かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

1771年4月23日

2017-03-12 07:10:11 | 日記

モーツァルトが15歳でイタリアに旅をして喝采を浴びていたころ、日本では、田沼意次が老中をして賄賂をもらっていたり、与謝野蕪村が「菜の花や」などの句作をしていたころの1771年4月23日午前8時ころに、、いわゆる「明和の大津波」が八重山地方を襲い、最大80mの標高まで到達したといわれ、八重山で9000人以上、宮古で2000人以上の人が犠牲になったと伝えられる。今日は、津波で生き延びた人が肩を寄せ合い数日を過ごしたといわれる近所のタコラーサ石まで3.11の祈りをかねてジョギングしてきたが、この場所は、標高64mのところで、ここまでは波が来なかったといわれている。

 

だから、東日本や、東海や、南海だけでなく、弧を描いた地形は、地殻のひずみがもたらしたものと思われ、日本列島も琉球弧もいつまた、大きなやつがやってくるとも限らない。我が家はいま標高25mの3階建ての部屋だが、明和と同じやつがきたら飲み込まれるかもしれない。天災は忘れたころにやってくる。この八重山を再び大津波が押し寄せるとき、もう、この世にいないかもしれないし、明日かもしれないし、まったく、地球規模の災禍というものは、不条理というやつだ。

だが、とにかく、津波の場合は、高みへ、高みへ、自分の足で逃げ延びることだ。「津波てんでんこ」。

ちなみに、今度の4月23日の朝は、宮古島のトライアスロンで、泳いでいるころだ。まったく同じ時間に襲われば、・・・・ありんこたちは、沖へ沖へと・・・・

 

http://www.zephyr.justhpbs.jp/meiwa_tunami.html

 

この石の裏がわに、いまは供養塔が設けられている。

http://www.pref.okinawa.jp/site/doboku/kaibo/h27tunami/documents/h27-my-a-1.pdf

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