前にも書きましたが、ゴータマ(ブッダ)は、王族に生まれたことによって
毎日のように宴会をやっているような生活をしていた(らしい)。
ある時、そんな生活に疑問を感じた青年ゴータマは悩み王城を飛び出してしまった。
当時のインドでは修行と言えば「苦行」であったので、ゴータマは師について
「苦行」を行って、そのことにも疑問を感じ、ただただ「瞑想」に耽った。
幼少~青年期の「享楽の日々」と王城を飛び出し、師について「苦行三昧」をした日々。
様々な経験をしたゴータマは「苦・楽中道」というのを見いだしたのですが、
いわば「内観」をひたすらするのではないかと思うのです。
「内観」をする手段として「苦行」はいらないという決断だったのでしょう。
私もそう思うのです。
いくら肉体をいじめても少しの間隔を空けただけで人間は今までの到達点から
転げ落ちやすいものです。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉が端的に表しているでしょう。
私の方法は、様々な事象から自分の中で消化しながら、
自分と相照らすということです。
そして、自分がずれていると気付けば「軌道修正」をする。
それを一生涯を通じて行う。
偶像崇拝は要らないけれど、自分は弱い人間なので
時々内観の助けとして手を合わす・・・
でも、でもドップリ崇拝は嫌だね。
ゴータマもそんなことは望んではいない。