渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

残心

2022年07月11日 | open
 
8番を入れて9番に手玉を出す時、
撞いてから一度手元にキューを
引いてからまたスーッと出して
いる。
これは玉撞きの玉入れ動作として
は意味はない。
これは残心を取っているのである。
9番のラストボールを入れた時に
は、そのまま撞き出しのフォロー
スルーでの残心を取っている。
残心の在り方ふたつ。

宮本武蔵の『五輪書』をアメリカ
人が解説した書を日本人が日本語
に翻訳した物を読んだ事がある。
「残心」については、その外国人
も翻訳者も全く誤認していて、と
んでもない事が書かれていた。
曰く、心を残す事は未練であるの
で良くない事の例として説明され
ていたのである。
てんで理解していないどころか、
まるで逆だ。
剣術を知らないのだろう。
日本武術の剣法では、アジアの他国
を含む海外のマーシャルアーツとは
大きく異なる心体動作がある。
それが「残心」だ。
斬新はフォロースルーとも異なる。
クールダウンラップであると同時
に、次の状態に即応体制を取る為
の心の鎮めなのである。
攻撃を終えた状態の収束だけでな
く、スーッと霜がいつの間にか降り
たような状態を意図的に作り、創
出させた静寂の中に冷静さを意図
的に現出させて張り詰めた冷徹さ
を継続させる心と身体の動きの事
を「残心」という。
残心無き動きは日本武術とは無縁
だ。
それゆえ、日本刀を使う種目でも、
ただ畳表を切って、切った直後に
あーとかわーとか声を出したり、
落胆したり喜んだり、即そこから
心が離れる事をやらかすのは、
それは武術ではない。
特に試斬や斬術、刀法稽古等で
そのような事をしでかすのは、
それらはゲームセンターのモグラ
叩きと同じで武術でも武道でも
ない。
だが、そうした一番大切な事を
忘失している物切り屋たちの有象
無象が日本にはごちゃまんといる。
外国人がそれを観て、そういうの
でいいのだと思ったらどうする。
日本人がそれでは宜しくない。
まして剣持つ者がそれでは論外だ。

上の動画の時の撞きの背景は、
撞球と武道は関係が無いが、一
の心鎮める心の姿勢として残
心動作を取った次第にて。
通常の撞き方では出せない手玉
動きをキュー切れの冴えで出
した撞きであるので、そうした
時は動作に表さなくとも残心が
殊更に必要だ。アドレナリンを
下げ、必要以上に意識的に平常
心に己を戻す。
日本人できちんと残心を取る撞
者は土方隼人プロだ。
あの人は、まるで剣士のような
玉を撞く。


この記事についてブログを書く
« 映画『さかなのこ』 | トップ | 夜明け前 »