注:あっタイトルに惹かれた人はがっくりきます(笑)
金曜日から昨日まで、日常とは離れた場所で過ごしていたわたしですが、今はあれは夢だったのか?といった思いがあります。確かに一日一日があっという間で思い出すとそれぞれに濃い時間であったはずなのに、あっという間だったということが、記憶からすり抜けたような感が否めない。
でも、確かにそこにわたしはいた。そして触れ合った。まだ言葉を介することが難しい存在であった孫であっても。かたや二歳にもうすぐ近づき、かたや二カ月半という孫、そのそれぞれと触れ合ったことがどれだけ自分の中に力を与えてくれたのか・・・これからの自分の中に生きようとする力を与えてくれたのか・・・身震いするほどの喜びであり、しみじみ味わいたい喜びでもある。
幼子の仕草一つ一つに「あらあら」「まぁ こんなことも」「そうなの?」・・・ばあばは感動するのである。自分も遠い昔に通ってきたであろう仕草であったとしても、今初めて目にしたかのように感動するのである。親は今まさに子育て真っただ中、感動する余韻はなかなか持てないだろうが、親世代の上は責任という言葉がスポッと抜けているから、ただただ可愛いのである。そんな自分になったのだなと今回の旅では痛感してきた。今もまさにその余韻に浸っている。
その余韻に浸りながらの帰りの車中。乗り換えで大宮を選択したのは、直通で乗り換えがなかったからだ。東京駅で乗り換えすると構内の人波にうんざりするからと思って新幹線のチケットを予約したが、大正解だった。息子が大宮まで余裕を持った時間を選択してくれた。平塚の駅でおみやげを買いたいからと言うと、時間を十分見計らって駅であれこれ品定めし、重いので宅配を頼み、余った時間は外のデッキでスタバを味わう。短い時間だったが、息子とあれこれ話し。娘のところでも少しではあったが、話し、この旅は自分にとって濃い濃い時間となった。子どもたちのこれからが難題が待ち受けていようとどうにか解決していこうとする力があるということ、それをしっかり受け止めた気がする。
子どもの人生は、すでに家庭を持った子どもが決める。親は何か手助けできるなら手を差し伸べるだけだ。間違った道や踏み外した道を歩くことであれば、それを良しとしない断りを伝える。苦労するのが目に見えても、それを望んだ先にはきっとやり遂げたときに先が見えてくるはず。見守るのもまた親の道だ。
そんなことをふと思いつつ、孫にはきっと甘いのだろうなと苦笑いするわたしがいる。
新幹線を待つホーム。前にはがっしりタイプの男性。どこかで見たことがあるなあと思いつつ、予約したのは特割5%グリーン。グリーンに乗り慣れていないわたしはどこかぎこちない(笑)。前に立っていた男性がわたしの隣だった。わたしは盛岡だったので、
「どちらまで行きますか?わたしは盛岡までなので、席を代わっていただけるといいのですが」
と言うと
「ぼくは新青森までです。そうですか。じゃ交換しましょう」
といって、通路側がわたし、窓側が男性になった。降りるときに上にあげた荷物を出し入れするのが嫌だったから、足元に置きたかったのだ。
平塚から出る直前、息子がわたしのスマホにラインをダウンロードしてくれた。画像のやり取りがしやすいからというのだ。電車が出てから、車中であれこれ見たが、いかんせん、わたしはこの手の類はまったくわからず、出てきた画面に四苦八苦。すぐに娘から画面に「登録できたの?」というメッセージが出ていたが、それにもどう返したらいいのやら・・・困り果てていた。
そこで、新幹線で隣り合わせたその男性におそるおそる訊ねた。
「あのぉ~すみません。ライン入れてもらったんですけど、使い方がわからなくて・・・」
というと その方はスマホを見てメッセージの入れ方を教えてくれた。後でわかったのだが、その方はラインを入れていなかった。なのにサクサク教えてくれたということは、いかに現代は年寄には扱いにくい代物が多くなってきているということだ。(その方はわたしに、ラインをやろうと思うことが若いですよと言ってくれたのだが)
メッセージを送信することに成功したわたしだが、しばらくして娘から画像が送られてきた。まだ見たことのない孫の姿に嬉しさを隠せない。自分も息子のところで写した孫の写真を送ろうと思った。だが、またまたこれがわからない。しばらくあれこれいじってみたが、ちっともわからずさじを投げた。またまたおそるおそる隣の男性に
「何度もすみません。画像を送りたいのですが、どこをいじればいいのかわからなくて・・・」
「ぼくはラインやっていないけど、見て見ますか」
といって探してくれた。すぐにもわかって今度は画像を送れた。感謝感謝である。
そのお礼にといってはなんだが、平塚駅で買った鎌倉おやきが鞄に入っていたので、一つを出して
「少しだけど、お礼です。食べませんか?」
と言って差し出した。その男性は思いがけない申し出に嬉しそうな顔をして、すぐにおやきを袋から出し食べ始めた。なんだか意外な気がした。実は平塚の近くでつい最近まで勤務していたんですよと話し始めた。その後 盛岡に着くまでの数十分間、男性とあれこれ話した。人の良さそうな男性は転勤族で、9月から青森勤務とか。これまでも一か所に3年間ぐらいで転勤となり、大阪やあちこち全国を転勤。こういう生活もあるのかと驚きを隠せなかった。孫と同じような三歳の子がいるというのもまた親しみが持てた。お父さん、頑張れ!エールを送りたくなる。初めての雪国、これから雪の洗礼を受けるわけだ、頑張れ!
話していると あっという間に着いた。お礼もそこそこに立った。本当にありがとう。お名前伺っていなかったけど、どこか舞の海に似た感じのお兄さん、きっとどこにいっても溶け込めるそんな感じの方だった。
盛岡からのバスは混んでいた。連休ということもあったのだろう。車内の上の棚に大きなバッグをいれようとしたが、はいりきらなかったので、足元に。隣の方の足元に邪魔をする。誰も座らないといいのだけど・・・と思っていたが、ぎっしりの人数になってしまい、男性が座ろうとした。思わず
「すみません、この荷物上に乗らなかったので、足元にはみ出ているのですが、いいですか?」
と訊ねると、
「上にあげてみましょうか?」
と言うので
「あげてみたのですが、入らなくて・・・」
「あぁ、きっとこの部分がひっかかったんですよ」
と笑って、重いバッグを入れてくれた。笑顔の感じの良い方だった。
帰りも 自分が降りる段になると、わたしの分のバッグを下してくれて、自分が座っていた席に置いてくれた。車中、厚さのある文庫本を読んでいた男性、どんな本を読んでいるのか気になったが、窓外をずっと見続け居眠り。郷里に帰ってきたのか、はたまた旅の戻りなのか・・・想像するのもまた楽しい。バックパックを肩にかけて降りて行った。窓から見ると、誰かに電話、多分お迎えコールだろう。旅は道連れ、世は情けとはよく言ったものだ。ありがたい、優しさを垣間見てココロが和んだ帰りの車中だった。
昨日は、息子から始め優しい男性のオンパレード♪
うふふって、なんか気分良く帰ってきた。
それなりにお年寄りになるのもいいかもって思ったわたし。
ほら、言うでしょ?お年寄りには親切にって(笑)