何度かこちらでご紹介しています、松山の“関西最大の和楽器屋さん”のご主人にして、日本でも指折りのビートルズマニア&ミュージシャンのシノさんが仕事で来京されるということで、お会いしてきました。
素晴らしいお話を沢山伺いました。
中でも、娘さんとのお話、親子のあり方のお話には、正直涙が出るほど感激して、帰りの電車で泣きながらこれを打っています。
素晴らしい。
親子って、
…いいですね。
---追記。---
篠原さんは今回、あの、言わずと知れた”世界の坂本”龍一さんと、やはり世界的な箏奏者、沢井一恵さんとのジョイントコンサートのコーディネーターとして、神戸、そして東京とお仕事で飛び回っていらして、お忙しい中のご滞在時間でしたが、「川村さん、良かったら会いましょう。美味しいものでも食べながらワインでも」と誘ってくださったんです。
・・・いや、決して「美味しいものとワイン」という言葉に釣られたとかではありませんよ(笑)。
シノさんのことはこちらとこちらのブログでも触れましたが、BOWWOWや斉藤光浩バンドのベーシストでありますDAISUKEさんのご親戚なんですね。で、僕は光浩さんのライブで松山にお邪魔した時から、とっても良くしていただいて、以降、柑橘系二人組や、俊くんのライブで松山にお邪魔しては、必ず篠原さんのお宅に寄らせていただいて、美人の奥様の美味しい手料理を頂きながら、篠原さんと”恐ろしくマニアック”な(笑)音楽談義をする、というのが、もう本当に楽しみなのです。
時折メールなどでやり取りはしていたとはいえ、今夜、2006年の暮れ以来の、三年半ぶりの再会だったのです。
そして今夜は、当時まだ高校生だった娘さんのアヤちゃんも合流してくれました(・・・いやまてよ、親子の会に、僕がお邪魔したんですね、これは(笑))。いやはや、すっかり大人になられて、今は東京に住み、なんと20歳にして、まもなく大手ネイルサロン・グループで店長を任されることになったのだそう。立派です。
今日、お話をしていてつくづく感じたのが、自分が20歳の時って、本当に鼻水たらしてただけですし、その鼻水で袖をテッカテカにしていたのに(笑)・・・なんと大人なんだろう、ということでした。
世間では”ゆとり世代”などと言われ、何かと槍玉に挙げられることも多い今の若者ですが(もっとも、「今の若者は・・・」はローマ時代からの、大人の決まり文句ですが)、本当にしっかりした考えを持っていて、言葉遣いや気配りも完璧で、ビッキリしましたよ。
お父さんであるシノさんも、「おまえ、いつの間に・・・」と、目を潤ませながら話を聞かれてて、アヤちゃんはアヤちゃんで、「いえいえ、もう日々勉強です。でも、辛いときには、いつも家族の、特にお父さんの顔が浮かんでたんです。そして、よし、まだまだ頑張らなアカンなって思って。」って。
もうね、ここで全部を書くわけにはいかないので、割愛させて頂いてしまいますが(ほんといい話のオンパレードでした)、お父さんの話を聞くアヤちゃんの目、そして、アヤちゃんの話を聞くシノさんの顔を見比べながら、向かいの席に座っていた僕は、本当に微笑ましくて、そして、・・・羨ましくて。
こんな親子って理想だなー、って思ったのです。
「・・・いやいや、色々ありましたよ」
勿論そうでしょう。ただ、幸せなだけの家庭なんて無いでしょう。どこのお宅だって、色々ありますよね。
でも、その流れの中で、こういう”いい関係”が築けてるというのは、本当にステキだな、と思いました。
「頑張れ。でも、本当に辛かったら、いつでも帰って来いよ。」と、シノさん。
子どもにとって、こんなに安心できる言葉は無いでしょう。そして、だからこそ、もっともっと頑張れるのですよね。
相変わらず色男のシノさんと、もともとの美人さんにさらに磨きがかかり、すっかりステキな大人の女性になられたアヤちゃん。
そしてね、
・・・ギュッと娘の肩を抱くお父さんの手。そして、その手のぬくもりに、ちょっとだけ子どもに戻ったような娘さんの表情が可愛らしくて、
・・・涙でファインダーが。
最後に僕も交えていただいての記念撮影。
なんかね、今日も言ってしまったんですけど、シノさんご家族は、僕にとって、”松山の親戚”みたいなんです。勝手な話で申し訳ありませんが(笑)。
でも、ほんとなんです。
気温もですが、心も暖かだったので、
帰り、一駅手前で降りて、歩きました。
暗闇の中、暖かなオレンジ色の街頭に照らされる、小さなタンポポを見つけました。
・・・なんか、また涙が。
って、最近ほんと、涙もろー(笑)。
ではー。