川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

病変時の的確な対応

2013-06-07 08:53:48 | 父・家族・自分
昨日、妻との面会で分かった5日朝の病変の概況です。

5日は夫の病院を見舞う予定で準備万端で起床するも、頭痛が尋常でないので隣のMさんやホームドクターに相談した。脳神経外科のある武蔵野総合病院に緊急入院するのがいいとの結論でその通り実行。Mさんが救急車に同乗して病院との接点になってくれた。

僕が入院中なので連絡を遠慮。娘や息子の連絡に手間がかかったが13時30分の手術開始直前に息子夫婦が到着。
手術は順調に進行し、4時前には終了した。

執刀した松本先生から説明を受けたあと家族で面会したが、これは記憶にないらしい。

ぼくはこの後、家に帰り、朝方妻がセットしておいたコーヒーを沸かしてのんだ。

不幸中の幸いというか、身の上に起こったことに的確に対応できたから順調な回復が期待できる。
さすがに倫子は違うなあと思った。

実をいうとまだまだ危機が完全に去ったわけではない。
開頭手術を受けた部分の頭蓋骨は冷凍保存されたままだ。治療が順調にいけば2週間くらいのちに再手術で旧状に服するらしい。

妻の面会で元気をもらったので僕の気力も蘇ってきたような気がする。
退院後は少しは入院中の妻の役に立たなければ。そんな思いだけはしている。

いつもの倫子にあえました。

2013-06-06 15:34:35 | 父・家族・自分
2時過ぎに妻と面会が出来ました。言語明瞭で僕の心配をしてくれる始末です。表情も豊かでいつもの倫子にあっているようです。
娘が勧めるビワを美味しそうに食べました。
執刀した松本先生もほっとされたようです。思わず手をあわせていました。

前途に困難がないとは言えませんが、この分ではきっともとの元気を取り戻してくれるに違いありません。
それでも家族以外の面会は2週間ぐらいはできません。入院は最低でも一ヶ月です。
皆さんからいただいたメッセージは留守を預かる娘が本人に伝えます。どうぞよろしくお願いします。

僕はガン研有明病院に帰ってしばらく療養です。こちらは暇です。よろしかったらよってください。

妻の恢復祈る

2013-06-06 11:07:56 | 父・家族・自分

6月5日(水)晴
朝方、妻がくも膜下出血を起こし、武蔵野総合病院(川越市)に緊急入院し、午後には手術を受けました。
幸いにも動脈瘤は小さく手術も順調でした。
しかし、ここ2週間は集中治療室でケアを受けなけばなりません。順調でも一ヶ月は入院が必要です。
思いも掛けない重大事態ですが娘(愛知県)息子夫婦(横浜市)が駆けつけ、万全を期していますのでどうぞご安心下さい。
術前も術後も言語明瞭で手足などの障害もなかったようです。
時間はかかっても順調に恢復してくれるように祈る心地です。
ぼくは一日外泊で術後の面会をしましたが6日からはガン研有明病院に帰り、18日ぐらいまで入院の予定です。抗がん剤治療の経過観察中ですが今のところ順調です。
妻の面会ができるようになるのはまだまだ先の話です。
当面、娘(陽子)が川越に滞在します。ご心配をおかけしますが病状などについて遠慮なくお問い合わせください。
049-224-4646

僕の携帯も受信は可能です。折り返し返事をさしあげます。

080-1278-4906

試練の時ですが家族で力をあわせます。引き続きよろしくお願いします。
(6日早朝 鈴木啓介)


田植え

2013-06-02 12:49:58 | 父・家族・自分

6月2日(日)曇

昨日訪ねた「野火止用水」の様子をもう一枚。
玉川上水から分岐して25kmの大工事だったようです。三富(さんとめ)をはじめとする川越芋が有名になるについてはこの用水が命綱だったのですね。




愛知県豊川市の娘から珍しい写真が届きました。

 婚家はもともと農家でもあったのですね。夫君と夫君の父君とが協力して今も三枚の田んぼをやっているとか。

 僕は稲刈りを手伝ったことがあります。室戸岬の海っぷちの小さな田んぼです。小学生のときのささやかな体験に過ぎませんがこれは一生の宝になりました。頭でっかちになるのを少しは防いでくれたのです。

