5月26日(日)晴 夏日
入院を前に都心の自転車散歩をすることにしました。
8時過ぎに池袋近くの佐和子ちゃんの家を順子号で出発。今日は荒川土手の駅伝に出るという佐和子ちゃん(文京高・96年卒)をはじめ一家5人が見送ってくれました。
春日通りで旧大塚窪町の教育大学跡地を訪ねました。1961~66。5年間通いなれたところです。
日曜日とて「教育の森公園」となったあたりは子ども連れで賑わっています。
半世紀前の姿を残す占春園を歩いてみました。
昭和天皇行幸記念碑
昭和6年(1931年)東京高等師範学校創立60周年式典に天皇が臨席し「「健全なる国民の養成は師表たるものの徳化に竢つ。教育に従うもの、其れ奮励努力せよ。」と勅語を「賜った」という。
僕が通った学校の前身は師範学校(教員養成を任とする)をはじめ、中等教育諸学校の教員を養成する「高等師範学校」だったのです。
時は1931年10月30日といいます。この年の9月18日に「満州事変」が始まったばかりです。この戦争が中国への本格的な侵略の序曲となったことは今日では明白です。
勅語の字面はもっともなことですが、この学校は侵略戦争遂行の国民精神錬成の重要な使命を帯びていくことになったのです。
嘉納治五郎像
「柔道」の嘉納は長く高等師範の校長を勤めました。
占春園
この地は元は水戸徳川家につながる大名の屋敷だったようです。このあたりにはクラブの活動場所があったような気がします。
僕は新聞会の一員でしたから学校の隅々を歩きました。梅根悟(教育学)・家永三郎(日本史)・朝永振一郎(学長)・鶴岡英吉(体育学)・中平解(フランス語)…などの先生方の謦咳に接することができました。各棟の守衛さんたちも可愛がってくれました。人気のない占春園を歩いているとこれらの方々の温顔が彷彿としてきます。
池の手入れは行き届かず荒れている感じです。
旧東京教育大学正門付近
若竹像
本部前にあった若竹像が旧E館前にそのままありました。
旧E館 跡に建った新しいビル。奥に占春園の森
6階には筑波大学大学院ビジネス科学研究科の研究室(横文字の先生が多い)や豪華な教室が並んでいます。ぐるっと巡ってみると半世紀がたったとはいえ、異星に来た感じです。教育大学の「経済」はマルクス経済学の牙城だったのです。
筑波大学文京校舎●http://www.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp/
6階の窓から中庭を見下ろしてみました。
「教育の森」の池ではカルガモの赤ちゃんが水練中。