nonnon日記
私の住むマンション向かいの一戸建の家が壊されて先週、更地になった。
それについて、その隣の一戸建の80代の奥さんと立ち話をした。
「おばあちゃんの代からのお付き合いなので、思い出が多くて涙が出るわ。」と。
私も2度程、その頃80代だったおばあちゃんにオイデ、オイデ、をされて、庭の
お花を沢山いただいたことを思い出した。その後おばあちゃんは入院したそうで、
50~60代の娘さんが一人で住んでいた。2週間前にブルドーザーが来て、家は一気に
破壊されて、今は完全に綺麗な更地だ。こんな光景は、この頃よく見かける。
「ここの家の歴史が終わった。」「あの日々はどこへ行ったのだろう。」
と散歩途中に思うけれども、やがてまた新しいピカピカの家が建って、前の古い
家は忘れ去られる。「元々この土地は誰のものでもなかったのか」とも思う。
「生命の起源」はまだまだ解明されないけれど、私も何か縁あってこの世に
現れた「ただの点」に過ぎない気がして来る。
「今日は何を着よう、何を食べよう、夫の病室に何を持って行こう」という
日常の雑務におわれながら、春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。
そうしてそのうち体が悪くなって、どこかに‘収容’されて、用意したお墓に入れて
もらうだろう。そのお墓もいつまでも安泰、でもないかも知れない。
ここまで来たら、あまりみっともなくない人生の終盤期を守れれば、まず
オンノジである。
腎臓を労わって、食べすぎず、飲みすぎず、運動して、できるだけの健康を維持。
行動範囲は無理をせず、自分の能力の範囲以内のお付き合いに縮小。
(守り、に徹して、面白くないバアチャンではある。)
「守り」の生活ではあるけれど、最近、散歩で動植物、生き物から学んだこと、
が一つある。
それは、全ての生物が、必死で、子孫を残そうとすること。
自らの命を削っても、次代を守る。命をつなげて地球上に残そうとすることだ。
花壇でも土の中で花同士の熾烈な陣地拡張競争があり、樹木も今にも枯れそうに
弱っていても最期まで目いっぱい実をつける。「なんで、そこまでするの?」と
尋ねたい位だ。この土地は、人間だけのものではない、今生きている動植物と
共生できる環境を維持しなくては、人間も滅んでいくのでは・・・
と、‘守り’ に徹するバアチャンは心から思う。