生きていると「え~、この先浮かぶことあるの?」というような「窪みの時期(=スランプ/うつせみ創作語)」は誰にもあるものです。
私の経験でいうと、体の痛みは耐えられると思うし、そう生きてきた。ですが、それによってガマンしすぎて精神的に病んだということもあります。そのように『体→心』という経路で病んでいったわけですが、時が経つにつれ心の病みも軽減されて来たのですが…。
経験的に心の傷は一度傷つくと、またその心の傷から出血し、痛みが出ることが非常に多い。また、うつせみ創作語でいうと「同じ穴ぼこに落ちる」と言うことになりがちです。つまりは『再発』というと解りやすいですね。ここからはさらに私の「暴走」ですが、『再発』とは言いましたが、真の意味で言うと『再』ではありません。その時その時の出来事が「初対面」であって「顔見知り」の出来事ではない。
なので過去の経験はあまり役に立たない。せいぜい「頼りないガイド」程度です。
体の痛みによる「live or die(生きるか死ぬか)」は、私は結構その時は楽しんでいました(笑)というか「笑うしかなかった、楽しむ他なかった」と言った方が正確かも知れません。なにせ、かつぎ込まれた病院で管(くだ)や、さまざま機械に囲まれた状態で自分では為す術がなかった。ICUで天井を見上げて「明日の朝、生きてないのかな?」と思ったら、なにか笑えてきましたね。無防備な私にはそうするほかありませんでしたね。
そんなこんなで、問題はその後です、はい。事故後、全ての関連手術が終わった頃からムクムクと頭をもたげてきて、出勤が一番の問題で「今日休みます」と電話すれば体は軽く、その日はいつもの喫茶店で店員のお兄ちゃんをからかったり、店長さんと馬鹿話をしたりしてその日を過ごすことが出来ました。その当時「社会復帰できるのか?」ということでした。
その後に押し寄せたのは「生きていいる価値」「死ぬべきではなかったのか!?」「いや、死ぬべきだ!」・・・
過食、過剰飲酒、過活動、どっぷり鬱、寝たきりや睡眠障害などを繰り返し経験する中で、その渦中では「楽しむ」どころではなかった。精神=心を病むことの深遠・深淵さをおもいしりましたね。これならば体の苦しみのみで死んでしまった方が良かったと思ったほどでした。
そんな過去の経験の中で考えると、自分の「幸・不幸の平均値」を事故後超えていないと思う。で、この先「浮く!」とは到底思えないわけですね。「不幸のトラウマ」ということになるのかな?
そんな経験で私が得た考え、感覚は『すべてはお任せ』ということ。事象にすべてお任せということです。以前、勤めていた病院で『当事者研究』のプログラムで、自己紹介代わりに言っていたのが『人生おまかせ定食』と言っていましたが、それは人生を捨てたわけではなくて「流れに抗わない」ということですね。その前職も「居づらくなったからずらかった」というわけです(笑)多少の舵(かじ)はきります。健康を害してはいけないのでね。
楽観的にはなかなかなれないけど、「窪みの時期に絶望しない」ということです。穴ぼこに落ちないように気をつけてね。
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