川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

盆の入り

2009-08-13 10:39:39 | 父・家族・自分
 昨日は朝から好天で一日太陽に恵まれました。2週間ぶりだといいます。
 妻は塩漬けにしてあった梅をざるに広げて屋根に干しました。宿願が果たせてほっとしています。夜露にも当てたかったようですが雨を心配して就寝前に部屋に入れました。
 横浜に住む息子がこどものときから梅干大好き人間なのです。彼ら夫婦が経営する「バー招福堂」のなじみ客にも好評だといいます。毎年、梅干を作って届けるのが楽しみなのです。

 久しぶりに坂戸の「ふるさとの湯」に行くことにしました。近くにパソコンのクリニックがあるというのでこのところ起動してくれないパソコンの診断をしてもらいました。「異常なし。きちんと動きますよ」という意外な診断です。喜んで温泉を楽しんだ後、家で操作してみたのですが起動しません。これはどういうことなのでしょう。
 娘のお下がりの古いパソコンですが「川越だより」はここから送信されました。ここ数日はやむなく入院時などに使った小型のノートパソコンを使っています。勝手が違って思うように機能してくれません。

 僕はパソコンのイロハもわかりません。わかろうとする努力もしないので娘にはあきれ果てられます。そうかといってパソコン教室に行く気が起こりません。
 何の工夫もなく駄文を書き綴っています。それでも読んでくださるかたがたに改めて感謝します。皆さんのおかげで毎日パソコンに向かう気力だけはあり、僕が社会の一員であり続ける喜びを感じているのは確かなのです。

 機嫌のいいときに娘に見てもらってだめならもう一度パソコンのクリニックに連れて行きます。

 盆の入りです。
 12日夕方、母に言われてお布施を持ってお札を買いに寺に行きました。お札や野菜を仏壇に飾って今朝を迎えました。
 父も母も格別に信仰深い人ではなく、村の習慣に従って盆の行事をやっていました。14・15の盆踊りは室戸岬特有の宗教行事です。この一年の間になくなった人のために「入れ踊り」をやります。16日の朝、お墓参りに行きます。あちこちの親戚や知人の墓にも参ります。人のつながりについて学ぶ機会でありました。

 盆の習慣からも遠くなってしまいました。川越の地付きの人たちには迎え火などの行事があるようですがたいていの新住民にはかかわりがありません。
 岩手の出身のお隣さんは「神様はわからないけれど仏様はいるのではないか」と言われます。仏とは亡くなった人の霊のことです。僕もなんとなくそんな感じがして育ちました。弟を喪ったので特に思うのかもしれません。
 お盆の期間を帰ってきた霊たちと過ごす、私たちの祖先が伝えてきた文化です。姿は変わってもそういう気持ちでいたいと思います。

 

中国家庭料理・家園オープン

2009-08-12 10:16:40 | 中国残留日本人孤児
 11日午前中にKさんから中華料理店を開業したと知らせがあったので、昼食がてら早速行って見ました。
 僕の家からは歩いて10分ほどです。交通量の多い国道254に面して「中国家庭料理 家園」の看板がかかっています。Kさん夫婦と妹さんが迎えてくれました。

 Kさんは中国残留日本人孤児2世の女性です。僕の生徒ではありません。お母さんが「きいちご移動教室」の常連です。5月の北信濃の旅にお母さんと一緒に家族で参加してくれました。お母さんは県南に住んでおられるのですが、この若夫婦一家は我が家の近くに住んでおられたのです。本当にびっくりしました。
 日暮里で大半の方が降りたあと川越に帰るバスの中で交流して以来、ご近所さんとしての付き合いが始まりました。お連れ合いが中華料理を修業して店を出す話は聞いていましたがこんなに早く開店するとは思っていなかったのです。
 
 4人がけのテーブルが4卓のほか8人ぐらい座れる円テーブルがひとつ、3人がけの小テーブルが2つというこじんまりとしたお店です。

 店の名は家族的な雰囲気の店にしたいという願いをこめてつけたそうです。メニューを見ると僕には手ごろな値段の料理が並んでいて、家族でテーブルを囲んでも大丈夫です。定食類も700円台からあり、付近のサラリーマンの昼食としても手ごろでしょう。事実、国道沿いの自動車販売店の方と思われる数人の姿がありました。

 僕は酢豚定食、妻は牛筋煮込み定食。ボリュームたっぷりなのでどうなるかと思いましたが残さず食べることができました。味のほどをきかれても僕には「おいしかったよ」というしかありませんが、食通の妻が丸をつけていましたからみんなに喜ばれるのではないでしょうか。

 商売の体験がない僕には店を経営する苦労を思うと気が遠くなりそうです。軌道に乗るまで月日もかかることでしょう。がんばってほしいものです。
 僕にとっては妻が留守のときに寄る手ごろな食堂ができて楽しみがひとつ増えました。友人たちが遊びに来てくれたとき案内することもできます。