田植えを体験したことがないのはそれを人に頼んでいたせいのようです。数年前、同級生の島崎さんにうちの田を耕作していたと聞いたのです。?畝(せ)とかいう狭い田んぼが何枚かですが父が一人ではやれなかったのでしょう。父と一緒に働いた体験を懐かしそうに話してくれたのです。

今の田植えは機械化されたので能率は良いが孤独な作業です。それでも手伝うことは何かあるでしょう。先日、川越の田んぼで老夫婦と嫁の田植え風景を見せてもらったばかりです。

老父と若夫婦の田植え。こんな体験ができて、本当によかったねえ。

田植えが終わったとついさっきのfacebook。

田植え全部終わりました ♪( ´▽`)


旧東京教育大学

2013-05-27 11:54:17 | 父・家族・自分

5月26日(日)晴 夏日
入院を前に都心の自転車散歩をすることにしました。

8時過ぎに池袋近くの佐和子ちゃんの家を順子号で出発。今日は荒川土手の駅伝に出るという佐和子ちゃん(文京高・96年卒)をはじめ一家5人が見送ってくれました。

春日通りで旧大塚窪町の教育大学跡地を訪ねました。1961~66。5年間通いなれたところです。

日曜日とて「教育の森公園」となったあたりは子ども連れで賑わっています。

半世紀前の姿を残す占春園を歩いてみました。


昭和天皇行幸記念碑


昭和6年(1931年)東京高等師範学校創立60周年式典に天皇が臨席し「「健全なる国民の養成は師表たるものの徳化に竢つ。教育に従うもの、其れ奮励努力せよ。」と勅語を「賜った」という。

 僕が通った学校の前身は師範学校(教員養成を任とする)をはじめ、中等教育諸学校の教員を養成する「高等師範学校」だったのです。

時は1931年10月30日といいます。この年の9月18日に「満州事変」が始まったばかりです。この戦争が中国への本格的な侵略の序曲となったことは今日では明白です。

勅語の字面はもっともなことですが、この学校は侵略戦争遂行の国民精神錬成の重要な使命を帯びていくことになったのです。

嘉納治五郎像

「柔道」の嘉納は長く高等師範の校長を勤めました。

占春園

この地は元は水戸徳川家につながる大名の屋敷だったようです。このあたりにはクラブの活動場所があったような気がします。

僕は新聞会の一員でしたから学校の隅々を歩きました。梅根悟(教育学)・家永三郎(日本史)・朝永振一郎(学長)・鶴岡英吉(体育学)・中平解(フランス語)…などの先生方の謦咳に接することができました。各棟の守衛さんたちも可愛がってくれました。人気のない占春園を歩いているとこれらの方々の温顔が彷彿としてきます。

池の手入れは行き届かず荒れている感じです。



旧東京教育大学正門付近



若竹像

本部前にあった若竹像が旧E館前にそのままありました。



旧E館 跡に建った新しいビル。奥に占春園の森



6階には筑波大学大学院ビジネス科学研究科の研究室(横文字の先生が多い)や豪華な教室が並んでいます。ぐるっと巡ってみると半世紀がたったとはいえ、異星に来た感じです。教育大学の「経済」はマルクス経済学の牙城だったのです。

 筑波大学文京校舎●http://www.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp/

 

6階の窓から中庭を見下ろしてみました。

「教育の森」の池ではカルガモの赤ちゃんが水練中。


訪問者数に異変

2013-05-25 06:06:52 | 父・家族・自分

5月24日(金)晴 夏日

今朝(25日)気づいたことですがこのブログの訪問者数に異変がありました。

ふだんは300人台から400人台なのに24日は2440人となっているのです。アクセス分析には入っていないので事情がよくわかりません

24日の「人気記事」は次の通りです。「姜尚中・東大教授」がこのところずうっと上位です。何かの事情でこの日アクセスが集中したのでしょうか。

在日コリアン・コリア系日本人にかかわる記事をもっとしっかり書いておきたいのは山々なれど、エネルギー不足です。昔書いたものが役立っているとすればうれしいことです。

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アランセーター

2013-05-15 08:26:36 | 父・家族・自分

5月14日(火)晴 夏日

昨日買って来た朝顔を定植しました。夏の陽を和らげる役割を期待しています。

娘夫婦が母の日のプレゼントとして妻に贈ったアイルランド・アラン島のセーターです。 

 アランセーターについての解説です。


 

