nonnon日記
先日の新聞に、「西部ススムさん自殺 ほう助」で二人の親しい方が
逮捕された、という記事が出ていた。記事を読んで、胸が痛んだ。
西部さんは、手が不自由だったそうで、どうしても自分ひとりでできないので
頼んでしまったらしい。思慮分別のある54歳と45歳の親しいお二人に。
西部さんは、「病院で死にたくない」と言っていたそうだ。
もう6年以上、夫の病院付き添いで4っの病院に通った私。
夫の隣のベッドで何人かの人が亡くなり、何人かの人の死を耳にした。
生と死のグレーゾーンで、極限の苦痛や不安に耐えている患者と家族の姿に
他人事でない危機感を感じる日々。
「そのグレーゾーンの時間を回避したい、と考える人がいても不思議ではない。」
と私は思う。
その思いは、非難されるべきものか、肯定されるべきものか、私には解らない。
簡単に裁いてはいけないのではないか? と私は思う。
半面、これが罪にならないとなると、この高齢化社会、あっちでも、こっちでも
・・・、中に紛れて、遺書を偽造した殺人等々、増えることもあるかも知れない。
本能としては、ぎりぎりまで生きよう、とするのが生き物の姿だ・・・。
ましてや、再生医療が進む昨今、もうちょっと辛抱していれば、復活できるの
では、という望みも出てきて・・・・。
いつ復活できるという保証もないのだけれど、漠然と、希望を持ったりする。
西部さんの死を、潔い、と思うか、病気に負けた、と見るか、許されない、
と思うか・・・それも人それぞれであろう。
遅かれ早かれ、人はみんな、あの世に引っ越さねばならないのである。
その引っ越しの仕方は、大問題だけれど、個人の選択の余地は、あったり、
なかったりで、予測もつかない。西田さんの場合は、自分で選択した、
ということであろう。
切に願うのは・・・・
どうか、この「ほう助」のお二人を裁かないで。
これを罪にしてしまわないで。
この重いテーマを、裁ける人がこの世にいるだろうか?