 「家園」049-223-8218
 
 東京方面から来ると国道254を川越から東松山方面に向かいます。氷川町の交差点を過ぎるとまもなく、左側です。初雁亭の看板の手前です。
 次の信号は宮元町。ここを左折すると神明町で我が家があります。

 15日(土)までは2割引です。暇がある方はどうぞお出かけください。

川辺川の鮎

2009-08-11 07:34:15 | 友人たち
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 静岡方面で地震がありましたが大事には至らなかったでしょうか。川越は少しゆれた程度です。今朝は日の出から日が差していましたが今はうす曇。今日あたり、台風一過といってほしいものです。

 昨日、熊本県人吉の川漁師・賀明さんが鮎を届けてくれました。いつか案内してもらった川辺川の河童橋付近で釣りあげたものだといいます。梅雨明けの良い鮎を送ってやろうと考えておられたのが長雨の影響でやっと実現したのだそうです。
 妻は早速、隣のご夫婦に声をかけて夕食会をすることにしました。土佐・室戸風の五目すしと鮎の塩焼きがメインです。川辺川の鮎の香りが部屋に漂います。
 隣のご夫婦は岩手県の和賀川の源流部の出身です。主人はもともとは山猟師ですがもちろん鮎つりの達人でもあったでしょう。天然の鮎に舌鼓を打つ喜びに焼酎も進みます。僕よりはひとつ上ですが現役の労働者で壮健そのものです。暇なとき釣りに行かないかと誘ってくれます。

 人吉に電話をしてお礼を言いました。病の体験もあったと聞いていますが今すっかりそれを乗り越えて、何時間も川辺川にたって釣果をあげられたのです。妻も大島の新婚時代にこのご夫婦に世話になりました。40余年を経てこうやって毎年のように日本一の清流の鮎に恵まれるのです。厚情に幸せをたっぷり味わっています。

 僕は海のそばで育ちましたが釣りはだめです。大島時代に賀明さんたちが連れて行ってコーチまでしてくれたのですが、緊張感がなくすぐに仰向けになって眠ってしまいます。獲物を狙う本能が欠如しているののではないかと思うくらいです。

 年をとって暇ばかりになりました。一日釣りをしている人を見かけます。それでもやってみようかとはならないのです。自転車をこいで散歩するか、昼寝をするかです。しばらくすると旅心がわいてきます。

 

よさこい祭り

2009-08-10 13:50:41 | ふるさと 土佐・室戸
 昨夕は川越でも驟雨がありました。徳島県の吉野川流域が豪雨に見舞われたというのでカツヨシさんに見舞いの電話をしました。娘さんがこのあたりの出身の方と結婚し、お婿さんの故郷でのお披露目があるということで阿波市に滞在中なのです。豪雨中であるがゆえにお婿さんの親戚の方々との交流がよりいっそう深まったのかもしれません。元気そうな声が聞こえて何よりでした。
 土佐ではなく阿波ですが同じ四国に縁ができて僕も喜んでいます。何かのおり、また四国の旅をする機会があるかも知れません。前回一緒に徳島城址を訪ねた際、驟雨に見舞われたことを思い出します。どういうわけか、雨と縁がありますね。「雨降って地かたまる」といいます。若い二人への励ましと受け取りましょう。

 高知では今日から「よさこい祭り」が始まるようです。室戸沖で台風が発生ということですが、たとえ雨になっても若い人たちはあのエネルギーを爆発させるのでしょうか。「よさこい」も昔とはすっかり様変わりしました。

 坂戸(埼玉)が22日23日、原宿が29日30日と関東でも「よさこい」があります。23日には赤坂で前夜祭があるとか。祭り好きな方は一度のぞいてみてください。病み付きになるかも知れません。
 モダンな若者のビートの利いた踊りが主流です。「よさこい、よさこい」と「鳴子」を手にするほかはそれぞれのグループの創作したリズムに乗って踊ります。

 四国の夏は暑くて蒸し暑いかもしれませんが高知の「よさこい」が終わると阿波踊りです。こちらは歴史が違います。よしこのの響きにあわせて軽妙に踊る芸達者の晴れ舞台です。
 高知と徳島を海岸線沿いに結ぶのが国道55号。僕の故郷 室戸岬はその中間点にあります。海と空のほかは何もありません。そんなところを訪ねてみたい方がおられたらご一報ください。何か役立てることがあるかもしれません。

東京湾花火

2009-08-09 22:12:28 | 友人たち
 8月8日(土)曇り

 午前中にAさんから東京湾花火に招待の電話があったので喜んで出かけることにした。雨の心配があるのでいつもは持たないこうもり傘をもって行くことにする。

 5時ころ豊洲駅でAさん一家と落ち合い、近くの観覧場へ。打ち上げ場所の晴海公園からは離れているが遥かにレインボウブリッジなどもみえる眺めのよいところだ。豊洲地区の小学校のこどもや家族の専用席で小4のカンくんの担任の先生が他のかたがたとともに会場案内をされていて声をかけてくれた。。
 
