今日は2人の先輩先生に会いに行きました。
午前中は、玄関に‘一本門松’があるH先生宅。‘一本門松’の謂われとして、年末に門松を作っているときに殿さまが殺されたことを聞き、駆けつけたが間に合わなかった、それ以来、門松は1本しか立てないというようになった、のだそうです。この先生のお宅はその時の家臣の末裔、今年も玄関前に門松が1本立てられていました。先生とは、ときどきは会う機会があるのですが、むかし同勤した頃の話題で盛り上がりました。
午後からは老人福祉施設におられるO先生に会いに行きました。来月に満100歳になられます。久しぶりにお会いしましたがバリバリ元気で100歳とはとても思えない達者さでした。郷土史に詳しい方で“人吉球磨での西南戦争”についての本も書かれています。お会いして(やまえと西南の役展)の参考にさせていただこうと思って話を聞きにいったのです。いろいろとよく覚えておられて教えてもらいました。
じつは私の父親の担任だった先生なのです。父が小学生の頃のこともよく覚えておられて、とても100歳とは思えない記憶力でした。人吉球磨での西南戦争のこともいろいろと聞くことができました。
今日は2人の先輩先生の話を聞いて参考になりました。
今日の天気(→)
午前中は、玄関に‘一本門松’があるH先生宅。‘一本門松’の謂われとして、年末に門松を作っているときに殿さまが殺されたことを聞き、駆けつけたが間に合わなかった、それ以来、門松は1本しか立てないというようになった、のだそうです。この先生のお宅はその時の家臣の末裔、今年も玄関前に門松が1本立てられていました。先生とは、ときどきは会う機会があるのですが、むかし同勤した頃の話題で盛り上がりました。
午後からは老人福祉施設におられるO先生に会いに行きました。来月に満100歳になられます。久しぶりにお会いしましたがバリバリ元気で100歳とはとても思えない達者さでした。郷土史に詳しい方で“人吉球磨での西南戦争”についての本も書かれています。お会いして(やまえと西南の役展)の参考にさせていただこうと思って話を聞きにいったのです。いろいろとよく覚えておられて教えてもらいました。
じつは私の父親の担任だった先生なのです。父が小学生の頃のこともよく覚えておられて、とても100歳とは思えない記憶力でした。人吉球磨での西南戦争のこともいろいろと聞くことができました。
今日は2人の先輩先生の話を聞いて参考になりました。
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