心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

はろるど?

2015年09月25日 | ほんのすこし
突然、頭の中に〈はろるど〉という言葉が浮かんできた。
なぜに、今?
はて……何度考えてもさっぱりわからない。わからない自分にいら立つ。どこかで目にしたのだろうか?誰かが口にしたのだろうか?

もしかしたら、新しいストーリーに出てくる人物の名前をこれにしなさいという思し召しか?(笑)
行き詰まりつつも前に進む、物語を作るというのは産みの苦しみを感じるということでもあるが、ここずっと前に進めず、頭の中が空っぽになったのかと思えるほどのわたしだった。とにもかくにも文字を一文字でも書けたらいいのに。〈はろるど〉は、そんなわたしの救世主になるのかもしれない。などとうそぶいてみる。

小説というにはおこがましくて、書いているなどとは言えない代物だが、書きあげたときの満足感は何ものにも代えがたい。その喜びを味わったのはつい二年前だった。長い間、自分には小説など書けないと思いこんでいて、頭の中にあるあるストーリーが離れなかったのに、書くことを拒む自分がいた。それがなぜなのか、おぼろげながらわかる気がする。自分に足かせをしているのだ。こんなことを書いてはだめだ、誰も良しとしないだろうこんなものは、と自分が何かに挑むことを足踏みさせる自分がいたのだ。誰に見せるわけでもなく、自分で読むだけなのに……そんなことすら考え込む自分の姿があった。それがどこかでプッツン。無我夢中で書きあげた冬だった。今も読み返せば、あちこちほころびだらけで、穴があったら入りたいぐらいの代物だ。でもなんというか愛着がある。初めて書きあげた小説って、こんなにも愛おしいものなの?

それから物語を書くことに躊躇する自分は消えて行った。少しずつあれこれと書き、途中までとか、最初だけとか、いまだに完成しないものがある。それをいつ完成するのかは、風任せ(笑)。今は一つの物に向かっている。
でも、その中に〈はろるど〉が登場するわけはないんだなぁ。待てよ、別にはろるどが人間じゃなくてもいいじゃないか。そうか、そういうことか……
ひとりほくそ笑む。

〈はろるど〉
棚の上に鎮座している置物にだって〈はろるど〉という名前をつけてもいい。そういえば、あの犬の置物。どこかとぼけた顔の犬。はろるど!って呼ぼう。



なんのことはない。物語の登場人物でもなんでもなく、ただ置物の名前にするために頭に浮かんだにすぎないのか?
〈はろるど〉よ。
いや、たぶんこの犬が出てくる話になるのだろう。

今日の始まり

2015年09月25日 | 朝のことば&つぶやき
久しぶりに朝早く空を見上げました。
雲がいろいろな形で空をわがもの顔で、ゆうゆうと伸びていました。

秋の空です。秋は雲を見ると面白いのです。飽きないほどの雲の形に首が痛くなるくらい見ていたことにハッとします。6時前。空気は少し冷たくて、通りを散歩する人や犬たちが音も無く動いているのが見えました。静かで、それでいて生き物が存在しているということを感じさせてくれる時間です。もう少ししたら、たくさんの人々が目覚め、恒例の朝を過ごすのでしょう。ある者は仕事へと、ある者は台所へと、ある者は裏庭へと、それぞれが自分の朝を過ごすための場所へと繰り出すのでしょう。

朝は、一日の始まり。今日一日がどんな日になるのかなんて、誰にも決められないけど、どんな日にしたいかは自分で決めることができる。そのしたいことに向かって、自分が何をしたらいいのかを考えて行動する。それが大事なんだなと大きな空を見ていて思いました。少しずつ新しい空気が体に入っていく、新しい自分の目覚め。

窓という窓を開けると、風が通り過ぎていく。
少し冷たさを感じる風だけど、ほてった肌には心地よい。
あぁ、今日という風がわたしに語りかけて行く。
”ただ生きている それだけが嬉しい”
生かされたことへの感謝を忘れかけていた自分でした。もう一度、生かされたことへの感謝を思い出して。

母の好みは石川くん

2015年09月24日 | 母のこと
昨日は、母のところから遅く帰ってきました。温泉に連れて行くのが遅くなり(なぜかと言うとふたりでバレーの試合を見ていたからです。最後まで見ないまま、3セット終了後からを録画して行きました)、帰ってきてから母の髪をホットカーラーで巻いてあげたり。その間、録画していたバレーの続きを見ていたり、娘からの電話に出たり。