 北朝鮮からやってきたこの家族とは5月に北信濃へのバス旅行をともにして以来である。こどもたちにとっては日本では初めての夏休みだが姉弟ともに元気に過ごしているようだ。カンくんは先日、妻が届けた『くらまはかせのなぜ』(山中恒著)をほぼ読みきった様子。

 娘や息子がこどものとき読んだ本の大半はアチコチに贈ったが山中恒の作品などはなぜか残っている。僕がもう一度読んでみたいと思ったのかもしれない。今回それらをカンくんたちに贈ることにしたのだ。こどもの読み物だが僕が親になる過程で読んで面白くかつ感動する作品が多かった。池商の生徒たちにも勧めたものだ。   
 『くらまはかせのなぜ』http://pippupgii.blog.so-net.ne.jp/

 
北朝鮮を脱出して中国に保護されていたときに日本語の勉強をしたとはいえ、この春、小学校へ転入したばかりである。この少年の日本語の上達は驚くばかりである。会話は100%といっても過言ではない。読解の力も相当のものだということがわかった。山中恒の物語の面白さに導かれて次々と読んでくれるかもしれない。

 ビールをご馳走になっているうちに花火の打ち上げが始まった。休むことなく1時間20分。オリンピック招致を意識してか、五輪の輪が何度も夜空に広がった。

 関東に来て花火を見るのは初めてだ。川越でも毎年やっているが見に行ったことはない。人ごみの中にまでいってみたいとは思わなかった。今回もAさんに声をかけてもらわなければこんな風に楽しめなかったに違いない。
 
 Aさんの家族との交流はSさんとの縁が生み出したものだが、僕の生徒であった謙一くんが二人の子供をしっかりとサポートしてくれているおかげだ。縁というか、人のつながりというか、ありがたいことである。

 僕は1978年に室戸岬港で見た花火を思い出した。池商で担任した生徒たちが一緒だった。打ち上げ現場の近くで見上げたから迫力があった。僕の田舎を訪ねてくれた面々も、時にはあの夜の花火を思い出してくれるのかなあ。
 花火見物の帰りに小学校の同級生武実くんと会った。それが今日まで続く交友のきっかけだ。

 帰りの交通の心配は杞憂で、どういうわけかそれほどの混雑もなく10時過ぎには無事帰宅することができた。


 

 


 『12人の怒れる男たち』

2009-08-08 04:24:46 | 政治・社会
 裁判員制度による裁判が始まりました。司法の民主化(司法に主権者である国民が参加する)を進めるという観点から僕はよい試みだと思っています。しかし、課題も少なくありません。
 「民主主義を支える倫理とは?」ということで18歳選挙権とともに文京高校時代から授業でも取り上げてきました。いつのときもアメリカの陪審制度を描いた映画『12人の怒れる男たち』を観賞します。

 山吹高校の二人の生徒の感想,意見を紹介します。生徒の多くを代表する意見のように思います。皆さんはどう考えますか。




 『12人の怒れる男たち』(1957 USA)

   民主主義を支える倫理とは?   M
 

 今日の授業で見たビデオは、簡素な作りながら、印象に残るものでした。思うことは多々ありましたが、その中でも、意見を述べるすべての人が、曇りのない目で物事を見ているのではない、ということを強く感じました。そして、結論を出すには一人の反対があってもいけません。そのことがこの映画の一番重要なところかもしれないと思いました。

 映画の中には、いろいろな視点から物事を判断できる人、つまりヘンリーフォンダの演じた「理性的市民」が12人の中にいました。しかし、現実にはこういう人は少ないです。もしも陪審制度が単純な「多数決」であったらこのような人の意見は少数派として押しつぶされてしまったでしょう。

 しかし、ここでのシステムは、12人が12人とも納得し、同じ結論を出さなければ結論は出ません。一番重要なのはそこだと思います。映画の中でも結論を出すために、一人の「無罪」を11人の「有罪」が説得しようとしていました。これは実は重要なことで強制ではなく、説得でなくてはなりません。
 そして、説得ということをするためには、相手が問題のどこに疑問を感じているかを知らなくては、自分も意見の述べようがありません。つまり、みんながその問題について積極的に考えるようになるのです。
 そして他の人の意見にも耳を傾けるようになるのです。他の人の意見を聞くことにより、自分の中に潜む偏見にも気づくチャンスがあります。自分が信じているものだけが世界ではない。そのことを知らなければ討論などできません。
 しかし、現実に、必ずヘンリーフォンダがいるわけではないのです。自分の世界だけを信じている人が簡単に物事を決めているパターンのほうが圧倒的に多い。そのことを考えると恐ろしいです。自分も注意しなくてはと思いました。

 (略)

 この「討論」というものは『人としての人同士』でしか成り立たないものだとも思いました。中には少数派を無理やり押さえつけるために暴力に訴える人、権力を使う人、また、そのような人に従ってしまう(従わざるを得ない)人などが存在します。つまり、この討論というのは、卑怯な人がいないという前提の下でなりたつシステムなのです。つまり、結局は一人ひとりがしっかりしなければいけない、そういうことなのかもしれません。

