ことしの夏に街で気になった
女性のファッション。
それは、多くの女性がボトム
ズにだぼだぼのデニムを履い
ているという事。
まるで私の高校生の頃の制服
の「ドカン」のような(笑
私の頃、もんぺみたいな「ぼ
んたん」は関東では田舎の男
子高校生しか履かなかった。
都内と横浜はモンペではなく
ストレートの「ドカン」だ。
それの白いのがスカパン。
1970年代中期のワル小僧の都
内の高校生はバイクに乗る時
でも白いスカパンだった。
ことしの夏は20代の女の子は
ドカンみたいなデニムを履い
ていた。20代の私の娘も履い
ていた。
20代だけでなく50代の元タカ
ラジェンヌなどもドカンデニ
ムを履いていた。
少し前まではスリムタイプが
流行っていたが、ことしはダ
ボダボのストレートドカンを
街では多く見かけた。
これもすぐに廃れるのかな。
毎年のファッションの「流行」
というものは、実は自然発生
的なものではなく、デザイナ
ーたちが「ことしはこれを流
行らせよう」と仕掛けて大衆
をその流れに乗らせるという
ものだから。
昔、ある女が俺に言って来た。
「ベレーはことしの秋の流行
なんですって。もしかすると
貴方は流行の先取りしてるの
かもよ」と。
心底バカだなぁと思った。
まず、こちとら流行り廃りで
ベレーなどかぶってはいない。
それともう一つ。
ミリタリーベレーに流行など
はない。軍帽だからだ。個性
を出すちょい変則かぶりは各
部隊ではあるが、それは流行
ではない。軍帽という限られ
た限定枠の中での自己表現だ。
特に英軍各部隊がそれをやる。
私は主として街着ではほぼベ
レーはかぶらず、ゲームで戦
闘服を着た時にかぶる。
「被る」ではなく正規着装法
で「かぶる」のだ。ミリベレ
にはミリベレの絶対に外せな
いセオリーがあるから。袴は
後ろ下がりのだらしない着用
は絶対に武士はしてはならな
い、というのに似たような。
そのベレーのセオリーと着用
方法を自己ウェブサイトの特
集ページで日本国内で初めて
詳細解説紹介したのは私だ。
陸上自衛隊までもが私の解説
サイトを参考に「将校のたし
なみ」という教育小冊子を作
り、教育するようになった。
「ラジオライフ」誌などは私
のサイトページの解説画像ア
ングルから文章まで丸々盗用
して出版した。
また、私の「ベレーのかぶり
方」のサイト解説記事は多く
のファッション界のウェブサ
イトでリンク引例紹介されて、
日本のファッション界にも一
石を投じた。
私は日本国内のベレーの着装
方法という未開のシーンに、
一つの歴史の流れを作った。
だが、私が解説紹介したそれ
は「流行」を追う軸線とは明
らかに別物だった。
私は仕掛け人ではなく、単な
るベレーの正しい歴史と着用
法の紹介者でしかない。
誰も正しい事を解説する人が
いないから、私が日本で初め
てやっただけの事。
私のサイトページの登場以来、
芸能人やファッション界、実
践自衛隊海外派遣部隊でもベ
レーのかぶり方に変化が現れた。
啓蒙活動の一つの結果が確実
に日本の歴史の中に現れた。
被服の着装を観て、流行りが
どうのという視点でしか物事
を観られない時点で私に言っ
て来た女はその発想がダブル
バカだと思った。それが褒め
たつもりかと思うとトリプル
バカだよ、それは。そこらの
ねーちゃんではなく幼稚園時
代からのつきあいの幼馴染だ
けどね。おまいさんそれはズ
レ過ぎだよ、と。それ言った
けど。
流行のみを負う人間たちは、
次から次へと物を買っては
ポイ捨てする。
服への愛も、物を大切に思う
心も、表現への造詣も何も無
い。実に薄っぺらい。
物を大切にしないというのは、
結局突き詰めると、それを作
った人を大切にしない。人を
思わない。根幹部分、コア部
分は自分だけが大切な生き方
だ。
着る物については、流行を追
うのではなく、流行が自分を
追って来るというのが本物の
ファッショナブルな生き方だ
ろうに。
流行を追うばかりの人生は本
当にカッコ悪い。
服装としてだけでなく、人間
として生き方がくそダサい。
と思うよ。