一般には単に「フィッシャーマンセーター」とも呼ばれ、わが国でも1970年代初頭に大流行した、縄編みの柄が浮き出すように入った白いセーターであり、その発祥は、アイルランド西岸のアラン諸島で女たちによって編まれたものである。そして、今でも島ではこのセーターが編み続けられている。
アランセーターの伝説  
 このセーターは、従来から以下のような物語が伝えられている。
 アランセーターは6世紀の昔からアラン諸島で編み続けられており、その独特の編み柄には、漁に出る夫の無事と豊漁を願う女たちの祈りの意味が込められている。その組み合わせは、家々の編み手によってあたかも家紋のごとく異なり、それは母から娘へと伝承されている。
 万一、不幸にも漁での溺死者が岸に打ち上げられたときには、着ているセーターの柄でその身元が判断できたといわれる。
 荒海に漕ぎ出す男たち、それを優しく包む女たちの愛。このストーリーは、アランセーターが世界に普及するにつれ、皆に知られるようになり、いつしか伝説とまで言われるようになっている。


 そうだったのか。40年も昔、妻は僕のためにアラン模様のセーターを編んで着せてくれたそうです。その思いにも気づかず、ぞんざいに着ていたことでしょう。恐るべきことです。

ついでにと言って良いのか、2人は僕にもベストをプレゼントしてくれました。今度ばかりは心して身につけたいものです。

 アラン諸島の断崖の地は娘にとっては特別の地だとfacebook で読んだばかりです。飛行時間がかかりすぎますが「いつでも案内します」といわれたからにはいつの日にか、訪ねてみたいものです。

アラン諸島●http://homepage2.nifty.com/tabifoto/IR/8/IR-s8.htm

 


アイルランド(Ⅱ)

2013-05-11 09:19:48 | 父・家族・自分

 5月10日(金)晴

娘夫婦のアイルランド新婚旅行も終盤、ダブリンに戻ったようです。Facebookで届く写真を見ながら、よい旅をしたなあ…と感心しています。2人を結び付けてくれたBonoを生み育てたアイルランドの風土は僕の心にもしみこんでくるようです。

ドン・エンガス

 写真: アラン諸島イニシュモアの北西岸にある古代の砦跡ドン・エンガスは、私にとってとても重要な場所のように思います。  初めて訪れた12年前以来ずっと、何と形容すればいいのか、いつも戸惑うのです。  喩えて言うなら鯨やボノと同じ。永遠に自分が惹かれる理由を明確にできない巨大な存在。  彼らから見れば私はちっぽけな存在で、すぐ近くにいてもまったく気にならないでしょう。  でもわたしに

「アラン諸島イニシュモアの北西岸にある古代の砦跡ドン・エンガスは、私にとってとても重要な場所のように思います。
初めて訪れた12年前以来ずっと、何と形容すればいいのか、いつも戸惑うのです。
喩えて言うなら鯨やボノと同じ。永遠に自分が惹かれる理由を明確にできない巨大な存在。
彼らから見れば私はちっぽけな存在で、すぐ近くにいてもまったく気にならないでしょう。
でもわたしに(あとが途切れちゃったなかな)」

 ダブリンに架かる虹

写真: 最後の夕暮れ時、大きな虹が!