 そして現実には、一人ひとりの意見を聞く時間がない、少数派で居続ける勇気がない、そのようなこともあり、一人ひとりの意見よりも結論を尊重してしまうようになっています。これは考えるべきことかもしれないけれど、難しいです。


 『12人の怒れる男たち』  

            K

 (略)

 この映画の中では12人の陪審員のうちの一人が優秀な人だったからいろいろ話し合いが行われたが、ああいう人物がいなければ民主主義を誇る陪審制も無意味なものとなってしまうと思う。

 市民が裁判に参加することはよいことだが、公正な判決を導くためには課題が多い。
 私はまず義務教育の中でもっと法律を学ばせるべきだと思う。私たちの暮らしの中で必ずかかわるものなのだから、専門家だけが必死に覚えればいいものではない。
 あとは歴史や社会情勢を正しく学び、常に公平な目で物事を見つめられる国民を育てることが大事だと思う。

 半端に民主主義を唱えて国民に権利を与えても、何の準備も勉強もしてこなかった人々は結局、権力者に流されてしまうだろう。今の社会はどこの国のシステムも結局は権力者に都合のよいようにできている。
 国民一人ひとりが自立して国を作っていけるようにすることが、民主主義の第一歩であると思う。



クラス会余韻

2009-08-07 12:55:20 | 友人たち
 飯能は大雨だったそうですが川越はそれほどでもありません。忙しい日が続いたにもかかわらず、妻と娘はおすぎさんの講演会があるというので市内の映画館に行きました。10年ほど前、与那国島(沖縄 八重山諸島)の映画祭に講師としてこられ、翌日、東崎(あがりざき)でお会いしたことが懐かしく思い出されます。夜のことなので僕は留守番です。

 旧1Gのクラス会であったばかりの人たちからメールが届きました。

 ●久々に開かれたミニ同窓会は最初全然人来ないー!!!
 って多美ちゃんと心配してましたが、あっという間の
 ひとときで本当に楽しかったです!

 先生の病気のことも桂ちゃんからちょっと聞いていたので
 一緒にお酒飲めて、本当に良かったです!
 のりこさんも私のこと覚えてくださっていて、嬉しかったです

 皆からも言われる事なんですが
 「まゆこって、転校生なんだよね~!!」
 って改めて驚かれます。自分でも不思議な感覚で、皆と一緒に入学した気に
 なってます。そんな感じですんなりとけ込めたのも、クラスの
 皆が、素直で優しい子達だった事と、先生のお陰だと思ってます。
 厳しく頭の固い学校から転校した私にとって、先生のお家にプライベートで
 遊びに行く事や、先生を名前で呼ぶということは、一種のカルチャーショックで もあり、憧れでもあったので凄く印象に残っています。

 この出会いは一生続けて行きたいです!次は10月に多美ちゃんの新居ですね!
 楽しみにしてます!!(真佑子)


 ●先日は楽しいひとときをありがとうございました!!
 久しぶりにみんなに会えたのも、啓介先生が元気だからですね!!
 もっともっと話を聞きたかったのに、無常にも時間は過ぎてしまい・・・
 気づいたら、1次会の終了時点で終電がありませんでした。。。笑
(優しい旦那さんが迎えにきてくれました♪)

 また近いうちに、今度はもっと大勢で集まりたいとたくらんでいます!!笑

 川越だより、読ませて頂きました!!
 ウルウルしました~涙。。。
 ありがとうございます(^0^)
 1Gってあったかいですね!!(多美子)


 ●こんにちは!先日は久しぶりにけいすけ先生にお会いできて、僕も元気をもら いました!ありがとうございました!
 今日は午前中に部活を終えたので、これから学園で仕事します!部活は七年
 生八年生のサッカー部を見ています!
  僕もけいすけ先生のような面倒見のいい先生になれるようにがんばります~  (^^)  (翔平)


 ●先生とのりこさんにお会いできて、ほんとに嬉しかったし、とって
 も楽しかったです!!ありがとうございました。先生にずっと会いたかったから
 、元気そうなお姿に会えて、ほんとによかった(^-^)
 また機会を作って、会いましょう!今回来れなかった子も、次回を楽しみにし  ているみたいです。また計画しますね!(桂子)

 ●みんに久しぶりにあえてよかったです。また集まれればいいですね!(崇浩)


 ●この前はありがとうございました。

  途中からでしたが行って良かったと思いました。

  先生に会えて本当に嬉しかったです。またぜひお会いしましょ。(智子)

 
 10月に多美子さんの家で合宿する話がありました。結婚式に招待されながらいけなかったので背の君にはあったことがありません。開催が決まれば僕も喜んで参加します。想像するだけでわくわくするような光景が浮かんできます。

 難病と闘いながらナースを続けている人もいます。いい友達に恵まれました。こうやって時々交流することが何よりの薬です。 再見!
 















