バラ(バラ科)花言葉は愛。落葉低木。種類が多く、基本形は幹や枝に棘が多く、複数で花弁と蕚は5枚。世界中が競争で改良し、作らた園芸品種は6000種にものぼるという。6月薔薇園を訪ねると、様々な品種が色や形、香りを競い合うさまがまことに豪華である。また各地で薔薇展が開催され、品評会や新種の発表も行われる。花屋では四季を通じて美しい薔薇が観れるけれど、単に薔薇といった場合は初夏である。野山に自生する「茨の花」は、蔓状に伸びた枝先に多数集まつて咲く白い一重の花が可憐である。「うばら」ともいう。「憩ひつつ岡にのぼれば花いばら 与謝野蕪村「古郷やよるもさわるも茨の花 小林一茶」「薔薇喰う虫聖母見給ふ高きより 水原秋桜子」「ふところに朝刊薔薇を頒たれし 長井龍男」「花うばらふたゝび堰にめぐり合う 芝 不器男」「薔薇の香か今ゆき過ぎし人の香か 星野立子」「薔薇一枝挿ぬ忘られてはゐずや 藤田湘子」「花いばら髪ふれあひてめざめあふ 小池文子」「人の恋見て来て薔薇に立ちすくむ 菖蒲あや」「手壺すべてふさぐに薔薇賜ふ 朝倉和江」。(薔薇一輪 挿してコツプの 縁に乗り ケイスケ)
シキザキベコニア(シュウカイドウ科)花言葉は、幸福な日々。ベコニア属は約2000種。熱帯から亜熱帯にかけて分布する。シュウカイドウ科の多年草または半低木である。園芸品種も多く、ベコニアはそれらの総称である。代表種は四季咲きベコニアとも呼ばれるベコニア.セントフローレンス。草丈15~40cm、葉は光沢があり、赤や桃、白などの小花を密につける。苗を4~5月に花壇やコンテナに植えると、霜の降りる頃まで咲き続ける。鉢物で出回る木立ベコニアやエラチオールベコニア、球根ベコニアなどあり、どれも美しい。栽培が容易なため、マンションのベランダや公園などによく見かける。「ベコニアの多情多恨や日の射して 加納立子」「ベコニアの花だけ残り花時計 泉 早苗」。(ベコニアの 群れ厚ければ 花毀る ケイスケ)
紫蘭;白及;紫けい;紅蘭、花言葉は、互いに忘れない。関東地方以西の暖地の崖上などの湿つた所に自生するラン科の多年草。庭などにもよく植えられる。葉は披針形で大きく、太い縦脈が目立つ。4~5月、高さ30~50cmの花茎を伸ばし、3~7個の花をつけ下から順に咲き上がる。花名のとおり、花色は赤紫色。「白及」は中国名。数珠玉状に繋がる地下茎を薬用にする。「紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり 北原白秋」「雨を見て眉重くゐる紫蘭かな 岡本 眸」「紫根草ひそひそ咲きに八幡平 文挟夫佐恵」「むらさきといふ草愛し僧侶たり 窪田鱒多路」(庭に吾 むらさき咲かせ 暇を消す ケイスケ)
紫蘭;白及;紫けい;紅蘭、花言葉は、互いに忘れない。関東地方以西の暖地の崖上などの湿つた所に自生するラン科の多年草。庭などにもよく植えられる。葉は披針形で大きく、太い縦脈が目立つ。4~5月、高さ30~50cmの花茎を伸ばし、3~7個の花をつけ下から順に咲き上がる。花名のとおり、花色は赤紫色。「白及」は中国名。数珠玉状に繋がる地下茎を薬用にする。「紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり 北原白秋」「雨を見て眉重くゐる紫蘭かな 岡本 眸」「紫根草ひそひそ咲きに八幡平 文挟夫佐恵」「むらさきといふ草愛し僧侶たり 窪田鱒多路」(庭に吾 むらさき咲かせ 暇を消す ケイスケ)
