人はそれぞれ一生がある。
誰でも100%命が果てる時
が来る。
ことしももう少しで年の瀬
を迎えるが、ことしで一番
個人的にショックだったの
は井形マリさんが亡くなら
れた事だった。
大きなショックで、マリさ
んを思い出すたびに鎮痛な
憂鬱が何ヵ月も続いた。
ネモケンや片山さんや本間
ちゃんがまだ元気で健在な
のに、マリさんは一人走っ
て行ってしまった。
1980年代にサーキットのパ
ドックで見るマリさんはい
つもキリッとしているが、
ふとした時に見せる笑顔が
素敵な人でもあった。
ある年の鈴鹿8耐では、マリ
さんは鈴鹿サーキット内の
サイン会場に座らされて、
炎天下の中、延々と続くサイ
ンを求める人に応えていた。
どれくらいの時間と人だろう。
延々とだ。
いつもと違う面持ちで、ちょ
っとふてくされたようなマリ
さんだった。
サイン会で耐久参加させるの
はひどいと思った。
井形マリさんが食生活改善の
児童教室にいた頃の後輩だっ
た私のバイク仲間の一人は
「ひでえ。あれじゃ客寄せ
パンダだよ」と疲労を見せる
マリさんを見て言ってた。
人には命の果てが誰にもある
とはいえ、マリさんの逝去は
堀ひろ子さんの逝去と共にと
ても残念だ。
堀さんも井形さんも、日本の
オートバイの歴史の中で、男
のレースに交じって成績を残
し、女性ライダーの社会参加
に甚大なる貢献をした人でも
あるからだ。
私の妻などは、女性としても
人間としても井形マリさんの
事が大好きで大ファンだった。
大病を患い今はバイクを下り
ている妻は、私と同世代の
1980年代バイク乗りだった。
妻だけでなく、多くの二輪乗
り人々が井形マリさんの事が
大好きだった。
本当に惜しまれる。
俺と同学年の小沼賀代子は
元気で暮らしているのだろ
うか。