オバマさんを丸木美術館に呼ぼう

2009-08-06 05:49:17 | 川越・近郊
 ここのところ晴れた日には自転車で上尾の丸山公園や川越公園に行き、森の散歩を楽しんでいます。昨日は川越公園の河川敷の森です。クヌギ林の下草の中にキツネのカミソリの花の群落があちこちにあります。

 キツネノカミソリhttp://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/amarylidaceae/kitsunenokamisori/kitsunenokamisori.htm

 エノキの下で丸薬のような白い固い粒を拾い集めている小学生に出会いました。ぼくは今まで肥料を撒いてあるのかと通り過ぎていました。拾ってみると固くて壊れません。近くに同じような大きさの橙色の粒も落ちています。こちらは何かの種のようです。
 どうするの?と聞いたら「家においておく」とゆっくりした口調で答えました。昼下がりの河川敷の森は明るく危険性はありません。でも、ちょっと気になる風景です。誰と来たの?と聞いたら「お母さん」と返って来たので手を振って別れました。近くに人影はないのですが…。

 気温が上がってくるとぼくは元気になります。森を歩くのも足取りが軽くなります。もっと暑くなれば公園のプールにも行きたくなるかも知れません。65歳から入場が無料になることを先日確かめたばかりです。夏を楽しく乗り切る展望が見えてきました?

 今日は広島に原爆が落とされてから64年目の記念日です。
 
 アメリカの国民の圧倒的多数が原爆投下の正当性を信じている中で、オバマ大統領が「米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある」と世界の人々に向かって演説したことは勇気あることでも、画期的なことでもあります。

 原水爆被害の実態を世界に知らせ、核廃絶の気運を高める絶好の機会がおとずれたのです。
 
 ぼくは川越に住んだおかげで「原爆の図・丸木美術館」を知りました。時々、丸木夫妻の画業の前に立ち、夫妻の思いを想像しながら、我が身を励ましています。本当にありがたいことです。

 ぼくは世界中の人々に丸木美術館を訪ねてもらいたいと思います。原爆地獄の恐ろしさだけが描かれているわけではありません。生きとし生きるものの命への熱い眼差しこそがエッセンスです。

 今秋、オバマ大統領が訪日する予定があるとか。大統領にも丸木夫妻の画業の前に立ってひとときを過ごしてもらったらと思います。情報が届けば行きたいと言ってくれるかもしれません。
 丸木美術館の理事会、坂本・東松山市長、上田・埼玉県知事などはどう考えているのでしょうか。
 福井県の小浜市が市長を先頭に招待活動をすすめているとか。
 私たちの埼玉が世界に誇る丸木夫妻の「遺産」です。県民挙げて招待活動に取り組む値打ちがあると思いますが、どうでしょう。関係者の検討をお願いします。

 原爆の図http://www.aya.or.jp/%7Emarukimsn/top/genindex.htm

北朝鮮の核実験に抗議する市民有志の声明http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/22980a42c330be66b344cbeb9e290107

聾者のダンスショー

2009-08-05 10:47:23 | こどもたち 学校 教育
 ぼくが嘱託として最後の教員生活を送った新宿山吹高校の生徒の文章を思いつくままに時々紹介します。
 一講座あたりの生徒数が比較的少ないので学期に2回は「自己を表現する」という時間を作りました。ぼくの授業には試験がなく、定期試験に該当する時にやりました。
 M・Aさんが夏休みの体験を発表しました。  


  DEAF MUSIC FACTORY
 
                   M・A


 私は 学生でありながら ダンサーという仕事をしている。
 これは夏休みの間に 3回にわたり公演した
 聾者の聾者による聾者のためのイヴェントに参加した時の
 レポートである。

 始まりは小さなものだった。
 仕事で来ていた横浜の街で 車の中から見えた4人組。
 元町の商店街のショーウィンドウを鏡代わりに練習していた
 いわゆるストリートダンサーだ。

 別に珍しい光景ではない。元町にはたくさんのストリートダンサーがいた。
 その中で 何故か 彼女たちだけが 目にとまったのだ。

 それから数ヶ月後、あるコンテストの会場で彼女たちと再会した。
 ゲストダンサーとして 4人のショーを見た。
 ゲストといわれるほどあって 息のあったダンスがすばらしかった。
 何よりもGrooveとかFeelinngとか
 そういった部類の表現力は 抜群だった。

 ショーが終わり すぐに声をかけた。
 するとびっくり 彼女たちは 手で会話していた。
 先ほどのダンスが信じられない。
 なぜ 音が聞こえないのに あれほどの踊りを魅せることが
 できるのか。

 私は興味を持ち、一緒に仕事をしたいと思い、
 「DEAF MUSIC FACTORY」からのオファーを受けた。
 ここで 一つ訂正が… 「彼女たち」と綴ってきたが
 「彼ら」と直そう。

 耳が聞こえない 声が出ない その上 性別まで
 間違えて生まれてしまったのだ。
 「彼女たち」は「元男である女」を売りにしている。
 時に女らしく、時に男らしく それを生きる糧にしているようで
 同情する余地もない。
 彼ら… いや彼女たちを 心から 尊敬した。