そんなこんなでいつもの時間を大幅に過ぎていて、試合もまだ続いていたけど、母に結果を聞こうと思いながら帰路に着きました。ご飯を炊かなかったので、夕食はパスタにしようとお湯に入れたときに電話が鳴りました。
母でした。なんだろう?と思いながら出てみると
「あれからバレーの試合、見ていたんだよ。4セット目ロシアが勝って、最後のセットは接戦で、点の取り合いっこになってな。最後に14点になったとき、録画が切れたんだよ!お前が5時からのいつもの韓国ドラマが入るようになったままでいいかって聞いただろ?切り替わったんだよ」
「なんとまあ」
「最後の最後の15点目がどうなったかわからないから、もうもやもやしてさ。切れたときの悔しさったらないよ。あー!!どうなったんだー。お前の携帯で結果がわからないかい?わかったら教えてくれ」
「はいよ」
早速、スマホで検索してみましたよ。ありました、ありました!ありゃ。負けちゃってるし。
すぐに母に電話し結果報告を。
「あぁ やっぱりなあ・・・日本いいとこに行くんだけどなあ」
ちょっと悲しげな母の声でした。母はこのところずっとバレーの応援をしていて、特に石川祐希くんのファンなのです。石川くんが強烈なスパイクをしたりすると、必ず「他の人は汗をすごくかいているけど、この子はケロッとしている」と言って喜ぶのです。爽やかなイメージが好きなようです。フィギュアスケートの羽生くんといい、石川くんといい、可愛い感じの子が好みなんだなと母の好みにチェックを入れているわたしです。

結果は残念でしたが、このワールドカップ中、どんどん日本が変化していってると言います。世界を相手に引けを取らないものが日本にも生まれてきている、そんな気がして母と共に応援したくなりました。
いつもスポーツでは母に影響されているわたしです。わたしはどちらかというとスポーツとは無縁の世界にいましたので、興味もあまり持てませんでした。母は父の影響があったのか、テレビ観戦をするのはとても好きなようです。孫よりも若い子の姿に目を細めて見ている母、なんともほほえましい限りだとわたしは思います。もしかして母のメンタルな強さはこうした若さを見て、自分の中に取り込んでいるからかもしれません♪
見習いたいものです。わたしもファンになれる誰かを見つけようっと。

注:ホットカーラーは年代物。わたしが独身の時に買って使ったのを母がそのまま使っている。もう○○年も経っているのに全然壊れずいまだに健在。昔の家電は壊れないねぇ。

たとえば

2015年09月23日 | 朝のことば&つぶやき
たとえば、誰かが君のことを非難しても
そこにある君が全てだと言えるか?
たとえば、今見えているものが真実だとしても
それが、人生のすべてを網羅していると
言えるか?
現在の 目の前のことだけで
全てをわかったと思うほど
君は成長しちゃいないんだよ

人生は死ぬまでわからないことだらけだ
探しても探しつくせないほどのものが
この世には溢れている

君の手の先に在る
全ての物に
ありがたい奇跡を
君のココロの内側にある
全ての物に
感謝と畏敬の念を

ありがとう ありがとう
ここに いま わたしがいること
それが素晴らしい

優しい男たち

2015年09月23日 | ほんのすこし
注:あっタイトルに惹かれた人はがっくりきます(笑)

金曜日から昨日まで、日常とは離れた場所で過ごしていたわたしですが、今はあれは夢だったのか?といった思いがあります。確かに一日一日があっという間で思い出すとそれぞれに濃い時間であったはずなのに、あっという間だったということが、記憶からすり抜けたような感が否めない。

でも、確かにそこにわたしはいた。そして触れ合った。まだ言葉を介することが難しい存在であった孫であっても。かたや二歳にもうすぐ近づき、かたや二カ月半という孫、そのそれぞれと触れ合ったことがどれだけ自分の中に力を与えてくれたのか・・・これからの自分の中に生きようとする力を与えてくれたのか・・・身震いするほどの喜びであり、しみじみ味わいたい喜びでもある。

幼子の仕草一つ一つに「あらあら」「まぁ こんなことも」「そうなの?」・・・ばあばは感動するのである。自分も遠い昔に通ってきたであろう仕草であったとしても、今初めて目にしたかのように感動するのである。親は今まさに子育て真っただ中、感動する余韻はなかなか持てないだろうが、親世代の上は責任という言葉がスポッと抜けているから、ただただ可愛いのである。そんな自分になったのだなと今回の旅では痛感してきた。今もまさにその余韻に浸っている。

