初めての電車通学となった、高校時代。
通うのに、学校まで7分ほどの一番の最寄りの駅であるA駅と、そこよりは少しだけ遠くて、
A駅とは逆方向に、さらにプラス5分は歩きますが、まあ、徒歩圏内として通えるB駅が選択できました。
通学には、定期を買う必要がありますので、どちらか選択をしなくてはいけません。
(アルバイトや仕事などと違って、当然、学校から交通費が出るわけではありませんので(笑)、好きな方を選べたわけです)
僕は、概ねの流れに逆らって、B駅選択したのでした。
なぜかと申しますと、B駅を使って学校に通うと、帰りには、必ず、秋葉原という駅を経由することができる、からだったのです。
(校門を出ると、一人「じゃあね、おれ、こっちだから」と逆方向に歩くので、よく「あれ?なんで?」と訊かれたものでした。)
秋葉原・・・。
今は、いわゆるゲームやアニメ、アイドル文化などの、いわゆるサブカルチャーの聖地の様相となっておりますが、
その頃は、電気・家電の街であり、また、オーディオの街であったことから、ひいては、”音楽の街”でもありました。
その一つの象徴が、2009年に球種合併されて、事実上消滅してしまった、石丸電気。
テレビのCMなどでも有名だったのですが、無くなってしまったのですよ。
僕にとっては、この石丸電気の「レコード館」こそが、高校からわざわざ遠い方の駅を選択した、その目的だったのです。
当時は、「貸レコード」というものが出来始めた時代(当然、CDはまだありません)。
しかし、アナログレコードには、今のCDと違って、大きなジャケットも含め、聴いた分だけ音が劣化する「盤」そのものを所有することが、
ステイタスでもあり、どこか、その音楽への愛情のバロメーターでもあるようなところがありました。
ですので、貸レコードで借りて済ませるもの、と、
お小遣いをはたいてでも、買いたい(持っていたい)レコード、
との差が、歴然として、あったのです。
なので、「俺、そのレコード持ってる」
というのは、ちゃんとそれだけの対価を払って(=ほかの何かを我慢する、ということでもありました)、
その音楽へ投資したよ、というプライドも含まれた言葉だったのです。
そして、当然、それだけの対価を支払うわけですから、買ったレコードは、どれも、全曲覚えるほど聞くわけです。
雑誌の評を信じて買ったものでも、「あれ、ちょっとイメージと違ったかも」なんていうアルバムでも、それでも、あたりまえのように何十回も聴いたのです。
そして、石丸電気には、家の近所では買えない、輸入盤が、沢山、沢山おいてありました(・・・タワーレコードは、東京にはまだ無かったですので、存在は知りませんでした)。
当時、LPレコードは2500円~3000円。
これは、輸入盤ですと、安いものでは1780円ちか、高くても2000円を切るくらいで買うことが出来たのです。
日本語の解説は入ってませんでしたが、当時はまだ、「国内版のみボーナストラック」なんていうこともあまりなく、
要するに、中身は一緒、だったのです。
邦楽のLPなら仕方ありませんが、洋楽なら、日本盤を3枚買うお金で、4~5枚、買えたのですよ。
輸入盤というものの存在を知ったのが、中学生の時。
そして、高校生になり、秋葉原を通学路に選べる、とわかった時。
選択は一つ、だったのでした。
勿論、だからと言って、毎日アルバムなんて買えるわけはありません。
でも、
「見たかった」
のです。アルバムが。
アーティストが作った、アルバムというものを、手で触って、実際に見ることができる。
これだけでも、僕にとっては価値があったのです。
毎日、秋葉原で、途中下車の旅。
楽しかったですねえ。
レコード館と、あといくつかのレコード屋さんしか行かなかったですけどね(笑)。
定期は3か月。
その頃には、バンドも組み始めて、友達も出来て(しまい(笑))、軽音部の部活の後など
「今日も、帰りにA駅前の喫茶店で、ミーティングしよう」なんていうことも多く出てきてしまい、
定期の意味をなさなくなってしまってきたので、
次からは、
・・・A駅にしたのでした。
ごめんよ、秋葉原。
そんな秋葉原で、9月19日に、椎名へきるちゃんのライブイベントがありまして、
こちらでサポートをさせて頂くことになりました。
この日の模様は、BSジャパンで放送にもなるそうです。
詳細は、僕のサイトのインフォメーションをご参照ください(上から3つ目になります)。
(写真のプレイヤーは、あるレコーディングスタジオのものです。僕は今は、アナログプレイヤー、持っていないのです・・・)
ではー。