月末は、上高地から12年ぶりに徳本峠に登る予定である。実は石垣島の仲間らと涸沢と蝶ヶ岳の山小屋に泊まる計画を立てていたのだが、涸沢がどうしても予約できなかったので、徳本峠から蝶ヶ岳を目指すこととしたのだ。
今からは考えられないことだが、2012年10月、当時のランナー仲間K君と往年のクラッシックルートである「徳本峠越え」をやろうということで、早朝に島々の集落をスタートし、片道8時間のコースを島々谷を辿って昼過ぎには徳本峠(2140m)に到着して、それぞれのテントを張ってから、往復7時間の霞沢岳(2645.8m)を登ってきて、峠に戻っ頃にはすっかり暗くなっていた強烈な思い出がある。幸い、まだ小屋が営業をしていて、二人で乾杯した缶ビールの味は格別だった。
そんな強烈な思い出の徳本峠だから、深田久弥さんの何かの紀行文で、深田さん家族がいつだったか上高地に行ったときに徳本峠から島々へのルートを下ったのだが、途中で日没になってひどい目にあったことを書いていたことを思い出し、またこの顛末を今になって読みたくなった。
ちなみに、下記の写真は、2021年ヤマケイ新年号「深田久弥と『日本百名山』」に掲載された深田一家の昭和30年8月横尾山荘での写真である。
この写真と説明書きを読んで、かつてオイラが読んだ深田家族の徳本峠越えの一件はこの時期のことだったのだと分かったが、どういうわけかいつか読んだあの時の紀行文はオイラが所有している「深田久弥・山の文学全集」(朝日新聞社)でみつからなかった。調べてみたが、どうやらこの全集3巻「わが愛する山」に掲載されていたようだが、この第3巻は1990年代後半に後輩のMくんに貸したままそのままになっていたことを思い出した。オイラが、深田家族の徳本峠越えに難儀したことを読んだのは、どうやらこの巻に掲載されている「雨の徳本峠」という文章だった可能性が大である。
どうしても、もう一度その紀行文が読みたくてヤマケイ文庫に掲載されているというので、きのうAmazonに注文したら、今夜には届けられるという。届いたらゆっくり読み直して眠ろう。
思い出の徳本峠。あのウエストンも高村光太郎夫妻も芥川龍之介も深田久弥一家も越えた歴史の峠。再訪の折に、オイラは何を感じることだろう。
雨のため常念山脈縦走をあきらめて横尾から徳本峠越えで島々に下った深田一家の写真は貴重ですね。
昭和31年8月だという。久弥53歳、妻志げ子〇〇歳、長男森太郎12・3歳、次男沢二7歳かな?まだ小学低学年の沢二くんは真っ暗で長い徳本峠越えルートににさぞや音を上げただろうに・・・