心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

夕暮れ

2018年02月23日 | ほんのすこし
今日はそんなにも綺麗じゃなかったけど、昨日の夕暮れがなんだかすごく気になって。
早めに母のところから戻ってきて、ふと窓を見たら、空が綺麗だなあって。
慌ててスマホを手に踊り場に出てみた。
夕日を浴びて外の世界が眩しそうだ。

部屋に戻ってからも窓から写してみた。
夕暮れっていいなあ。
そう思えた。
いつも戻ればすぐにカーテンを引いてしまっていたけど。窓の外がどうなっているかなんて、ちっとも考えていなかった。
もう少し外を見ていたら、違う世界を見ることができたかもしれないのに。

早々と自分の世界に入り込んで、外の世界を遮断していた。そんな気がした。

わたしの日常は外の世界との繋がりが少ない。自分からそうしているんだな、きっと。もっと外に出ることをしたら、今年という年は変わるかもしれない。
見るものすべてが輝いているような、そんな日があってもいいし、出会える限りのものに感謝したくなる、そんな日があってもいい。
今日はそうだったかな。
今日はオリンピックのフィギュアスケートを観戦したんだった。ずっと母とふたり応援していた。こんな時間を持てることに感謝したい。こういう生活をさせてもらっていることに感謝したい。

わたしが生かされたこと、すでに10数年も月日が経っている。その間、わたしはちっとも成長していないし、後退しているかもしれない。いつも反省だらけの日々を過ごしている。
でも、こうして生きていることが嬉しい。子供達がそれぞれの人生に向かって苦しみつつも前に進んでいる(と思っている)ことが嬉しい。
母が病気を抱えつつも自分の家で暮らすことが出来ていることが嬉しい。

小さなしあわせが沢山積もり積もって今に至る。
この夕暮れを与えてくれたことにも感謝。


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2018年02月23日 | ほんのすこし
「がんばれ社長!今日のポイント」(武沢 信行)というメールマガジンを購読して早10年は経っている。
毎週金曜日は雑感を書いているのだけど、今日の雑感の中で気になるものがあった。

※※※

■今週の雑感「リーダーの器、親の器とは」

最近、ある方と話していて「器」(うつわ)とはなにかを深く考えさせられた。その方は「しつもん」を中心にコーチングされている方で経験も実績もたくさんある。仮に氏の名前を A さんとしておこう。

A さん曰く、「部下は上司の器を超えられないし、子は親の器を超えられないことが多い」という。そんなバカな、それじゃ人類の進歩発展に逆行するじゃないか、と思った。しかし、続きがあった。
「高圧的で指示命令が大好きな上司や親の場合はそうなる」というのだ。指示命令ばかり与えていると、自分以下の人間しかつくれない。
自分を超える部下や子を育てたかったら、指示命令オンリーのリーダーシップを変えねばならない。その際に効果的なのがコーチングのメソッドであり、質問の技術を磨くことだという。

いつも頼りになる上司(親)でいたいために、答えを先に与えてしまっていないだろうか。その結果、考えない部下や子どもをつくってしまうことになる。
「うちの部下(子)は頼りない」という人ほど、自らが周囲に限界をつくらせてしまっているのではないかと A 氏。

※※※

特に最後の文面が気になった。
「うちの部下は頼りない」とか「駄目だ」と訪問客に話す上司は、そう話すことによって自分の会社の弱さを露呈しているようなものではないか。
身内を下に見下げた発言をするのは、悪癖だと思う。別に親バカになれという訳ではない。
正当な評価をすることが大事だと思う。
そして自分が自分が、となんでも先にやってしまったり、やることを決めてしまったりすることが果たして成長を促すことになるのかとも思う。言われたことをやるだけでは指示待ち人間を作るだけになるし、「駄目だ」と否定ばかりしていては人も育たない。

でも、案外こうした上に立ったらその位置にしがみついて人を育てることを忘れている上司というものは多いような気がする。いつかは自分を越えていく人間が現われることへの不安がそうさせるのか、裏返せば自信の無さが部下の新鮮な考えを拒むのか。
とにかく、上の者がいつまでたっても自分を変えない限り、企業の成長は人間を育てることと同様、伸びていかないのではないかと最近つくづく思う出来事があった。
トップが変わるか、トップを替えるか・・・逆に下につく者の意識も変えなければ、指示待ち人間だらけになってしまう気がする。