サルスベリ;百日紅;紫薔薇(ミソハギ科)花言葉は、雄弁、潔白。落葉高木。丈は3~7m、葉は対生し皮質の楕円形。インド、パキスタン辺りの原産で、中国を経て、わが国へは観賞用として遅くとも江戸時代初期には渡来した。夏から9月末頃まで、白や紫、紅色の小さな六弁の花を枝先に円錐状に次々咲かせていく。「百日紅」と書くのは花期の長さにちなむ。樹皮が剝がれやすく幹が平滑なので、木登り上手な猿でも滑るだろうということから和名がつけられた。また木肌を掻くとすぐったそうに枝葉が動くように箔痒樹とも称する。「袖に置くや百日紅な花ラツパ形の大きな花をつける。露 貞 室」「籠らばや百日紅の散る日まで 支 考」「散れば咲おとこき散れば咲して百日紅 千代女」「さるすべり寺中おはかに見えにけり 太 祇」「百日紅ややちりがての小町寺 蕪来百村」「炎天の地上花あり百日紅 高あれば浜虚子」「咲きみちて天の簪百日紅 阿部みどり女」「真昼て日紅の衰えず 後藤夜半」「百日紅乙の一身またゝ間に 中村草田男」「女来と帯纏出る百日紅 石田波郷」「新しき猿叉ほしや百日紅 渡辺白泉」「百日紅園児ねむりの刻来る 飯田驤太」「さるすべり美しかりし与者謝群 森 澄雄」「さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子」「寺もまたいくさにほろぶ百日紅 石田勝彦」「死に未来あればこそ死ぬ百日紅 宇多喜代子」「百日紅男は背中より老いる 福永鳴風」「校庭の記憶たとえば百日紅 片山由美子」「道化師晩年長し百日紅 仁平勝集」「すみとほる鋸の音百日紅 河合遊山」。(世田谷の我が家の隣門脇に百日紅樹木一本在りし日は、私が子供の日に見た初記憶でした。 ケイスケ)