 練習には いろんな問題が生じた。
 言葉の壁というのは 通常の倍以上の時間を要する。
 しかし、彼女たちは とても純粋で
 健聴者のように 自分の考えを隠すことはなく
 全てをぶつけてきてくれた。
 それは振り付け師としても演出家としても
 何より 人間として 私には とても嬉しいことだった。

 いざ本番になって 彼女たちは 思った以上に緊張しているようだった。
 ふだんは よく喋る手も 元気がない。
 出番が近づくにつれ、何度も何度も 時計を見る。

 いつも 私は ステージで踊っている最中のことはよく覚えていない。
 ただ すれ違いざまに見える彼女たちの表情は とても 輝いていた。

 ステージを終え 楽屋に戻ると
 自分の左のこぶしと右のこぶしをトントンとぶつける
 仕草を お互いに向かって 行っていた。
 これは“おつかれさま”という手話。

 そんな中 スタッフに ステージに来るように呼ばれた。
 なんと ステージを終えてから10分以上
 拍手が止まないと言う。
 もちろん アンコールに応えなければならない。

 SMAPの“世界に一つだけの花”を
 出演者全員で 手話で歌うことになった。
 するとどうだろう
 観客席の手も歌いはじめ、いつしか オールスタンディングで
 ホールの全てが一体となった。

 ダンサーとして これほどまでに喜ばしい体験は はじめてだった。
 これほどまでに 感動したのははじめてだった。
 彼女たちは 私に何度も“ありがとう”という。
 お礼を言いたいのは私の方だった。

       「前期後半のノートから」(「現代社会」04・10・19)
 
 
 卒業後、文化祭の時訪ねてくれて、浅草で靴職人をしていると聞きました。「訪ねるよ」と約束して時が流れました。近く会えるといいなあ。



 

T・Kさんコメントありがとう。

2009-08-04 21:24:40 | こどもたち 学校 教育
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T・Kさんコメントありがとうございます。元気に活躍されているようで何よりです。

 あなたのいうS・Y校をリタイヤーして2年あまりがたちました。この学校での5年間は退職後の嘱託という立場でありましたのでぼくは社会科の職員の方々とも深く付き合うこともせず、授業を担当する生徒たちとの関係のみを大切にして過ごしました。この学校の教員ではありますが学校のあり方に責任をもてる立場ではないと考えたからです。
 この点、進路指導室に机を与えられたことは大変好都合でありがたいことでした。世情には疎くなりますが教育相談などを通じて子どもたちと深く関わる職員の方々の姿が近くにありました。T・Kさんもその1人です。
 
様々な事情から不登校を体験したり、心を病むところまで追いつめられた子どもたちがいました。ぼくは「倫理」を担当していてこの困難な時代をどう生きたらよいかを考える重責を担っています。
 しかし、ぼくに出来ることはほとんどなく、子どもたちの声に耳を傾けること、子どもたち同志が胸襟を開いて話し合う場を授業の内外に作っていくことに努めました。半期毎に「自己を表現する」時間を作り、2年目だったかに生徒の手でcircle of hearts と名付けられたひろば(同好会)が誕生しました。

 現代社会と学校の闇は深く、救急施設として高知のコニヤンの教育研究所や東京のS・Y高のようなひろばや学校が子どもたちには必要です。そこで働く人たちが子どもたちの現実から深く学び、彼らと共に生きていく道筋を探求する心と力を身につけていかなければなりません。
 能力主義・競争至上主義が教育の世界でも幅を利かせている時代です。そういう時代に育った人が教員になっていくのですから、木に縁(よ)って魚を求めるようなことかも知れません。でも、諦めることはありません。先日の1Gのクラス会で会ったぼくの生徒だった人の中にもそのような歩みを始めている人がいます。いつの時代でも少数ではあっても自分を大切にして生きようとする人はいるものです。

 私たち年をとった者たちも大崎博澄さん(前高知県教育長)のようにはっきりした旗を掲げ自分らしい道を歩いていきたいものです。それがどこかで若い人たちを励ますことになるかも知れません。

 T・Kさんは学校の中核を担う年頃です。こういわれます。
 
 「促成栽培用の化学肥料や除草剤を使わないで水と光を注いで土を耕す旧来の方法で人と付き合っていこうと思います」。

 ご自分の生き方を大切にして子どもたちとともにどこまでも歩いて行ってください。

 どこかで出会うことがあるのを楽しみにしています。

 それにしてもS・Y校にどんな変化が起きているのでしょう。「モラルに悖る」ということですから学校の存立にかかわることでしょう。S・Y校にたどりついて自己確立の道を歩み始めた多くの子どもたちのことを思うと聞き捨てならないことです。

 

 

 

 



 

 都立文京高校 98年度1Gミニクラス会

2009-08-03 08:31:39 | 友人たち
 昨日は一日中雨模様でゆっくり休みました。余韻が冷めないうちに一昨夜の至福のひとときのことを書いておきます。

