7月 10日
まだたくさん残っています「戦友会」。
第二次世界大戦が終わってからあと数年で70年ですよ。
ってことで無事に生還した兵士も高齢になったり亡く
なったりして、戦友会も自然消滅したり、記念の年に
解散したりして、だいぶ少なくなったそうですが、まだ
まだ多くあるようですね。
17~18歳で志願した少年兵でも85歳ぐらいだもの。
そいでね。なんだか戦友会っていうと、勇ましいことを
言い合ったり、軍歌を放吟したり、武勇伝を披露したり。
そういうものだろうなぁ。って思ってしまいますよね。
そういう会もたしかにあるそうですが、多くの戦友会は
静かに語り合ったり、愚行を反省したり、真面目に旧交を
暖めあったりしているんだそうです。
いくつもの戦友会を掛け持ちしている人もいるそうですよ。
そういう人は部隊や学校や戦地など、自分が少しでも関係
していると思われる会に入っているんだそうです。
そうそう、兵隊が入隊するときは「原隊」といって、自分の
本籍地により指定された部隊に入隊(その後、振り分けられる
こともある)なんだそうですよ。普通は。
つうことで、東京に住んでいても、出身が地方なら、その
地方ごとに定められている部隊に入るんだそうです。(東北は
青森とか盛岡とかね)
アタイの父親は1944年から1年間ぐらい、房総半島で
本土決戦に備えてタコつぼ掘りをしていたそうです。
といっても、靴屋さんで修業していたので、上官に命令
されて靴の補修ばかりやっていたそうですよ。(タコつぼ
掘りはほとんどしていなかった。と言っていました)
我が家のご主人の父親は南の島で敵機襲来の監視。
飛行機や船舶の監視だから、敵に見つかるといけないので、
目立つことをしてはいけません。ということで、戦闘行動は
無しで、敗戦までジッと監視したままだったそうですよ。
んでね。アタイの父親は短期間で国内だけの兵役だったので
軍人恩給は無しでした。
ご主人の父親(義父)は南国で数年の兵役でしたから、軍人
恩給有り。
ただし、義父は恩給の請求をしていませんでした。敗戦後も
ずいぶん経ってから手続きしたんじゃないかな?(よくは知ら
ないけれど)
だもんだから、証拠や証人を探すのがタイヘンだったそう
です。本当に兵士だったのか、どの部隊に所属していたのか、
その場(海外)にいたのか、本人だと証明しなければならない
んですよね。
こういうときに戦友会が登場するんですねぇ。
戦友会に入って、同じ部隊にいた(顔を知っている)人に
証人となってもらうんですよね。
(義父が戦友会に入っていたかどうかは?です)
70年間近くも、「こういう会を作る必要がない。」っていう
時代が続いていますが、これからもこのままだといいなぁ。
ですね。
まだたくさん残っています「戦友会」。
第二次世界大戦が終わってからあと数年で70年ですよ。
ってことで無事に生還した兵士も高齢になったり亡く
なったりして、戦友会も自然消滅したり、記念の年に
解散したりして、だいぶ少なくなったそうですが、まだ
まだ多くあるようですね。
17~18歳で志願した少年兵でも85歳ぐらいだもの。
そいでね。なんだか戦友会っていうと、勇ましいことを
言い合ったり、軍歌を放吟したり、武勇伝を披露したり。
そういうものだろうなぁ。って思ってしまいますよね。
そういう会もたしかにあるそうですが、多くの戦友会は
静かに語り合ったり、愚行を反省したり、真面目に旧交を
暖めあったりしているんだそうです。
いくつもの戦友会を掛け持ちしている人もいるそうですよ。
そういう人は部隊や学校や戦地など、自分が少しでも関係
していると思われる会に入っているんだそうです。
そうそう、兵隊が入隊するときは「原隊」といって、自分の
本籍地により指定された部隊に入隊(その後、振り分けられる
こともある)なんだそうですよ。普通は。
つうことで、東京に住んでいても、出身が地方なら、その
地方ごとに定められている部隊に入るんだそうです。(東北は
青森とか盛岡とかね)
アタイの父親は1944年から1年間ぐらい、房総半島で
本土決戦に備えてタコつぼ掘りをしていたそうです。
といっても、靴屋さんで修業していたので、上官に命令
されて靴の補修ばかりやっていたそうですよ。(タコつぼ
掘りはほとんどしていなかった。と言っていました)
我が家のご主人の父親は南の島で敵機襲来の監視。
飛行機や船舶の監視だから、敵に見つかるといけないので、
目立つことをしてはいけません。ということで、戦闘行動は
無しで、敗戦までジッと監視したままだったそうですよ。
んでね。アタイの父親は短期間で国内だけの兵役だったので
軍人恩給は無しでした。
ご主人の父親(義父)は南国で数年の兵役でしたから、軍人
恩給有り。
ただし、義父は恩給の請求をしていませんでした。敗戦後も
ずいぶん経ってから手続きしたんじゃないかな?(よくは知ら
ないけれど)
だもんだから、証拠や証人を探すのがタイヘンだったそう
です。本当に兵士だったのか、どの部隊に所属していたのか、
その場(海外)にいたのか、本人だと証明しなければならない
んですよね。
こういうときに戦友会が登場するんですねぇ。
戦友会に入って、同じ部隊にいた(顔を知っている)人に
証人となってもらうんですよね。
(義父が戦友会に入っていたかどうかは?です)
70年間近くも、「こういう会を作る必要がない。」っていう
時代が続いていますが、これからもこのままだといいなぁ。
ですね。