ドイツアヤメ(ジャーマンアイリス;アヤメ科)花言葉は、虹の使者、素晴らしい出会い。「菖蒲」と書き、サトイモ科の菖蒲と古くから混同されたが、花姿が全く異なる。江戸時代に「あやめ」と「しょうぶ」と呼び分けるようになった。また花姿や開花時期が似ているので杜若と花菖蒲などとも混同されてきた。これを区別するのは生えている場所である。水草の杜若は水の中、水陸どちらでも咲く花菖蒲は水辺、あやめは陸草なので普通の畑地に生える。あやめは草丈30~50cm。葉は剣状線形で葉幅が狭い。花菖蒲は中肋があるので区別ができる。5月、紫や白などの優美な花が咲く、外側の花弁は垂れ下がり、基部に黄と紫の網目があって虎斑模様をなしている。これが「あやめ」の語源である。内側の花弁3個は細長く直立する。中国名「渓菰」「花あやめ」は古名。「一人立ち一人かゞめるあやめかな 野村泊月」「野あやめの離れては濃く群れては淡し 水原秋桜子」アヤメの句はほかにも20句ほどあるが、ドイツアヤメの句は見られない。(あやめ咲く 今朝は雨ふり 曇リ空 ケイスケ)
風車;てっせんかずら;クレマチス(キンポウゲ科)花言葉は、高潔;心の美しさ。中国原産、落葉蔓草。蔓を出して他のものに巻きつくが、この蔓が針金のように強いから、鉄線とよばれる。葉は対生して掌状に3枚ずつ出る複葉。初夏、大きな白色または青紫色の六弁の花を開く。雄蕊が暗紫色で花の中心がひきしまつて見える。垣根にからませたりして清らかな美しさを観賞する。同種のものに風車の花があり、本州の中南部に自生しているものもある。花弁状の萼が八枚なので見分けがつく。クレマチスも同種。「蔓はなれ月にうかべり鉄線花 水原秋桜子」「鉄線花に恋をあらそふ如く寄る 赤松子」「鉄線の花の紫より暮るる 五十嵐播水」「鉄線の咲き終わりたる骨吹かれ 野崎ゆり香」「鉄線の初花雨にあそぶなり 飴山 実」「鉄線花憂きこと去れば咲きにけり 新井英子」。(大空を 這うかのように 昇りゆく 花クレマチス 華やけり ケイスケ)
カキツバタ;杜若;燕子花(アヤメ科)花言葉は、幸福がくる。アヤメの仲間では最も水を好み,浅い池などに植えられる。葉は幅の広い剣状で、幅2~3cm、長さ40~80cm中肋はない。茎の先端に3花を付ける。花は径約12cm、外側の楕円形の花弁、3個が大きく垂れ下がり、内側の花弁3個は小さく直立する。花色は濃紫色が基本だが白色や斑模様の入るものもある。「かきつばた」は「書き付け花」の転訛したもので、古くはこの花の汁を布にすりつけて染色に用いられた。「万葉集」には「加吉都幡多」で詠まれている。普通、花の姿から飛ぶ燕を連想した「燕子花」の文字を宛てる。「かきつばた唐衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」(伊勢物語や古今集巻九にる在原業平が三河国八橋=愛知県知立郡八幡町で詠んだ句は有名。『天上も淋からんに燕子花 鈴木六林男』天上界には崇高な楽しみに満ちた天国あるいは極楽があると説かれているが、私は天上もこの世と同じ淋しいところだろうと思つている。いま見つめている燕子花は真実美しい。美しさの極みの寂しさを漂わせている。この淋しさこそ、わが生存のいのちそのものである。「垣そとを川波ゆけり杜若 水原秋桜子」「降り出して明るくなりぬ杜若 山口青邨」「宿坊に酒が匂ふよかきつばた 皆川盤水」「夕暮れは人美しく杜若 高木晴子」「杜若雨に似合ひて黄なりけり 高田風人子」(薄曇り 富士もかくれ日 アヤメ咲く ケイスケ)
