かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

冨士登頂卒業式をめざしてにわかトレ開始・・

2022-08-25 17:10:01 | 日記

2018年4月27日

最後のUTMF関連でSTY(静岡to山梨90k)に参加するも35地点で早くも途中関門


2019年7月1日 

前日、河口湖駅スタート、船津口より奥庭荘前泊で富士山山開きに向かうも悪天により5合目から吉田口下山

*この年の9月に富士宮口五合目からプリンスルート~宝永山経由、わらじ館一泊で御殿場コースから登頂していたことは忘れていた。(追記)


2020年 新型コロナ禍により富士山登山道閉鎖


2021年7月1日 

前日、北口浅間神社スタート吉田口より7合目東洋館前泊、富士山山開きに向かうも悪天により8合目でから吉田口下山


 

2000年以降、その山の大いさを尊崇し、のめり込んで、麓から古道をたどって登らせていただいたり、麓を周遊するイベントに参加させていただいた霊峰富士山へのかかわりは、この4年間、上記のようにおおかた外的要因のため惨憺たる「不調」に遭っている。

これまで、とくに近世以来の富士詣にならって麓から富士山頂を目指すルート、すなわち吉田口、須山口、精進口、村山口(海抜0mの田子の浦スタート)を歩いてきたが、静岡県の東口須走浅間神社(富士浅間神社)を起点とする須走口からの古道(現在は、富士箱根トレイル・富士あざみルートとして整備)だけは歩き残していたので、早いうちにこのルートを歩いて、「とりあえずの卒業式」(登りたくなったらまた行こうという意味で)を済ませたいと思っていた。

この夏は、何の因果か、7月末に急にG病が悪化したため、自宅療養に専念して富士山どころか、どこの山にも出かけられないという事態に見舞われた。が、このところ調子がよくなって、歩くこと、運動すること、汗をかくことにさほど支障がなくなったので、そろそろリハビリを兼ねて出かけたい気分に見舞われていたが、昨夜、「そうだ、あの富士山卒業式ならゆっくり上り下りすればなんとか行けそうだ」という気になった。

2022年の夏、はやお盆も過ぎて、来月9月10日の閉山まであと2週間余りとなったが、1か月以上の自宅療養でほとんど運動はしておらんし、体重も増えた。いいことといえば、アルコールから脱却できたことだけだが、体調はいまいち芳しくない。

ということで、付け焼刃的ではあるが、本日から始動。涼しくなったので、まず、青葉城まで6,7kのウォーキングをしてきた。・・・たしかに足腰がへばっていることを自覚。

が、このところ富士山で疲労による救助要請が多発していることを聞いているので、なんとしてもそんな恥ずかしい目に遭わないように、明日から「特訓」といこう。・・・・・背に腹は代えられん。少しは戻るか。体力。

 

 

 

2018年4月精進湖からの富士  

 

2018年4月河口湖畔にみつけたの富士登山像

 

杖代わりにストック1本持参で、軽量化登山と行こうぜ!

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初秋(はつあき)のモーツァルト

2022-08-21 15:49:37 | 日記

山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズは、BSテレ東で土曜日の夕方、ほぼ2年おきにくり返し放映されているが、ほぼ全編録画していることもあり、もう何度も何度も繰り返し見てきたこともあり、このところ映画の始めから終わりまであまり通しで見ることはなくなった。

物語を起・承・転・結に分ければ、寅さんが恋の絶頂にいたる「起」と「承」あたりまで観て、その後の視聴を停止していることが多い。理由は、寅さんの失恋が辛いこともあるのだろうし、それのマンネリが嫌だという気持ちからなのかもしれない。

昨夜は、ちょうど30年前の1992年12月に封切りされた、シリーズ45作目の「寅次郎の青春」をやっていた。この作品のロケ地は、宮崎県の青島や油津や飫肥城(おびじょう)。マドンナは、風吹ジユン。

オイラは、この作品の油津の風景、とくに油津の海の近くの家並と堀川運河に架かる橋からの飫肥杉水運風景や寅さんと風吹ジュンのやり取りが好きだが、それにもましてこのシーンの後、蝶子(風吹ジュン)がひとり営む理髪店に、寅さんを「髪刈っていきんさい」と誘って、静かな店内で、理髪用椅子を倒し、寅さんの顔に熱いタオルを当てた後、シャボンを頬から顎一面になぞりつけ、ゆっくりと髭を剃っていくシーンが、なんとも色っぽくて、好きだ。髭剃りの鋭利な刃が頬を伝う快感と吐息のかかるような近距離で接近する女性の色気を寅さんとともに体験し、この世の安らぎというものを一手に引き受けるようなシーンが好きでたまらない。鳥かごの赤い小鳥。放たれた窓からやさしくカーテンを揺らす風が静けさを誘う。

 

     

この散髪中、小さなラジカセから流れる音楽が、モーツァルトのクラリネット協奏曲の第2楽章だ。

モーツァルト晩年のこの何とも物哀しく、甘美で、静かな音楽が、上記シーンの快感と重なって、安らかさをより一層つのらせてくれる。(この46作が寅さんの「晩年」の作品であることもあり、まるで寅さんが天国の理髪店で憩いでいるときに流れる天上の音楽にも聴こえるが・・・)

