心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ただ誰のためでもなく

2018年02月20日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

ただ誰のためでもなく
わたしは生きている
そう思えること
そう思うまでに
いくつもの時間を費やしたのだろう

係わった人々との関係が深くなるほど
自分に課せられたものを感じて

でも
自分が生きるって
誰かのためじゃない

ただ誰のためでもなく
自分自身が生きるために
前を見ているのだと
これが自分に与えられた運命なのだと

そう思えるようになったこと
それが今の自分にとって
何を意味するのか

※※※

いくつかの問いに答えよう
それが答えにならないものだとしても
君は答えを期待して待つのだろう

君の待つ誰かは
君が愛したそれを
慈しみ
ただ
黙って
頷くだけだ

君はそれでも
問いただそうとするのか

答えのないものへと
誘うつもりなのか

※※※


読んでます『50歳からの音読入門』

2018年02月20日 | ほんのすこし
店頭で思わず手にした本。

『50歳からの音読入門』齋藤孝著

最初にあるのは、平家物語、「祇園精舎の鐘の声~」
懐かしい!
思わず、ちょっと若くなった気分。
知っているから読める。とうとうと読みながら、なんだか気持ちいい。
『論語』『孫子』『方丈記』と続く。どれもほんの少し抜粋。
しかも解説付きだから、文章の意味もわかるし、至れり尽くせり。

声に出して読む、という行為はかなり精神的にプラスになると思っている。以前子供相手に読み聞かせをしていた時期があったが、色々忙しくなって活動を止めたけど、今でも読み聞かせは好きだ。
読み聞かせというより朗読が好きなんだろうな。
子供ではなく大人相手でも、例えワンちゃんでも(笑)、以前母のご近所さんのわんちゃん相手に読んだことがある。その時の話をここでも書いたけどね。

話を戻そう。
この本は各章ごとにタイトルがある。
第一章だと、「後半生をどう生きるか覚悟を決める」となっていて、それに沿ったものを紹介している。
第三章では「ゆったりと時の流れに漂う」
そして中にはスガシカオの『夜空ノムコウ』の歌詞が紹介されたりしている。全部が全部堅苦しいものばかりではないのだ。ただやはり故人の言葉が多いのは否めない。昔の人はかく語りき・・・ではないけど、本当に良い言葉を文章を残してくれたと感心する。
そして膨大な言葉の海の中から、この文章を選べる齋藤孝氏にも感嘆する。
もちろん、この方はこれまでも沢山似たような著書を書いているので、お茶の子さいさいなのかもしれないが。

言葉に敏感であれ。
と思う。
琴線に触れるものを大切に、と思う。
それは構えてすることではなく、日常の何気ないところで見え隠れするものなのだ、と思う。

敏感でありたいと思うのに、どこか愚鈍な自分が神経があるのか? と思うような思いやりのない言葉を吐いている時がある。
後に来るのは果てしない後悔。
そして言葉というのは発したあと、自分に戻ってくるのだ。後悔した言葉ほど痛い。

あれ?
本の話がわき道にそれた。
これもわたしだ。笑ってやり過ごすことにする。


恋するサラダ

2018年02月20日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

サラダだって恋をする
あなたがそばにいたらって
ちょっと遠くのアスパラを想う

サラダだって恋をする
こんなに薄くしなくたって
もっとわたしを見せてよって
アピールしたくなる

サラダだって恋をする
オリーブオイルとやらの身体にまとわりつく
その滑り具合の良さに
うっとりとした目つきで

あぁ、サラダよ サラダ
なぜにお前は美しい
どんな仲間と一緒であろうと
サラダという名があるだけで
一瞬にして
恋するものと入れ替わるのだよ

※※※

ふと頭に浮かんだのよ
「恋するサラダ」って言葉が
浮かんだら頭から離れない
コタツの上にあるチラシの後ろに急いでメモをする
なんて素敵な言葉なの!(笑)

そんなことを思う自分
嫌いじゃない

※※※

今日も雪の合間の晴れ
空が輝いている
きっとサラダも満面の笑顔で
恋を満喫しているだろう

※※※