 8月1日(土)曇り

 多美子さんからメールがあって、旧1Gのクラス会を8月にやりたいが、いつがいいかと聞かれたのは7月12日のことです。高校を卒業して8年かかってこの4月から念願の水族館勤務になった桂子さんと久しぶりに会った席上で決めたことのようです。

 8月1日と聞いて驚くやら(早すぎる)嬉しいやらで心待ちにしていました。クラス会というと、幹事さんは名簿を作り、手紙で案内と返信はがきを送ったものです。近頃の携帯世代はそのようなことはせず、メールと電話で情報をやりとりしているようです。

 「7時から新宿の居酒屋」ということなので昼寝をたっぷりして妻と2人で出かけました。集う人8人(敬称略)。ミニクラス会です。

 多美子 桂子 綾子 真佑子 智子 佑一 翔平 崇浩

 これが教員生活最後のHR担任だという思いを抱いてこれらの人々と出会ったのは98年4月のことです。他のクラスと同じように「倫理」を担当したので、ぼくがどういう人であるかは徐々に理解してもらえたでしょう。
 クラスノートを順番に家に持ち帰ってもらって、みんなに「自分」を書いてもらいました。一年で三冊くらいになったのではなかったかと思います。ぼくにはちんぷんかんぷんの話題が豊富でした。仲のよいクラスになっていきました。
 2学期の終了時に大島に2泊3日の旅をしました。健介くんがみんなで旅をしたいと発案して、ぼくに協力を求めたのです。大島温泉ホテル泊まりの格安のツアーを見つけて実施しました。大島高校OBが色々と応援してくれました。
 この人たちと日々を大切に過ごした記憶はありますが格別のことといえばこの旅行ぐらいです。保護者の了解を得た私的な旅行です。高知への帰省を前にした忙しい時期でしたが、妻も同行して子どもたちと交流しました。誰の心の中にも楽しい思い出が刻まれたようです。

 1Gを解体してから10年が経ちました。高校を卒業してからは8年です。大半の人とはぼくが定年を迎えた8年前に同じ新宿でお祝いをしてもらって以来の再会です。

 1人1人に人生の話をしてもらいました。今年27になります。ぼくが結婚した年齢です。仕事、恋愛・結婚が話題の中心です。遠慮のないやりとりが続きます。誰もがはじめて聞く話が多いようです。

 会社員・警察官・小学校教員・通信制高校サポート校教員・看護婦・医療事務員・水族館職員…。それぞれが自分らしい人生を求めて精一杯に生きてきたことがわかります。
 高校生の時からこれと決めて力を付けて来ながら、この不況下で希望の仕事に就けていない人もいます。悶々とした気持を抱えながら持ち前のバイタリティで展望を切りひらこうとしています。高一の3学期から転校して来てこのクラスの一員になった人です。

 魅力的な女性になったなあ、しっかりした青年に育ってきたなあ…。ぼくはまるで自分の「秘蔵っ子」が世に出て活躍し始めたように感じました。誰もが自分なりの努力を重ねる中で自信らしきものと優しさとを身につけて頼もしくなってきています。

 この会を呼びかけてくれた多美子さんは、昔からみんなを結びつける中心にいる人です。アフリカの人たちとの出会いが自分の生き方の原点だと言います。学校づくりなどに協力したいと考えています。高一の時「we are the world」の勉強をしたことがきっかけになっているのかも知れません。
 新婚さんです。学生の時に世話になったケニヤの「両親」から、結婚式にメッセージが届いたそうです。「わが娘」と受け入れてくれた人の気持ちがぼくにもわかります。積極的な行動の根っこにある、人を思う気持ちに気づいて愛おしくなるのはどなたも同じでしょう。

  今日が僕たちの結婚記念日だと話したらしばらくして「41周年おめでとう」というチョコレートの文字で飾られたケーキが届きました。多美子さんの機転に違いありません。こんなに喜んで祝ってもらった体験はありません。妻に改まって礼を言いました。片肺でもローソクの灯を吹き消す力は何とか残っていました。みんな本当にありがとう。

 気づいたら11時半です。昼寝の成果だとはいえ、ぼくもなかなかの者です。若者たちの街・新宿で真夜中まで過ごしたのです。1人1人と固い握手をして別れました。これをきっかけにして1人1人とより深く出会うことが出来るかもしれません。楽しみです。
 神奈川から駆けつけているという次郎くんはまだ着きません。みんなはカラオケで二次会のようです。

 

 
 
 

モンゴル人ジェノサイド

2009-08-01 06:57:12 | 中国
 内モンゴル出身の友人が出来たのがきっかけになって新聞の縮刷版ほどもある本と出会いました。川越市立図書館に2月頃リクエストしたのですが埼玉県立図書館にあったといって借りられたのは7月18日です。今日が返却期限です。

 『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)』(風響社 20000円)という本ですが、ぼくが読めるのは編者が書いた最初の64ページと「あとがき」だけです。あとは文化大革命当時の文書類がそのまま収録されています。懐かしいガリ版印刷の「最高指示」もあります。でも中国語が読めないぼくには「猫に小判」です。

