江田島(えたじま)-能美島(のう
みしま)。
戦艦大和を建造した広島県の
軍港呉の向かいにある島だ。
陸続きの島なのになぜ二つの
島名が存在するのか。
それはここは元々は二つの島
だったからだ。
江戸時代から長年かけて海峡
が埋め立てられて陸続きとな
ったのである。
もともと江田島と能美島は
飛渡瀬(ひとのせ)と呼ばれる
狭い海峡で隔てられた 別々
の島であったが、現在は地続
きになっている。
調べると、島名は「予章記」
の貞治二年(1363)の記事に
「能美島」とみえる。島全域
を荘域とした院領荘園として、
高野山検校帳寛治5年(1091)
2月19日の記事に「能梨庄」
とみえ、「高野山興廃記」に
「能美庄」がみえる。「乃見」
「乃美」とも記された。
「経覚私要鈔」応仁元年(1467)
7月3日条には「ノウヘ」とあ
る。
島名の由来について、宝暦13
年(1763)の「能美島志」(専念
寺蔵))に「山色能美故名能美
島、又曰上古有能美翁者、主
此島故曰能美島」とあり、
「芸藩通志」は「昔能見部氏
の所居又は所領にてもありし
故に名づくにや」と記す。
伊能忠敬が文化3年(1806)に
作成した地図では、既に両
島は陸続きになっている。
やたら島が大きいので二輪で
は走り応えがある島だ。
ツーリングの楽しみは、二輪
を運転して見知らぬ場所に道
路を走って行く事そのものに
ある。自分の力でバイクと共
に。きつくて辛い旅だが、あ
えてそれをやる事で得られる
特別なものが存在している。
旅とバイクに乗る事そのもの
が好きではない人にはツーリ
ングの面白さは永遠に解らな
いだろう。
陸路や海路編入でどんどこ行く
のだ。
以前は国鉄が貨物便にバイクを
載せて運転者は客車に乗って北
海道にまで行けるツアー便を出
していた。
それどころか、航空会社が同じ
飛行機で愛車のオートバイを
積載して北海道に行ける便ま
で就航させていた。
陸路・海路だけでなく空路まで
使って愛車の二輪と共に遠隔地
に行ける夢のようなツアープラ
ンが存在していた。オートバイ
が日本国内で社会的に認知され
始めてバイクがブームとなって
盛んだった頃には。
また、かつてのホンダなどは
ユニークな二輪を多く作った
が、レジャーバイクというカ
テゴリーを新たに創出させた。
小さな原付50を小さなコンパク
ト四輪自動車に積載し、ドライ
ブ先のリゾート地でバイクを下
して付近で乗って観光レジャー
を楽しむ、という史上初の試み
をホンダは提供していた。
元々遊園地用のミニバイクだっ
たモンキーを公道用に折り畳み
ミニバイクとして販売したのが
始まりだが、1980年代には四輪
とセットの設定で開発した二輪
と四輪もホンダは登場させた。
この型式のホンダシティに乗っ
た事があるが、とても面白い車
だった。ミニバイクのモトコン
ポも滅茶苦茶面白い遊びバイク
だった。折り畳み式箱型バイク。
モーターサークルでのツーリン
グというのは、実はロードレー
スの原点でもある。
街から街へと走る事がやがて
道路を走っての競争レースと
なった。
そして、専用のクローズドサー
キットが初めて作られたという
人類の歴史がある。
また、モーターサイクルでの
ツーリングは、四輪車でのド
ライブとは全く異なる視点で
の走行となり、得るものも多
い。多くは人の感性に呼び掛
けるコトガラだ。
二輪に乗っていて、二輪の遠
乗りだろうとチョイ乗りだろ
うと、ツーリングの楽しさを
知らないというのは、バイク
の楽しみの6割を知らないのと
同じなのではなかろうか。
極めてもったいない。
車でも行けるじゃないか、と
いう感覚ならば、それは二輪
の良さそのものに理解が及ん
でいない。無自覚であろうと
も事実実相として。
同じ景色でも、二輪で自走し
てそこまで行って観る景色と
四輪車に座って移動して観る
景色は全く異なるのだ。
なぜならば、オートバイは人
に一番近い乗り物だから。
オートバイは人の中の感性を
奮い立たせる力を持っている。
箸やスプーンと同じただの道
具としてオートバイに接して
いたならば、そうした深淵を
永遠に知る事はできない。
(能美島)
陸路で行き、海路で帰る。
またはその逆もできるし、す
べての行程を陸路で行く事も
できる。
三者三様の別な面白さがある
だろう。
そうした行程プランを立てる
事も二輪遠乗りの楽しみの一
つだ。
あるいは、全く無計画で金と
免許証だけ持ってふらりと行
く事ができるのも二輪の楽し
みにはある。ぶらり旅として。
モーターサイクルは、人の楽
しみを無限大に広げてくれる
乗り物だ。
そういえば無限大の記号∞は
バイクの形に似ている。
ループするその形は漢字で書
くと末広がりの八を数字で表
す8とも同じ軌跡を描く。
モーターサイクルは永遠だ。