年を一つ取るたびに 捨てていくものもあれば 拾い上げるものもある。
大事に思えることや 大事にしたいものが増えていくこともある。
大事にしたい人が増えることは 喜ばしいことで、それが年々増えていってるはずなのに 不精なわたしはつき合いをないがしろにしがちでもある。その最たるものが年賀状。
どうにもこうにも 準備が遅くなり、とうとう年を越してから行動におよぶということがここ最近は多くなってしまっている。
人づきあいが大切だということはかなり大事だと知っているはずなのに コンタクトを取ることが苦手で、日々の付き合いに埋もれてしまっている。もしかしたら 昔の自分をどこかにしまいこんでいるのかしら・・・そんな思いが沸々と浮かんでくる。
大事な人たちがいるのに 大事だなと思っても形にせずに流されてしまうのはわたしのだめなところだなと思っている。行動を伴わないと 気持ちも通じないだろうに。
そんな反省をいつも年賀状が届くとしている。
今年もまた同じことを・・・
大事な人がいるということは安心感を持てるということでもある。自分の中にほっこりとぬくいものがあるという喜び それがいつもココロの中に灯されていることを感じて それが喜びへとつながる。そんな大事な人をたくさん見つけることができるというのもこれからの人生には必要なこと。若いうちはいろいろな人と衝突し 色々な決別を知っていくのが 人生の厚みになると思うけど、年を取ると共に必要なのは本当に大事なものや大事な人をどれだけ自分の中に持てるか だろうなと 今日は強く思っていた。
どちらかというと インドア派のわたしは外に出て人と知り合う機会を持つのはあまりない。これからもそのスタンスは広がらない気がする。でも 少しずつ外で自分を出すこともこれからは必要なことのような気がしている。それがどの機会なのかはわからないけど、母との時間以外でもっと外で誰かと知り合うこともまたこれからの人生に豊かなものを与えてくれるような気がする。それはまた母がわたしに望むことの一つなのではないかなとも思える。わたしが狭い世界にいることを母は望んでいない。
母も老いた。これから先何年一緒に過ごせるかと思うと 母との時間を優先したい気持ちが強い。だが、もっと色々な人とのつながりを求めて過ごすこともまた大事なのだと思える自分がいる。今年は母との時間の合間に 何かできることを探そうと思う。そして大事なものや大事な人たちが増えるような人生でありたいと思う。
もちろん無駄なものはこれから少しずつ整理する。わたしには無駄なものが多すぎるから。大事なものを増やすというのは 物を集めるのではなく道端に咲く小さな花を美しいと感じる瞬間があるということや 今まさしく昇ってくる朝日を拝むことができたということや そうしたココロの財産をたくさん蓄えるということで物欲ではない。
もっと感激しながら生きていたい。
去年はなんだかココロの浮き沈みが激しくて 自分がずんと落ち込んでいたことも。今年はもっと明るくなりたいなと思う。大事な人たちとふれあうことでそれが叶えられる気がしている。
冒頭の画像は 孫ちゃんに雰囲気が似ている気がして。
昔 娘がわたしにプレゼントしてくれた小さなお人形。洗面台の棚に飾って毎日見ている。優しく見てくれているような・・・何しているの!って叱ってくれるような・・・(笑)
大事に思えることや 大事にしたいものが増えていくこともある。
大事にしたい人が増えることは 喜ばしいことで、それが年々増えていってるはずなのに 不精なわたしはつき合いをないがしろにしがちでもある。その最たるものが年賀状。
どうにもこうにも 準備が遅くなり、とうとう年を越してから行動におよぶということがここ最近は多くなってしまっている。
人づきあいが大切だということはかなり大事だと知っているはずなのに コンタクトを取ることが苦手で、日々の付き合いに埋もれてしまっている。もしかしたら 昔の自分をどこかにしまいこんでいるのかしら・・・そんな思いが沸々と浮かんでくる。
大事な人たちがいるのに 大事だなと思っても形にせずに流されてしまうのはわたしのだめなところだなと思っている。行動を伴わないと 気持ちも通じないだろうに。
そんな反省をいつも年賀状が届くとしている。
今年もまた同じことを・・・
大事な人がいるということは安心感を持てるということでもある。自分の中にほっこりとぬくいものがあるという喜び それがいつもココロの中に灯されていることを感じて それが喜びへとつながる。そんな大事な人をたくさん見つけることができるというのもこれからの人生には必要なこと。若いうちはいろいろな人と衝突し 色々な決別を知っていくのが 人生の厚みになると思うけど、年を取ると共に必要なのは本当に大事なものや大事な人をどれだけ自分の中に持てるか だろうなと 今日は強く思っていた。
どちらかというと インドア派のわたしは外に出て人と知り合う機会を持つのはあまりない。これからもそのスタンスは広がらない気がする。でも 少しずつ外で自分を出すこともこれからは必要なことのような気がしている。それがどの機会なのかはわからないけど、母との時間以外でもっと外で誰かと知り合うこともまたこれからの人生に豊かなものを与えてくれるような気がする。それはまた母がわたしに望むことの一つなのではないかなとも思える。わたしが狭い世界にいることを母は望んでいない。
母も老いた。これから先何年一緒に過ごせるかと思うと 母との時間を優先したい気持ちが強い。だが、もっと色々な人とのつながりを求めて過ごすこともまた大事なのだと思える自分がいる。今年は母との時間の合間に 何かできることを探そうと思う。そして大事なものや大事な人たちが増えるような人生でありたいと思う。
もちろん無駄なものはこれから少しずつ整理する。わたしには無駄なものが多すぎるから。大事なものを増やすというのは 物を集めるのではなく道端に咲く小さな花を美しいと感じる瞬間があるということや 今まさしく昇ってくる朝日を拝むことができたということや そうしたココロの財産をたくさん蓄えるということで物欲ではない。
もっと感激しながら生きていたい。
去年はなんだかココロの浮き沈みが激しくて 自分がずんと落ち込んでいたことも。今年はもっと明るくなりたいなと思う。大事な人たちとふれあうことでそれが叶えられる気がしている。
冒頭の画像は 孫ちゃんに雰囲気が似ている気がして。
昔 娘がわたしにプレゼントしてくれた小さなお人形。洗面台の棚に飾って毎日見ている。優しく見てくれているような・・・何しているの!って叱ってくれるような・・・(笑)