その余韻に浸りながらの帰りの車中。乗り換えで大宮を選択したのは、直通で乗り換えがなかったからだ。東京駅で乗り換えすると構内の人波にうんざりするからと思って新幹線のチケットを予約したが、大正解だった。息子が大宮まで余裕を持った時間を選択してくれた。平塚の駅でおみやげを買いたいからと言うと、時間を十分見計らって駅であれこれ品定めし、重いので宅配を頼み、余った時間は外のデッキでスタバを味わう。短い時間だったが、息子とあれこれ話し。娘のところでも少しではあったが、話し、この旅は自分にとって濃い濃い時間となった。子どもたちのこれからが難題が待ち受けていようとどうにか解決していこうとする力があるということ、それをしっかり受け止めた気がする。

子どもの人生は、すでに家庭を持った子どもが決める。親は何か手助けできるなら手を差し伸べるだけだ。間違った道や踏み外した道を歩くことであれば、それを良しとしない断りを伝える。苦労するのが目に見えても、それを望んだ先にはきっとやり遂げたときに先が見えてくるはず。見守るのもまた親の道だ。

そんなことをふと思いつつ、孫にはきっと甘いのだろうなと苦笑いするわたしがいる。

新幹線を待つホーム。前にはがっしりタイプの男性。どこかで見たことがあるなあと思いつつ、予約したのは特割5%グリーン。グリーンに乗り慣れていないわたしはどこかぎこちない(笑)。前に立っていた男性がわたしの隣だった。わたしは盛岡だったので、
「どちらまで行きますか?わたしは盛岡までなので、席を代わっていただけるといいのですが」
と言うと
「ぼくは新青森までです。そうですか。じゃ交換しましょう」
といって、通路側がわたし、窓側が男性になった。降りるときに上にあげた荷物を出し入れするのが嫌だったから、足元に置きたかったのだ。
平塚から出る直前、息子がわたしのスマホにラインをダウンロードしてくれた。画像のやり取りがしやすいからというのだ。電車が出てから、車中であれこれ見たが、いかんせん、わたしはこの手の類はまったくわからず、出てきた画面に四苦八苦。すぐに娘から画面に「登録できたの?」というメッセージが出ていたが、それにもどう返したらいいのやら・・・困り果てていた。
そこで、新幹線で隣り合わせたその男性におそるおそる訊ねた。
「あのぉ~すみません。ライン入れてもらったんですけど、使い方がわからなくて・・・」
というと その方はスマホを見てメッセージの入れ方を教えてくれた。後でわかったのだが、その方はラインを入れていなかった。なのにサクサク教えてくれたということは、いかに現代は年寄には扱いにくい代物が多くなってきているということだ。(その方はわたしに、ラインをやろうと思うことが若いですよと言ってくれたのだが)

メッセージを送信することに成功したわたしだが、しばらくして娘から画像が送られてきた。まだ見たことのない孫の姿に嬉しさを隠せない。自分も息子のところで写した孫の写真を送ろうと思った。だが、またまたこれがわからない。しばらくあれこれいじってみたが、ちっともわからずさじを投げた。またまたおそるおそる隣の男性に
「何度もすみません。画像を送りたいのですが、どこをいじればいいのかわからなくて・・・」
「ぼくはラインやっていないけど、見て見ますか」
といって探してくれた。すぐにもわかって今度は画像を送れた。感謝感謝である。
そのお礼にといってはなんだが、平塚駅で買った鎌倉おやきが鞄に入っていたので、一つを出して
「少しだけど、お礼です。食べませんか?」
と言って差し出した。その男性は思いがけない申し出に嬉しそうな顔をして、すぐにおやきを袋から出し食べ始めた。なんだか意外な気がした。実は平塚の近くでつい最近まで勤務していたんですよと話し始めた。その後 盛岡に着くまでの数十分間、男性とあれこれ話した。人の良さそうな男性は転勤族で、9月から青森勤務とか。これまでも一か所に3年間ぐらいで転勤となり、大阪やあちこち全国を転勤。こういう生活もあるのかと驚きを隠せなかった。孫と同じような三歳の子がいるというのもまた親しみが持てた。お父さん、頑張れ!エールを送りたくなる。初めての雪国、これから雪の洗礼を受けるわけだ、頑張れ!
話していると あっという間に着いた。お礼もそこそこに立った。本当にありがとう。お名前伺っていなかったけど、どこか舞の海に似た感じのお兄さん、きっとどこにいっても溶け込めるそんな感じの方だった。

