河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

雨の日には本でも読んで身のまわりのことを考えよう

2009-07-02 | 大学
先週末の日曜日に本屋で買ってきて読み始めた本に興味深いことが書いてあった。

富士通の成果主義による組織改革の挫折の話である。

富士通では半期毎に各自が目標設定し、その達成度によってボーナスなどに差をつけることにしたのだそうだ。
昨今の厳しい環境ではよくある話である。

ところが評価される社員も、評価する管理職も何をしてよいのかわからず社内は大混乱に陥っていく。

目標は数値化されなければ評価のしようがないが、事務職など仕事の内容を数値化するのがそもそも不可能な職種もある。
数値化が容易な営業職などは評価でAを取るために最初から目標を低く設定するようになった。
開発部門では自分の成績に反映されない仕事は誰もしなくなった。

さらに相対評価を採用したため、目標を達成しても評価が強制的に引き下げられることが起こった。
そうなると、頑張って仕事をしてもばかばかしいと言う雰囲気が生まれてきた。

さらに決定的だったのは管理職の評価が絶対評価だったことである。
管理職は相互評価なのでお互いに悪い評価を出せなかったのだ。

その結果管理職は全てA評価で、一般職は頑張っても低い評価となる。
ばかばかしくなって社員がやめていく。

あわてて、一般社員にも絶対評価を導入する。
みんなA評価になる。

これでは手間暇かけて評価する意味は全くなくなる。
かくして富士通の成果主義は完全に崩壊したのだそうだ。


大学改革にも企業における成果主義が取り入れられ始めているが、富士通でできなかったことが大学でできるかどうか非常に疑問である。
製品を作る、あるいは製品を売る等という行為は数値化がかなり簡単だと思うが、大学教員が行う教育、研究、社会貢献等というものは一律の尺度で評価するのになじまないからだ。

例えば教員が行っている講義時間を正確にカウントすることですらなかなかできない。
単純に授業を行っているだけでなく、学外実習や演習、ゼミでの研究指導など複雑に絡んでくるからである。

それでも果敢に成果主義を導入しようとしたらどうなるか。

富士通の失敗を材料にして考えると、
まず、管理職(役職者)を一般教員と分けて別の基準で特別扱いすると信頼を失い失敗するだろう。
評価は相対評価ではなく、妥当な目標設定を元に絶対評価で行うことが必要だろう。
そうなると妥当な目標設定というものが問題になってくる。
当然教員は各自専門も違えば能力も異なる。
職位も異なる。
どうやって公平で妥当な目標設定を行うのか。

たとえば役職者は校務で忙しいから科研費を申請しなくてもよいというような目標設定であれば最初から頓挫するのは目に見えているように思う。
コメント
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