心理から解放されてホットしたが・・・・。
今度の病院の薬が合わないようで、夫は意識朦朧で目がなかなか
開かない日が続く・・・。 一難去って、また一難、である。
(超個性的な)主治医と面談して(やりあって)やっと、その強い薬
(筋弛緩剤)を3錠から1錠に減らしてもらったが・・・・・
それでもやっぱり夫には強すぎる。
誠実そうな看護師さんが、「いっそ、この薬、止めてみたら」
(そうできれば、最高だけど・・・また痛くなったらどうしよう?)
そんなわけで、この連休は、私にとっては‘闘い‘の日々となった。
前の病院のストレスと、今の病院のストレスとは、
どっちがマシであろうか?
夫は、とにかく痰が楽になった様子で、
「あのまま、前の病院にいたら、連休明けは、また肺炎になっていたよね」
というと、薄目の瞼をパチして答えた。
「頭はしっかりしているよね。瞼がなかなか開かなくても、
薬に負けないで頑張ってね。おとうちゃん、大好きだよ、おとうちゃん、」
と呼びかけて帰ってきた。
まだまだ闘いは続きそうだ。体力を付けなくては・・・・。