盛岡からのバスは混んでいた。連休ということもあったのだろう。車内の上の棚に大きなバッグをいれようとしたが、はいりきらなかったので、足元に。隣の方の足元に邪魔をする。誰も座らないといいのだけど・・・と思っていたが、ぎっしりの人数になってしまい、男性が座ろうとした。思わず
「すみません、この荷物上に乗らなかったので、足元にはみ出ているのですが、いいですか?」
と訊ねると、
「上にあげてみましょうか?」
と言うので
「あげてみたのですが、入らなくて・・・」
「あぁ、きっとこの部分がひっかかったんですよ」
と笑って、重いバッグを入れてくれた。笑顔の感じの良い方だった。
帰りも 自分が降りる段になると、わたしの分のバッグを下してくれて、自分が座っていた席に置いてくれた。車中、厚さのある文庫本を読んでいた男性、どんな本を読んでいるのか気になったが、窓外をずっと見続け居眠り。郷里に帰ってきたのか、はたまた旅の戻りなのか・・・想像するのもまた楽しい。バックパックを肩にかけて降りて行った。窓から見ると、誰かに電話、多分お迎えコールだろう。旅は道連れ、世は情けとはよく言ったものだ。ありがたい、優しさを垣間見てココロが和んだ帰りの車中だった。

昨日は、息子から始め優しい男性のオンパレード♪
うふふって、なんか気分良く帰ってきた。
それなりにお年寄りになるのもいいかもって思ったわたし。
ほら、言うでしょ?お年寄りには親切にって(笑)

早い月日

2015年09月21日 | ほんのすこし
時の流れとは、かくも早いものかと思う。赤ちゃんや幼児の成長を見ると、自分も子供と一緒に通ってきた道なのに、すでにその事は頭からスポッと抜けていて、ただただ驚きだけがある。
笑い、泣き、話す、寝る、話しているかのように声を発した時など、大人は自分の都合のいいように解釈するもので(笑)、自分の呼びかけに応えてくれている!と喜ぶ。私もそうだ。それを至福の時と呼ばずにはいられない。
立ち上がり、今度は自分の足でどんどん歩けるようになり、目の前の世界が広くなる。娘と息子、それぞれの子供を見ているとその成長の早さがいかに凄い物かわかる。かたや生まれて2カ月半、かたや11月には、2歳になる。生まれて2カ月半ってこんなに動いて笑って話しかける?2歳になるってこんなに歌う?私の即興のバスの歌をいとも簡単に覚えたことに驚く。
息子の娘のキック力を見て、今からサッカー上手いぞこの子は、なんて言う息子に『お前も親バカだね』と言ったが、実は内心私もサッカーいけるかもって思ったりした(笑)

この子たちがこれから先、一体どんな人生を歩むことになるのか、想像もつかないが、どちらも夫婦円満の家庭であれば大丈夫だと、私には、教訓として残すことが出来るんだなと思った。
反面教師は、大事だ。
娘よ、息子よ、家族を大事にね。

明日は我が家に戻る。母が首を長くして土産話を待ってるだろう。

カウンターデビュー♪

2015年09月20日 | ほんのすこし
夕方から夜にかけて留守番役の私は、孫ちゃんとの時間を過ごした訳ですが、たくさんおしゃべりして(多分こういう意味だろうと相槌打つ)、遊んでもらって(笑)、思い出増えました。
昨日のお昼は、とても待ち時間の長いお寿司屋さんにも入りましたが、騒ぐことなく入る前からエプロンかけて、食べるき満々でした。
11月に2歳になるのですが、初めてのお寿司屋カウンターデビューになりました。
玉子と納豆、蒸しエビ、茶碗蒸し、美味しそうに頬張って、美味しいを連発してました。大人は新鮮で、初めて食べるネタに感激したり、まだあるのにお腹いっぱいになってお終いだとばかり思いたとうとしたら、デザートの前にまだ二種類出て来てびっくり。



ふわふわのサンマとあぶりサーモン、平らげました!
カウンターのお兄さん、いい仕事しています。美登利寿司本店、孫ちゃんみたいな小さい子供にも気配りあって、楽しくカウンターデビュー出来ました♪

