渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

500cc 原田哲也選手 2気筒マシンで表彰台 イギリスGP 1999年

2024年06月11日 | open

500cc 原田哲也選手 2気筒
マシンで表彰台 イギリスGP
1999年


この1999年世界グランプリの
イギリスGPドニントンパーク
でのバトルは凄かった。
もうすでに四半世紀前になる。
日本製オートバイが世界最頂
であり、また競技車両とし
ての二輪が人類史上最高に完
成度が高かった頃の世界選手
権最高峰クラスでのレースの
動画だ。
この頃が人類史の中で、二輪
車の完成度が一番高かった。
今の二輪、特に日本製は世界

チャンピオンが乗っても転ぶ
車しか作れないので論外。
日本メーカーは自戒しないの
でこのまま現在の世界最後尾
しか走れない二輪者しか作れ
ないだろう。
油脂メーカーの巨大企業レプ
ソルはホンダを見限って今年
限りでホンダへのスポンサー
ドを打ち切った。

ホンダもヤマハもスズキも
もう世界選手権でトップを
走る事は無いだろう。
日本製二輪車が世界一だった
時代は1970年代から40年間
終了した。

1993年250世界チャンピオンの
原田哲也選手の走りが光る。
冴え渡っている。
原田選手はケニー・ロバーツ
(父)やエディ・ローソンのよう
な計算ずくで冷静なレースを
するグランプリライダーだ。
走りの特徴はクルンとインを
小半径で回る。だが旋回速度
は異様に高い。
そういう走り方をするライダー
だった。つまり最短距離を走る。
他の人は走れない。
だが原田選手は走る。そのライ
ンを。
これは2気筒500だけでなく、
250クラスで走っている時から
そのような小半径高速旋回を
するライダーだった。
もはやそれは「原田乗り」と
呼んでもよい程の走り方だろ
う。


なお、世界のトップライダー
たちはほぼ全員身長が低い。
原田選手は163、ケニー・ロ
バー
ツ(父)は162、加藤大治郎
選手が162、ランディ・マモラ
は163、本間利彦選手も163、
坂田和人選手が164、片山敬済
選手が推定165(実際にぺったん
こスリッパだけ履いた病院で
目の前で会って会話した時の
印象
として。当時173.8の私と
比較して)、長身に見えたバリ
ー・
シーンが170、不世出の世界
チャンピオンのジャコモ・アゴ
スティーニが
168だ。
世界チャンピオン、日本チャン
ピオンたちの身長は高くはない。
身長178のフレディ・スペンサ
ー、
179のケビン・シュワンツ、
179の世界青木治親選手、181
のバレンティーノ・ロッシたち
は世界
グランプリシーンの中で
はかなり
の異例といえる長身の
世界チャンピオンだった。

ロードレーシングライダーでは
世界レベルのトップクラスは
身長が高くない人たちが総体的
にはトップ
を形成していた。

これ、人間と二輪の高速度競技
の関係性において何かある。
単なる体重の問題ではなく。
英軍最精鋭の特殊部隊では長身
の者は
一人もいない。全員が約
170前後で、160台が多数を占め
る。

身体能力に関して、絶対に何か
ある。
超長身のバスケット選手は機敏
だが、人
体構造とモーターサイ
クルや競馬での身体を
使う繊細
な操作操身必須の競技におい

は、175以上の高身長は一般的
には有利に
は働かないのではな
かろうか。

器械体操選手には男女とも長身
選手はいない。
まだ運動医学的にも解明されて
いない人体の謎として、二輪競
技トップライダーの身長が高く
はない理由には、多分、
何かある。

 


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