この映画の季節は、冒頭近くに柴又とらやのおばちゃんたちがお月見の話をしていることから、初秋9月ころなのだろう。

オイラは、どうゆう理由なのか分からないが、暑い夏が過ぎて、あるいは夏真っ盛りの季節の中にいて、ふと「秋を感じるころ」に、モーツァルトを聴きたくなる。冬に「春を感じるころ」も同じだが。

上記の協奏曲もいいがクラリネット五重奏などの室内楽やピアノソナタなども秋の気配に馴染む音源だ。この季節、しばらくモーツァルトを聴いていよう。

 

 

昨夜は、この理髪店でのシーンにうっとりして少しあと、寅さんが仲良くなった蝶子と飫肥城内をデートをしている最中に、甥の満男の彼女である泉ちゃん(後藤久美子)と城内の階段で偶然に出会い、何やら不思議な三角関係もあって、あわてた寅さんが石段を踏み外してケガをする(いつもどおり大げさな軽傷なのだが・・・)という相変わらずのドタバタシーンで視聴を止めた。

2019年3月にオイラは、石垣島から仙台までの北帰輪行の途次、どうしてもこの作品のロケ地に立ち寄りたくて、油津の港や飫肥城、青島の鬼の洗濯板などを周遊した。昨夜またこの作品を見直して、どうしたわけか風吹ジュンの理髪店があっただろう堀川運河界隈だけの周遊の機会を逃したことだけが、心残りであったが、飫肥城の階段を踏むことができて幸いを思い出した。

だが、ロケ地というのはどことなくさみしい思いがする。あの飫肥城の階段の下でいつまで待っても、寅さんも蝶子も泉ちゃんも決して現れることはないのだから。

 

 

         

 

 

 

     

 

 

 

 

 

     

 

  今の季節に道端に開くヒルガオのピンクは、まさに理髪店主蝶子のユニフォームの色と同じ

 

 

 

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819 HAIKU= 俳句の日に寄せて

2022-08-19 20:18:27 | 日記

Abobe the rough seas,  

荒海や

stretching herself out over Sado Island

佐渡に横たふ

The Milky Way.

天河

 

* 芭蕉が奥の細道で詠んだ句を、ピーター・J・マクミランさんが英訳したもの

 

 

8月19日は、語呂合わせで「俳句の日」であることをテレビ朝日グッドモーニングの林修先生に教えられた。

7月末発症のG病のせいで、ずいぶんと野外に出かけなくなって、俳句の真髄たる「写生」の機会を失っていて、いつの間にか立秋、旧盆も超えてしまった。

歩くことも、汗をかくことも苦にならないくらい回復しているので、そろそろ、カメラをぶら下げた写すだけの「写生」をはじめよう。ひさびさ晴れ渡ったので、3週間ぶりに野草園に立ち寄る。木陰のベンチで「速読英単語」にセミ声をいっとき忘れる時間帯もあったが、いまだミンミンとツクツクは元気に夏を謳歌していた。

木陰にいて微風に吹かれていたら、もう「酷暑」という言葉は消えていた。花も実もすこしづつ秋色に染まっていると感じた。

芭蕉の「天河」のような大きくて広くて宇宙の音が鳴り響いているような俳句を生涯一句でも作りたいなと、常々思っている。そろそろ星空も恋しくなっているのだし、やはり俳句は「写生」=「臨場」から生まれるのだろう。もう、お尻のことなど忘れて出かけたくてたまらない。明日から、まずはWalking。そして、「句」を生み出そう。

 

   

      ミズヒキの グラフに添いて 秋は来ぬ

 

    

       UFOを 待ちわびている ショウマかな (レンゲショウマ)

 

    

          ミソハギや 集めて重き 蜜団子  (トラマルハナバチ)

      

 

     

             初秋の 燭ともなろう 黄一色 (女郎花・オミナエシ)

             

 

         

            ぼろぼろの 蝶の軽みや 松虫草  (ジャノメチヨウ)

      

             カンボクや あの子この子と いそぐ秋

   

 

       

             ララバイは うすくらがりの あざみ歌 (ダキハヒメアザミ) 

 

       

            吾亦紅  きみもそうかと  つぶやけり

 

       

       

        アリも チョウも 寄せては匂ふ 臭木かな

 

 

 

       

            合歓木の 日傘に騒ぐ  エナガの子

 

 

 

 

 

 

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雨上がり 五山送り火 ・・・

2022-08-17 19:14:41 | 日記

昨夜、3年ぶりとなる京都の大文字の送り火が行われていた。 

BS日テレで先代円楽、歌丸が元気だったころの「笑点なつかし版」を見ていて、CM中、たまたまチャンネルを切り替えたらNHKBSプレミアムでライブ中継をやっていた。お盆最終日の送り火の行事だということを知った。

