心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

虚脱感

2015年01月09日 | ほんのすこし
どうにも昨日あたりから 虚脱感というか・・・魂が抜けているというか・・・
何が原因なのか さっぱりわからないところが困るわけで。
・・・と そこまで考えてみて 一つもしかしたらということが頭に浮かんだ。お正月こそ子供たちもいなくてのんびりした雰囲気ではあったけど、年末にかけて娘が孫を連れてやってきていた。人見知りが始まっていて 親がいないとわかると途端に不安そうな顔で見る。わたしのところにハイハイしながらやって来て親のところまで連れていってくれとばかりに。抱き上げて親捜し(笑)

そのときだけ 抱いてくれとやってくる。これがおいでおいでをしたらやってくるのはいつかなぁ。面白いことに いる間 孫の離乳食を買って出たわたしが台所に立つとぐずっていた孫がわたしの方に集中する。食べるのが好きな子なのだ。ほんとに美味しそうに食べている。いっちょまえにスプーンを手に持って すくって食べようとする。うまくすくえなかったが、最後の方ではすくえる場面もあった。自分で出来るようになるということは ほんとに嬉しいらしい。出来たとわかった途端 どうだ?といった顔を満面に。
赤ちゃんだって嬉しいのだ。出来ないことが出来るようになったら。
大人は赤ちゃんの延長だ。赤ちゃんと同じように今まで出来なかったことが出来たら誰だって嬉しいに決まってるって その瞬間思った。

孫は言葉は言えなくても 大人が話すことを断片的に理解しているようだ。綺麗な言葉を普段から使うようにしていれば きっと言葉を上手に使える子に育つだろう。娘よ がんばれ♪
絵本にも興味を示してくれた。今度来るときはもう少しじっくり絵本を読んでもらうことを楽しめるかな。色々な行動をしてみせてくれた。驚くこともたくさんあったし。
やっぱりなんといっても何をしても可愛い。
赤ちゃんってなんでこう可愛いんだろうね。
夢中で過ぎていった数日間。その後のお正月。金曜から少しずつ始めた仕事。昨日までこれまた肩コリしながらようやく片付いて。まだ不安はあるけど。
そんな状態のせいか 今はなんだか手につかないふわふわ感。仕事に夢中なときが過ぎて やっぱり娘たちがいなくなった虚脱感が漂っているのだろうなぁ。

春になって暖かくなったら 顔を見に出かけたくなっちゃったよ(笑)

眠れなくなったので

2015年01月07日 | ほんのすこし

布団に入った途端、窓の外の道路、除雪が始まった。もっと早く寝ればよかったと悔やんでも後の祭りだ。除雪が始まる前に眠ってしまえばしめたもの、外の音なんてちっともきづかないほど寝ているんだけど。
仕方が無いので眠くなるまで読書を。『One World』喜多川泰著
短い話がいくつか入ってる。どれも前に進むために気持ちを奮い立たせてくれる言葉ばかり。読みやすくて素直な文章はお手本になるなあ。
明日、といってももう今日になったか…これから寝たらきっといい気分で目覚めることができそうな気がする。
あ…なんだか眠れそう…

おやすみなさい…

あー

2015年01月06日 | ほんのすこし
お正月に時間があるからと のんびり構えていたら・・・なんだか尻に火がついたぐらいの感じで。
土曜からずっとパソコンに向かっているのだけど。
どうにもこうにも手元にあるものが足りないものばかりで。
準備段階からして 不手際だらけだものね。

仕事がはかどらないと気になって仕方がない。眠っていても浅い眠りなのか 今朝も夜中に目がパッチリ覚めてしまい、起き出してあれこれと考えていた。
そのおかげでいくらかはかどったけど。
わたしはいつもこう。ギリギリになって慌てるから。それでも今回は出さなければならないものを土曜には仕上げていた。もう一つのほうがなかなか手ごわい。どっちつかずの進捗状態だともっと慌てるから 出来ていたものから出した。

ふぅ。今日はもう一つにかかりっきりで、肩が凝ってきたなぁ。少し 頭の切り替えをしなくては。
そんな気分でネットに入る。入るとそれはそれであちこち放浪するから、仕事からかけ離れてしまう(笑)

あー 疲れた(笑)

おまけに 注文していたワンピースが届いたはずなのに、中身はジャケットだった。すごく期待していたのに。交換を頼んだら、ワンピースはすでに完売とか。なんてこった・・・
なんだかなぁ。
あー やんなっちゃった(笑)

それでもまぁ 二三日待ってくださいと返事をいただいたので ちょっぴり期待して待つことにしようかな。

たまに仕事すると こんな調子で、ますます動かなくなって、お正月明け わたしはコロコロと太ってばかり。合間にネットなどせずに 体操をしたらどうなんだ?と言われそうだ。
あー 早く終わらせたいよ。