行ってきます

2015年09月18日 | ほんのすこし
※※※

ハガキ大のパステル画。

※※※

今日からお出かけ♪
荷物の詰め込みを出かける直前にやっているという、ほんとにこれから行くの?状態のわたしです(笑)。すでに早朝の母の家のゴミ出しは終えました。朝から雨降りですが、だんだん天気が回復するという天気予報にちょっと安心しているところです。まだベッドに入っていた母にひと言「行ってきます」と声をかけると、「気をつけて行くんだよ」と返ってきました。眠りを妨げてしまったのか、それともわたしが行くのをおぼろげに待っていたのか・・・

不在中の母のことが心配でしたので、すぐご近所さんに挨拶を。朝早いご近所さんは雨にもかかわらず、車庫前でワンちゃんと外を見ていました。母のことをお願いすると快く引き受けてくれましたので、不安は消えました。いつも頼りになるご近所さんなのです。

友人に飛行機で行かないの?と言われましたが、どうも飛行場への行き来が面倒でついつい新幹線を利用してしまいます。時間は全然違うし、楽だよと言われてしまいました。今後は考えてみようかと思っています。今度っていつ?また行くつもりか?(笑)

何はともあれ、可愛い孫ちゃんたちに会えるのが楽しみです。

しばらく更新できないかもしれません。スマホからの更新ができたらなあと思っているのですが、なかなか慣れなくて。スマホではブログ訪問先でのコメント入力もうまくできなくて、せめて「ポチっ」を見つけたら「おはよう!」「おやすみ!」「素敵!」「面白かった!」「うんうん わたしもそう思う」の気持ちを込めてポチっとしています。しかもスマホの方が読みこみが早いのです。パソコンだと訪問してもなかなか表示されなかったりすることが多いので、訪問するのは最近はスマホで、ということが多くなりました。パソコン、だんだんダメになってきたのかなあ。まだVistaなんです。って、読みこみが遅いのとそれは関係ないのかな・・・ワードやエクセルは出来てもこういうパソコン関係はほんとにわからないというわたしです。トホホ。

まずは、時間に遅れないようにしなくちゃ。
ではでは~。

サウナの中で

2015年09月17日 | ほんのすこし
少し前に温泉に行ったときのことでした。
暑い夏の間はサウナに入らなくても、湯殿に腰掛けているだけで汗が噴き出てきましたので、サウナからは遠のいていました。でも、最近の寒さにサウナが恋しくなって、久しぶりに入りました。サウナの中ではサウナ常連組さんの会話が弾んでいました。黙って耳を傾けていると。

自分は結婚して子供が出来たが、働かなくては食べていけなかった。働くためには子どもを見てもらわなければならなかった。そのとき助けてくれたのが、本家だった。本家の嫁さんは、自分の子どもでもないのに弘前に連れていってくれたり、子ども同士遊ばせてくれたり面倒を見てくれた。だからたいした助かった。今は、すでに子どもも巣立ち、自分たち夫婦だけの生活で悠々自適の生活だが、いつでも本家がしてくれたことに感謝する気持ちは忘れていない。本家が落ちぶれたり困っていたら、素知らぬふりなどできない。助けてもらった恩は決して忘れないのだ、と、周りの人に語っていました。

本家・別家という仕組みについては、よくわかりませんが、本家というのは大きな存在なのでしょうね。田舎に行くと本家・別家という制度が今もあるようですが、今は昔よりその密接なつながりは薄れているのかなぁ。母の田舎にもそういうものがあったように思います。ときどき昔のことを語ると、本家と言う言葉が出てくるときがあります。頼りになる存在といった感じなのでしょうか。後で母に昔を語ってもらうのもいいかもしれません。

人間がおろかだとすれば、自分が苦境に立たされたときに手を述べてくれたときは小躍りして喜んで受け入れるが、その後立ち直り、昔以上に成功したときに、手を差し伸べてくれた方が今度は苦境に立たされていても自分が受けた恩を返そうと思う気持ちを忘れてしまう、あるいは知らぬふりをするといった行動を取ることだろう。

感謝する、その気持ちを忘れないでいたいと何度も繰り返していたその方を見た時、柔らかな表情だったなと思い出しました。自分の中の清浄な部分が外に出たとき、人は外ににじみ出るものがあるのだと思います。

日常の何気ない中にも考え込むことや、しみじみ思うことが沢山あります。その中の一つだけでもココロに残るものを見つけていけたら、その一日が単なる一日で終わらない。そう思えるような素敵なことを探していけたらなあと思っています。