こちらの三件のブログ記事で、「世界のトミタ」こと、冨田勲さんのことに触れさせていただきました。
実はこちらでご紹介させていただいた時をきっかけに、あれから何度かメールのやり取りをさせていたのです。
そして、冨田先生から「近々サントリーホールで日本フィルとの演奏会を」されるということを直々にお伺いしまして、「これは行かねば」とチケットを取りまして、今日を迎えました。
冨田先生とメールのやり取りをするなんて・・・これは「自分の人生には起こりえないだろう事柄ベスト10」に入る事だったのですが、それが目の前に「川村さん」という書き出しと「冨田勲」と、最後に先生のご署名のあるメールを実際に頂いてしまい、
なにがどうしてどうなってるんだ、という数ヶ月を過ごさせていただきました。
その中で、僕の本のことにも触れさせていただき、冨田先生からも「楽しみにしています」とのメールを頂いていたこともあって、いよいよ今日、緑ちゃんを持って、先生のコンサートにお邪魔しにいったわけです。
勿論、先生もこのところ今日のコンサートの準備の為に大変お忙しそうだったこともあり、特別なアポイントメントを取っていったわけではありませんでしたので、本は先生に僕のブログなどを紹介してくださったサックス奏者のKKさんにお渡しすればいいかな、と思っていたのでした。
・・・が。
本当にね、皆さん。
人生、何が起こるかわかりませんよ。
休憩時間に、一年半近くぶりくらいになりますKKさんに会いに行ったところ(席が離れておりました。僕は二階、KKさんは一階でした)、
「ケンちゃん!久しぶり!ねえねえ、楽屋行こう。先生、いらっしゃるから」
と、「え!え!?いや、だって、ホラ、あの、その」と、あまりの突然のことに、全然要領を得ないリアクションしかできない僕を引っ張って行ってくれて、
で、本当に、
まさか、まさか、
本当に冨田先生にお会いできてしまいました。
握手をさせていただいて、他には誰もいない楽屋で、しばらくお話までさせていただいてしまいました。
そして、緑ちゃんをお渡しさせていただくことまでできてしまいました。
(撮影はKKさん、携帯にて)
しかし、「謹呈 冨田勲先生」と書いて、サインを書いたまではまだ良かったのですが、つい、あの自画像まで書いてしまった・・・。
「ああ、どうもありがとう」と先生は言ってくださって。後から入ってこられた先生のご友人に、「あ、この彼もミュージシャンで、シンセサイザーを使っていて」とご紹介されてしまったり。
こんなことって、あるんですね。信じられなくて、今でも泣きそうです。
あのですね、最後にひとつ、お話を。
実は、僕が二歳の時に亡くなった父なんですが、冨田先生と同じ慶応大学卒業だったんです。そして、メールのやり取りの中で、先生のお歳を伺い(「僕はあと二年で80になります」と書かれていたんです)、え!?あれっ!?もしかしてと、母に確認してみましたら、なんと僕の父と同じ年だったことがわかったんです。
まさか、と思いながらも先生に「あの・・・○○○○(←父の名)というのが、もしかして同級にいなかったでしょうか?」と事情をお話しましたら、
なんと、「半世紀以上も昔のことなので記憶が定かではありませんが、・・・同級に、とてもスチールギターの上手い人がおりました」と。
そして、他にもいくつか母から聞いた当時の断片的なお話をさせていただきまして、そこで出てくる色々な方のお名前などから、とうとう、
「どうやら、彼が川村さんのお父さんだったのですね」
と、今日、先生から。
僕の父は、慶応在学時代、スチールギター(ハワイアンなどでよく聴けるあれです)の研究会の会長をしていたそうなんです。熱が高じて、卒業後はプロになりたがっていたそうですが、祖父の猛烈な反対にあい、やむなく音楽の道を諦めたのだそうです。
僕の亡き父が、冨田先生と、細い線かもしれませんが・・・繋がっていた。
本当にね、人生、何がどこでどう繋がるか、繋がっているのか、わからないものですね。
最後になりましたが、先生と日本フィルの方々でお作りなられた今日のコンサート、本当に、本当に、素晴らしかったです。音楽って、素晴らしい!
・・・ところでね、
あのね。
「思いどおりに作曲ができる本」というものを、極めて世界的な大作曲家であられる冨田先生にお渡しするというのは、
・・・例えるなら、タイガー・ウッズに「思いどおりにゴルフができる本」とか、イチロー選手に「思いどおりにヒットが打てる本」、村上春樹さんに「思いどおりに面白い小説がかける本」なんてものを渡してしまうよりも、僕の中では、さらに1000倍、とんでないことであるのは、言うまでもありません。
このケンに関しては、思えば思うほどあまりに恥ずかしく、今夜は眠れそうにありません。
ではー。