川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『花の夢 ある中国残留婦人』を見る

2010-10-21 18:09:06 | 中国残留日本人孤児
 10月20日(水)曇り

 午後2時から荒川区町屋のホールで『花の夢』の上映会がありました。「中国残留邦人」への理解を深めてもらおうと区が主催したものです。

 荒川区で中国残留孤児の支援相談員をしている洋子さんが主催者側の一員として通訳を担当しています。僕が北高に赴任したときの3年生です。平日の午後のこととて集まりを心配していましたがそれでも100人程度は来てくれたようです。

 「川越だより」を見てきてくれた人も二人はいました。明子さん(池袋商高81年卒)。この日は保育の仕事が早番だったと市川から駆けつけてくれました。もうひとりは満智子さん。こちらは残留孤児の娘さんです。

 足が冷えるので洋子さんが用意してくれた椅子に足を投げ出しての無様な格好ですが両脇に魅力的な女性が座ってくれるという僕にとってはこの上なく贅沢な映画鑑賞です。

 1925(大正14)年生まれの栗原貞子さんというきれいなおばあちゃんの人生物語です。

 ●『花の夢』http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8553


 僕の感想・雑記。

 ①退屈になることなく(眠くなることもなく)栗原さんの人生を理解することが出来た。

 これは監督の東志津さんの映画作りが工夫されているからだろう。栗原さんが満州時代の友人や先輩を訪ねた場面で、凄惨を極めた逃避行の真実が明らかになるのも自然な造りである。

 時々登場する満州時代の同期生たちの写真や何気ない今の東京の生活や風景の断片…。なぜか僕には良かった。

 ②ソ連軍の収容所を脱出して彷徨する身重の栗原さんを嫁にしてくれた中国人の男性。写真だけしか出てこず、名前も覚えられなかったがこの方との出会いが栗原さんの第二の人生を支えた。
 無事出産した長男と新しい夫との間に生まれた子供たちが今はともに家族をなしてこの東京で母を大事にして生活している。
 苦労は多いに違いないが今の日本ではなかなかに望めない「豊かな」老後と言えないか。

 ③今の日本はむちゃくちゃである。自分が、何を大事にしてどう生きたらよいかを議論したり、学んだりする場がないのではないか。僕が高校の教師ならこの映画を見せて議論の場を作ろうとするだろう。
 栗原さんとその家族の姿から若者も何かを学び取ることが出来るのではないか。

 ④栗原さんが居たのは「竜虎開拓団」。私費帰国で苦労しているとき助けてくれたのが同じ開拓団にいた千野誠治さんだったという。昔、僕の生徒のお父さんの葬式でお会いしたことがある方だ。残留孤児や残留婦人のために今も働いておられるのだろうか。

 ●千野誠治さんhttp://homepage2.nifty.com/munesuke/war-memory-18-chino-seiji.htm 

  映画会がはねた後、小一時間三人でお茶にしました。初対面の明子さんと満智子さんがうち解けて交流する様子を眺めているだけで僕は十分です。お互いにいい友達になってくれるでしょう。

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