最後のビーチアクション。高柳 幸雄さんとKilliney Beach

最後のビーチアクション。

BONO
 1960年5月10日 アイルランド・ダブリン生まれ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8E

 


義母の見舞い

2013-05-10 07:02:16 | 父・家族・自分

5月9日(木)晴
 

 小畔川の土手伝いに自転車を漕いで飯能の病院に妻の母を見舞いました。

啓介号で2時間半ぐらいはかかって何とか正午前に到着。バス・電車・バスと乗り継いできた妻と落ち合うことができました。

 母は眠りこけています。娘が声をかけても返答らしきしるしはありません。看護婦さんの話では朝方には挨拶の言葉が発せられたとのことです。

 このところ妻は連日、見舞いに通っています。やせた手をマッサージしながら生み育ててくれた母に感謝の思いを伝えているのでしょう。直接的な返答はなくても母にも安堵の思いがあるに違いありません。

 日曜日には横浜の息子も見舞いに来るということです。アイルランドの新婚旅行から娘も帰ってきます。孫たちの元気な姿を見てやってくださいね。

 しばらくは病院で母に付き添う妻と別れて帰途に就きました。

帰りは国道299号から入間川自転車道です。

狭山市笹井のダム近くで「柏餅」の字が見えたので寄ってみました。和菓子の「小嶋屋」。工場入り口付近の椅子に座って「柏餅」と「草もち」を食べました。女将さんが冷茶を入れてくれました。栃木県の黒羽の出身だということで、僕もかつて尋ねた町の好印象を語りました。

ご主人と息子さんが作る柏餅は正統派、美味しい。お嫁さんと子どもの遊ぶ姿もあった。家族が助け合って家業を営んでいます。


笹井ダム  左奥の取水口から取られた水が赤間用水となり、川越からは新河岸川となります。



入間川自転車道の始まり。笹井ダムの下流、豊水橋付近。



凧あげ 安比奈親水公園 竜が空に昇っていくようです。今週末には四国・徳島で凧揚げの全国大会とか。「暇だから一日中揚げているよ」同年輩。

 

ニセアカシアの花盛り


卯の花

2013-04-22 15:44:04 | 父・家族・自分

4月22日(月)晴

昨日までと打って変わって気持ちの良い青空。風があるので外には出られません。

昨日作成した『きいちご』11号を午前中に発送しました。5月19日の「きいちご散歩教室・浜離宮公園」のお知らせが中心です。昨年11月の「移動教室・いわき」以来半年振りに知友に会えるかと今から楽しみです。

写真: 一応庭の卯の花が咲き始めました。

一応庭の卯の花(うつぎの花)が咲き始めました。やっぱり、あの唄を思い出しますね。

 「夏は来ぬ」●http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/natsuwa.html

昨秋、伊勢路の石薬師宿で作詞者・佐々木信綱の記念館を訪ねました。この季節に行ってみたいなあ。隣の関宿も。

関連「川越だより」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/5dadf48c0a77528f96b7a3a2c8240b16

昨夜から今日にかけて満智子さん、亜子ちゃん(遠戚)、桂子さん(文京高OG)、小百合さん(池袋商高OG)と電話で話す機会がありました。「卯の花」の季節のうちに遊びに来てくれるかな。

 

 

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休養日

2013-04-12 15:05:34 | 父・家族・自分
4月12日(金)はれ

昨日はガン研有明病院でCT検査がありました。洪さんの所に預けてあった順子号を半年ぶりに乗り回しました。
疲れが出たのか今日は一日中、ベッドの中です。
ベッドから見える世界です。


隣の駐車場との境に刑務所のような高い壁があります。コリンゴの木はまっすぐに中空に伸びて二階の屋根に届くほどです。
お連れ合いを亡くした愛子さんに電話して励ましました。いつだったか癌研有明病院で偶然であって夫君の闘病を知りました。まさかの訃報に驚きました。愛子さん頑張れ!

よかったね、一周年

2013-04-08 05:35:27 | 父・家族・自分
4月7日(日)曇雨晴

嵐は鎮まったので鳥羽からフェリーで伊良湖岬に渡ることにした。

鳥羽港の向こうに九鬼嘉隆の居城跡が見える。


伊良湖水道に怪しげな船が現れた。九鬼水軍の日本丸か。


思ったより穏やかな航海で気分は爽快。浜名湖畔の舞阪で娘夫婦と昼食を共にすることにした。
ちょうど結婚一周年の日にあたる。
「友だちにめぐまれていることを確認した一年でもあった」という。
5月にアイルランドへ新婚旅行にいく。二人を出会わせた歌手の故国だ。

