誕生日の花、俳句など

毎日が日曜日の私が、その日、その日の出来事や、世間話のなかで、悲憤慷慨何でもあり、想いのままを、書き撲ています

Novenber

2012-11-01 06:54:54 | 日記
Nobennber;十一月のはじめの時の移ろいは 蔓草の葉の黄金色の楯を ふいに一滴の血しぶきのように 濃い朱色に染めて 散らす 妖精が花をあしらい 小人が織りなす 苔のしとねに ものみな慈しめと (R.ブラウ二ング。)今宵 黄昏の光の中に この年は暮れてゆき 詩人は 秋深い森で 想いに沈み 枯葉のもたらす もの悲しい 吐息に 耳傾ける だが年の守護の天使は 精霊の昇天のように 旅立ち 春は緑 夏は輝やかしい 青だった 時の衣をぬぎすてる いまは地上の使命をすべて果たし 幾千の谷を 珠玉の実りで満たし 果樹園には 薔薇色の果実 また いたるところに花をふりまき しばし西の方に 天使は歩みをとどめ やさしい別れの微笑みを 沈みゆく日の 五彩の光となって すべての者に送り いま神のもとへ帰つてゆく (ドイツの詩より) 今日より11月。誕生日の花は、サクラタデ;タデ科。;赤のまんま;犬蓼;蓼の花。花言葉は、愛くるしい。秋に紅色の穂を付けた一年草の大蓼のことで、赤まんま;赤のままともいう。花穂を、赤飯になぞれえた名。子供がままごと遊びに使う野草で、各地の原野、道端で普通に見かける。犬蓼は食用になる柳蓼に対し、役立たない蓼という意味だが、その犬蓼がタデ科植物の中でももつとも親し見のあるなで呼ばれている。他に、秋に花を付けものに、花蓼、大犬蓼、細葉蓼、桜蓼、ぼんとく蓼、大毛蓼その他があり、総称して蓼の花といい、秋の季題としている。「花蓼の撩乱として暮れんとす 佐藤春夫」「食べている牛の口より蓼の花 高野素十」「長雨のふるだけ降れやあかのまま 中村汀女」「灯を置いて飯食う蓼の豪雨かな 西島麦南」「捨て水の波を打ちゆく蓼の溝 山口青邨」「大蓼や遠見に見ゆる牛の市 三好達治」食用に栽培されるのは「柳蓼」とその変種。「紫蓼」「細葉蓼」「あざぶ蓼」「糸蓼」などがある。和解はを摘んで、香料として刺身のつまみや吸い物などに利用する。「蓼酢」は鮎の塩焼きには欠かせない。「蓼食う虫も好き好き」とのことわざもあるが、人間が一番利用度が高いのではなかろうか?