きのうの朝日新聞「星の林に(ピーター・J・マクミランの詩歌翻遊)に載った「万葉集」大友家持の歌。
戦時日本の国民歌謡「海行かば」(信時潔作曲)は、この詩をもとにした。
記事によると、「ラジオで日本軍の玉砕が伝えられる時には、いつもこの曲が流された。」という。
Your Majesty =「大君」=「天皇陛下」のおそばで死ぬことを何らためらわない、という今からして言えば、国家神道という「宗教」にマインドコントロールされた多くの国民が、戦における死というものを美化し、こだわりなく受容できた歌だ。
マクミランさんの、この記事によれば、この歌は、家持という武門の家の者が雇い主である聖武天皇に忠誠を誓ったものであって、誰もが心に刻む言葉ではなかった、という。
天皇制は古代より脈々と維持されてきたが、どれだけの庶民が、天皇のおそばで死のう、「I care nothing for what become of me.私に何が起きてもまったく気にしない。」という気持ちで人生を送ったというのか。
歴史を振り返ると、そのような不幸な時代は、長く括っても1904(日露戦争)後~1945年(敗戦)までのわずか40年たらずだと思う。歴史の中の一瞬にすぎない。
つくづく宗教によるマインドコントロールというものは恐いと思ったが、これが為政者と結びつくとがさらに恐ろしいことを、40年の歴史が語りかけてくれる。
いま、ある為政者の抹殺を契機に世界統一を目論む「特定の宗教団体」によるマインドコントロールの危険性とわが国の為政者との結びつきが毎日のように報道されているが、わが国が、くれぐれもあの40年に遡らないように、マスコミも言論人も国民世論も一発奮起して、この際、危険の芽を徹底的に摘んでほしい。
敗戦後77年の時を経た今、この歌に接し、そんなことを祈られず入られない。あの40年のあいだに、マインドコントロールのうちに逝った多くのヒトビトに合掌。
Even if I die while at sea,
become a corpse soaked in sea water
or while in the mountains,
become a corpse from which grasses grow,
let me die beside you, Your Majesty.
I care nothing for what become of me.
【妙出】・・・・海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かえり見は せじ・・・・
海行かば・・・・・・
山行かば・・・・
「Your Majesty」⇒「Mother Nature(母なる自然)」と換えるなら、オイラはこの詩を受け入れよう。
iijima tamonさんのYouTube お借りします