カーネーション;和蘭石竹;和蘭撫子。(ナデシコ科)花言葉は、あなたを熱愛する。1年草または多年草で、いくつかの原種が交雑された園芸品種群で、日本に渡来したのは17世紀の中頃,「和蘭石竹」と呼ばれた。英名の「カーネーション」が一般化したのは20世紀に入って本格的に切り花栽培が行われようになつてから。現在では切り花が、一年中出まわり、鉢植えも5月の母の日を中心に店頭に並ぶ。茎に節があり、そこに対生する。花は花弁数にして70個の大輪から25個ほどの小輪まで。花色も赤、桃、白、橙、黄色など豊富である。品種の改良が進み、色も形も大きく華やかになった。花束の定番でもある。母の日の花のイメージもあり、親しみをもって詠まれてきた。「花売女カーネーションを抱き歌ふ 山口青邨」「灯を寄せしカーネーションのピンクかな 中村汀女」「よき母といへず子よりのカーネーション 佐野多鶴子」「カーネーション赤母の日の母大切 鈴木栄子」「カーネーション仏に供へ結婚す 佐野春駒」「母亡くて子無くてカーネーション赤し 保坂日出子」「カーネーションのフリル少女期早く過ぎ 嶋田麻紀」(妻亡子無くカーネーションも無し ケイスケ)
カーネーション;和蘭石竹;和蘭撫子。(ナデシコ科)花言葉は、あなたを熱愛する。1年草または多年草で、いくつかの原種が交雑された園芸品種群で、日本に渡来したのは17世紀の中頃,「和蘭石竹」と呼ばれた。英名の「カーネーション」が一般化したのは20世紀に入って本格的に切り花栽培が行われようになつてから。現在では切り花が、一年中出まわり、鉢植えも5月の母の日を中心に店頭に並ぶ。茎に節があり、そこに対生する。花は花弁数にして70個の大輪から25個ほどの小輪まで。花色も赤、桃、白、橙、黄色など豊富である。品種の改良が進み、色も形も大きく華やかになった。花束の定番でもある。母の日の花のイメージもあり、親しみをもって詠まれてきた。「花売女カーネーションを抱き歌ふ 山口青邨」「灯を寄せしカーネーションのピンクかな 中村汀女」「よき母といへず子よりのカーネーション 佐野多鶴子」「カーネーション赤母の日の母大切 鈴木栄子」「カーネーション仏に供へ結婚す 佐野春駒」「母亡くて子無くてカーネーション赤し 保坂日出子」「カーネーションのフリル少女期早く過ぎ 嶋田麻紀」(妻亡子無くカーネーションも無し ケイスケ)
桐;桐の花(ゴマノハグサ科)花言葉は、高尚。原産地不明、各地で古くから植えられている。高さ10m~15m。葉は対生し、大型の広卵形で、3~5裂する。5月、葉に先立って枝先に大型の円錐花序を立て、長さ5~6㎝の淡紫色の筒状花を多数咲かせる。花に芳香があり、遠くからもよく目立つが、和歌では「桐の葉」「桐の落葉」が秋の季題に詠まれている。桐は成長が早く、女の子が生まれた時に植え、嫁に行く時には箪笥の用材にした。高い所で天へ捧げるように咲く姿から、死者への想いを誘うところがある。「熊野路に知る人もちぬ桐の花 去来」「安曇野の日やわらかし桐の花 柴田白葉女」「桐の花古都落葉をおほひけり 松鉄之介」「桐の花うす化粧して老いんかな 原 コウ子」「桐の花河口に眠りまた目覚めて 金子兜太」「高ければ想ひの遠し桐の花 角川照子」「三日月のあと暁の桐の花 神尾久美子」(突き当たる 路地を飾りし 桐の花 逝く年月も 華やかせ ケイスケ)