 返却前に編者(楊海英・静岡大学教授)の文章の一部を書き写しておきます。

 まずは出版社のHPをご覧下さい。「モンゴル人ジェノサイド」。こんな事実があったことをぼくははじめて知りました。読みにくいかも知れませんが我慢して読んでください。


 『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)
  滕海清将軍の講話を中心に   (楊海英編)』

http://www.fukyo.co.jp/02-naiyo/ISBN978-4-89489-881-3.html

 <編者の解説文の結語部分の書き写し>(P64)

 コミンテルンの私生児である(原文のまま)中国共産党は、孫文の後継者たる国民党とのちがいを鮮明にするために、建党当初からしばらくの間はモンゴルなど諸民族に自決権を与えて連邦国家の建設を唱えていたのも周知の事実である。
 しかし、近代の産物である国民国家像がより明確にイメージされるようになるにつれ、中国共産党は民族の自決権を謳歌していた当初の約束をいとも簡単に否定して、少数民族には有名無実の「区域自治」しか交付しなくなった。
 このきわめて限定的な「区域自治」を確固たるものにし、モンゴル人を漢人なみの「人民」に改造するためには、過去にあった自決を求める運動を精算しなければならなかった。
 
 内モンゴル自治区の場合は、内モンゴル人民革命党の精算である。共産党員たちは内モンゴル人民革命党の歴史を「中国革命の一部」だと書き換えただけでは決して満足しなかった。モンゴル人の肉体的な消滅が最も望ましかったのである。
 
 かくして、「民族の消滅」という社会主義的な大義名分の下で、民族分裂主義に反対するという形で、社会主義的なイデオロギーと伝統的な漢人対夷狄(いてき)という構造が重なり合って、ジェノサイドは持続的に断行されてきたのである。

 モンゴル人が少しでも自民族の文化や将来について語ったりすると、たちまち「分離独立者」として疑われる。
 
 この点は、現在の中国においても基本的に変わっていない。

 現在の中国政府が公布する各種の少数民族政策に関する公文書内には文化大革命時代と同様な性質を持つものが多い。少数民族に注ぐ中国共産党の視線は以前と比べて何ら変化していない事実に依拠して予測すれば、ジェノサイドが二度と起こらない保証はどこにもない。
 滕海清講話は人類が経験した「虐殺の20世紀」の過ちを反省するのに有用な材料である。また、人権を重視し、平和な21世紀を構築するためには、まず過去のジェノサイドの実態を着実に解明することから始めなければならない。


 <編者による「あとがき」の書き写し>(P911)

近代において、日本人が最初に出会った「蒙古」ことモンゴルは「内蒙古」=うちモンゴルだった。内モンゴルの東の一部分は日本が作った満州国に組み込まれて、大日本帝国の植民地となっていた。大勢のモンゴル人青年たちが日本へ留学するか、あるいは満州国に設置されて大学で学んだ。モンゴル人は日本から多くの近代的な知識を吸収した。
 日本的な近代的教育を受けたモンゴル人達はほとんど例外なく知的で、教養ある行動をとっていた。彼らはモンゴル社会のあたらいい知識階級を成していた。モンゴル人たちは、日本的な教育を受けた青年たちを心から愛し、また尊敬していた。

 いうまでもなく、現代中国は漢人たちが圧倒的多数を占め、政権運営の主導権を握る国家だ。他の弱小民族の運命は全て彼らの掌中にある。残念ながら、責任ある地位についていた漢人共産主義者の多くは教育を受けておらず、無学無知だった。そのため、毛沢東を頂点とする漢人共産主義者たちは知識人を極端に嫌った。何回も知識人たちを粛清し、国民を無学のままにしておいて統治しようとしてきた。愚民政策である。

 モンゴル人が古くから住んできた土地の一部、すなわち「内モンゴル」と俗に呼ばれる地域は大国の無責任な政策によって、独立が頓挫してしまった。内モンゴルは中国の領土に組み込まれたが、知的で教養あるモンゴル人の存在を中国共産党員たちは喜ばなかった。というのも、知的なモンゴル人たちは日本の植民地支配と結びついているからだ。

 しかし、知的なモンゴル人たちを漢人共産主義者たちも認めざるを得ず、「日本刀をぶら下げた紳士」と、半ば皮肉を込めて呼んでいた。皮肉の成分を除けば、知的で近代的な良好な教育を受けたモンゴル人たちは、匪賊あがりで、粗野な漢人共産主義者たちとはまったく異なる社会運営を目指していた。

 本書はモンゴル人ジェノサイドに関する第一次資料の一部を収録しているが、そのようなジェノサイドの対象にされた間接的な一因に、近代日本の投影があるのも事実であろう。日本の方々にはぜひ、その部分を理解していただきたい。


 P12に紹介されているモンゴル人指導者ウラーンフを批判した漫画のウラーンフの腹部には「日の丸」が描かれています。「日本のスパイ」だと示唆されているのです。