大文字送り火は、「五山送り火」ともいわれ、東山の如意ヶ嶽の大文字ほか四山(妙法・舟形・左大文字・鳥居形)にそれぞれ「妙・法文字」、「舟形」、「左大文字」、「鳥居形」のかがり火が午後八時ころから灯され、すっかり日が落ちた京の山並みに鎮魂の火を輝かせる。

BSのライブをイヤホンで視聴していたら、はじめ物凄い雨の音。驟雨というよりも豪雨だ。「これじゃ、松明の火も消され、とても点火、燃焼には至らないだろう。」と直感し、お天気アプリの雨雲の動きを見たら、京都一円がマッカッカの雲。コロナに続くなんという天邪鬼のいたずらなんだと、大会関係者や京都市民の心中はいかばかりか・・と見続けるのが辛くなって、「笑点なつかし版」へ・・・・

笑点が終わったので、午後八時過ぎ、こわいもの見たさにBSプレミアムにもどると、何と、ウソのように先ほどまでの雨が上がり、各山の関係者が松明を文字や絵型をかたどるかがり火に点火作業を始めていたではないか。

しばらくして、各山の闇に「大」「妙・法」「🚢」「大」「⛩」が浮かび上がる。

ライブ中継の.点火現場にかがり火の爆ぜる音が響く。

火の粉が舞う。煙が闇空に昇る。僧侶の読経がこだまする。

「ああ、現地に立って、かがり火の熱を感じ、煙りを嗅ぎたいな」

どうしようもなく、木片や藁のくすぶる匂いが好きだ。どうしようもなく懐かしい。

「ああ、いいな、ご先祖さまたちは、こんな芳香に包まれて天に昇れて・・・」

「鳥居形」を仰ぐ猿沢の池に、先ほどの雨のためいったんは消失したという燈篭が浮かび、「鳥居」の火を背にして静かに漂う。なんという平和な送りの宵だ。

 

絶望的に京都の町を覆っていた真っ赤っかな雨雲をまたたくまに払拭し、五山送り火を京都の暗闇に輝かせてくれたのは「何かしらの力」だつたと信じたい。そのような力が、暗澹たる現代にいまだに存在することを信じたい。

はじめて、五山送り火の全貌を目の当たりにしたが、とても懐かしい気がした。どうしてなんだろう。

 

 

星還る

みなを送りぬ

五山の火

 

 

 

 

 

BSプレミアムの画面を撮影させていただき、少し編集した。ご先祖に免じてお許し願いたい。

 

   

    如意ケ嶽「大文字」

 

 

    

    妙法山

 

    

     舟形山

 

    

     左大文字山

 

    

     鳥居形山と猿沢の池の灯篭たち

 

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ピーター・J・マクミランに学ぶ敗戦の日

2022-08-15 12:01:44 | 日記

きのうの朝日新聞「星の林に(ピーター・J・マクミランの詩歌翻遊)に載った「万葉集」大友家持の歌。

戦時日本の国民歌謡「海行かば」(信時潔作曲)は、この詩をもとにした。

記事によると、「ラジオで日本軍の玉砕が伝えられる時には、いつもこの曲が流された。」という。

Your Majesty =「大君」=「天皇陛下」のおそばで死ぬことを何らためらわない、という今からして言えば、国家神道という「宗教」にマインドコントロールされた多くの国民が、戦における死というものを美化し、こだわりなく受容できた歌だ。

マクミランさんの、この記事によれば、この歌は、家持という武門の家の者が雇い主である聖武天皇に忠誠を誓ったものであって、誰もが心に刻む言葉ではなかった、という。

天皇制は古代より脈々と維持されてきたが、どれだけの庶民が、天皇のおそばで死のう、「I care nothing for what become of me.私に何が起きてもまったく気にしない。」という気持ちで人生を送ったというのか。

歴史を振り返ると、そのような不幸な時代は、長く括っても1904(日露戦争)後~1945年(敗戦)までのわずか40年たらずだと思う。歴史の中の一瞬にすぎない。

つくづく宗教によるマインドコントロールというものは恐いと思ったが、これが為政者と結びつくとがさらに恐ろしいことを、40年の歴史が語りかけてくれる。

いま、ある為政者の抹殺を契機に世界統一を目論む「特定の宗教団体」によるマインドコントロールの危険性とわが国の為政者との結びつきが毎日のように報道されているが、わが国が、くれぐれもあの40年に遡らないように、マスコミも言論人も国民世論も一発奮起して、この際、危険の芽を徹底的に摘んでほしい。

敗戦後77年の時を経た今、この歌に接し、そんなことを祈られず入られない。あの40年のあいだに、マインドコントロールのうちに逝った多くのヒトビトに合掌。

 

Even if I die while at sea,

become a corpse soaked in sea water

or while in the mountains,

become a corpse from which grasses grow,

let me die beside you, Your Majesty.

I care nothing for what become of me.

【妙出】・・・・海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かえり見は せじ・・・・

    

      海行かば・・・・・・

    

      山行かば・・・・

     

 「Your Majesty」⇒「Mother Nature(母なる自然)」と換えるなら、オイラはこの詩を受け入れよう。

 

 

 

 

 

 iijima tamonさんのYouTube お借りします

         

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