では さよなら さよなら さよなら(かなり疲れている気がする・・・)

夢の中から

2015年01月04日 | 朝のことば&つぶやき
夢を見ていました
そこは見たことも行ったこともない場所で
わたしだけが たったひとりぽっちで立っていました

周りには白い木々がふんわりした雪をかむって
わたしの足先は少し冷たい気もしましたが
どこかで暖かい風が入ってくるような
東の空がほのかに橙色を帯びてきて
だまって ただただ空を見ていると
わたしの頭に 肩に 掌に
白いか弱いものが ふんわり降りてくるのでした

触るとすぐにそれは消えていき
消えていったかと思うと
わたしの胸の中が少しく ぽっとなるのでした

わたしはなぜだかふいに目をつむりたくなり
ギュッとまぶたを閉じました
もしかしたらこの見たこともない世界が
目を開けたら消えてしまうかもしれないという不安はあったのに

やっぱり 思っていたとおりでした

わたしは居心地のよい夢の中から抜け出して
朝を迎えていました
もいちど夢に戻っても良かったのだけど
良かったのだけど

その居心地の良さは
たぶん これから始まる一日に比べたら
つまんないものに違いない
朝が来たってことは まだ生きてる証拠
一日を生き延びれたって証拠
これからの現実を 目を開いて進まなくちゃ

大事な人たち

2015年01月03日 | ほんのすこし
年を一つ取るたびに 捨てていくものもあれば 拾い上げるものもある。
大事に思えることや 大事にしたいものが増えていくこともある。
大事にしたい人が増えることは 喜ばしいことで、それが年々増えていってるはずなのに 不精なわたしはつき合いをないがしろにしがちでもある。その最たるものが年賀状。
どうにもこうにも 準備が遅くなり、とうとう年を越してから行動におよぶということがここ最近は多くなってしまっている。
人づきあいが大切だということはかなり大事だと知っているはずなのに コンタクトを取ることが苦手で、日々の付き合いに埋もれてしまっている。もしかしたら 昔の自分をどこかにしまいこんでいるのかしら・・・そんな思いが沸々と浮かんでくる。

大事な人たちがいるのに 大事だなと思っても形にせずに流されてしまうのはわたしのだめなところだなと思っている。行動を伴わないと 気持ちも通じないだろうに。
そんな反省をいつも年賀状が届くとしている。
今年もまた同じことを・・・

大事な人がいるということは安心感を持てるということでもある。自分の中にほっこりとぬくいものがあるという喜び それがいつもココロの中に灯されていることを感じて それが喜びへとつながる。そんな大事な人をたくさん見つけることができるというのもこれからの人生には必要なこと。若いうちはいろいろな人と衝突し 色々な決別を知っていくのが 人生の厚みになると思うけど、年を取ると共に必要なのは本当に大事なものや大事な人をどれだけ自分の中に持てるか だろうなと 今日は強く思っていた。
どちらかというと インドア派のわたしは外に出て人と知り合う機会を持つのはあまりない。これからもそのスタンスは広がらない気がする。でも 少しずつ外で自分を出すこともこれからは必要なことのような気がしている。それがどの機会なのかはわからないけど、母との時間以外でもっと外で誰かと知り合うこともまたこれからの人生に豊かなものを与えてくれるような気がする。それはまた母がわたしに望むことの一つなのではないかなとも思える。わたしが狭い世界にいることを母は望んでいない。

母も老いた。これから先何年一緒に過ごせるかと思うと 母との時間を優先したい気持ちが強い。だが、もっと色々な人とのつながりを求めて過ごすこともまた大事なのだと思える自分がいる。今年は母との時間の合間に 何かできることを探そうと思う。そして大事なものや大事な人たちが増えるような人生でありたいと思う。
もちろん無駄なものはこれから少しずつ整理する。わたしには無駄なものが多すぎるから。大事なものを増やすというのは 物を集めるのではなく道端に咲く小さな花を美しいと感じる瞬間があるということや 今まさしく昇ってくる朝日を拝むことができたということや そうしたココロの財産をたくさん蓄えるということで物欲ではない。
もっと感激しながら生きていたい。
去年はなんだかココロの浮き沈みが激しくて 自分がずんと落ち込んでいたことも。今年はもっと明るくなりたいなと思う。大事な人たちとふれあうことでそれが叶えられる気がしている。

冒頭の画像は 孫ちゃんに雰囲気が似ている気がして。
昔 娘がわたしにプレゼントしてくれた小さなお人形。洗面台の棚に飾って毎日見ている。優しく見てくれているような・・・何しているの!って叱ってくれるような・・・(笑)