午後は村上くん夫妻を急襲した。

村上くんは大学の後輩で今は芸術大学の先生。予告なしの訪問だが喜んでくれた?
いまは版画の修行中らしい。制作中の版木を見せてくれた。「夫婦相和し」というが本当に素敵な感じがするお二人である。この辺りに縁ができて会えるようになったのはとても嬉しい。

静岡県森林公園の森の家に泊まった。

室戸岬町津呂 わがホームタウン

2013-03-26 05:56:38 | 父・家族・自分
5年半ぶりに故郷の町でゆっくりしました。花の頃の記憶は遥か遠くに霞んでおり、「春の室戸岬はいいなあ」と思う日の連続です。
小学校を終えるまで育ててもらった室戸岬町津呂の紹介です。
室戸岬から見た「津呂」

室戸岬港突堤から見た「津呂」


室戸岬小学校 昔と変わらないのは大ソテツだけ


よく遊んだ金毘羅さんの参道


弟や父母の眠る墓地からの眺め


港に続く祇園さんの参道

校歌に謳われた東寺(最御崎寺)

維新の志士 中岡慎太郎銅像


土曜日の夜は実家に泊まりました。兄が友人たちとの食事の席を設けてくれたのです。
思えばこの「津呂」という小宇宙で友人たちと飽きることなく交友して12歳になるまでを過ごしたのですね。塾も稽古事も一日とてなく子どもたちの世界が続いたのです。

津呂滞在の最後の夜はいつものように武実くんが奈半利のバーに連れて行ってくれました。もう30年以上帰郷のたびの恒例です。
カラオケで蛮声を張り上げるだけですが僕はこれで助かったことがあります。心が疲れ果てた一時期、いわば人生の危機を救ってくれたのです。

ありがとう、故郷の町よ、友よ。

おばあちゃん元気回復

2013-03-17 07:15:32 | 父・家族・自分

3月16日(土)晴れ

 三河からやってきた娘夫婦が飯能の病院に祖母を見舞うのに同行しました。

一月に肺炎を起こして入院したときには「大丈夫かな」と本当に心配したものですが、今日は孫娘との会話もしっかり。遠くから来てくれたお婿さんにもきちんと感謝の言葉を返していました。

 この分だと春の到来とともに恢復のテンポが着実になっていくと思われます。

94歳になりました。また川越にも遊びにこられるようになってほしいものです。

 


花粉地獄からの脱出

2013-03-13 07:22:41 | 父・家族・自分

3月13日(水)晴れ

先週の伊豆の旅あたりから花粉症がひどくなってきた。春を迎えた喜びが台無しである。

 2年前の春にも同じことを書いた。


 言うまでもないことだが「自然現象」ではない。人災である。1960年代に政府が進めた「拡大造林政策」の失敗による。

 ブナやナラなどの自然林や原生林を皆伐し、スギやヒノキを植林した。木材の輸入が自由化されたあと山は放置され、荒廃して「死の森」になってしまった。ひょろひょろのスギやヒノキがそれでも子孫を残そうと懸命に花粉をまき散らせているのだ。

 花粉症でどれほどの人が苦しんでいるのか分からないが、対症療法で薬屋が儲かるだけで、森を再生させる根本的治療は遅々として進まない。役人(林野庁)と学者(林学)企業(製紙業など)が手を組んでやったことだが、責任を取る人は誰もいない。損害を賠償してくれる人もいない。

 それでも花粉症はまだましである。すぐに症状が出るので何らかの対策をとることができる。期間も限られている。

 原発から出る放射能による被害はこうはいかない。急激な被曝は別にして、被害を自覚することがむずかしい。発症は何十年も先のことだったりする。

 だから、私たちはよっぽど心してかからなければならない。電力会社と御用学者と政府の言うままに「原発安全神話」に洗脳されてしまったら取り返しのつかないことになる。それがこの春、現実のことになった。

 


せっかく元気に春を迎えられたのに閉じこもりになるのはやりきれない。避難と帰郷をかねて土佐に帰ろうか。昨日あたりからこんなアタマになってきた。

今日は一日かかって脱出作戦を練ることにする。