
今日は、T京音大の夏休み前の最後の授業、そして個人面談がありました。
多くの学生からの声。
「学校に行きたい」
・・・そうだよね。
「消えるのは授業日数と変わらない学費」「同級生の顔も知らない」 大学生の現状を訴える漫画が議論を呼ぶ
他方、遠方から県をまたいでの登校だった学生は、オンラインで楽になった、という声もあります。
これもありますよね。
例えば、海外の学校にも、物理的に”通う”ことはできなくても”履修”はできるというのも、このオンラインで明らかになった事実です。
そういう意味では、グローバル化も進むかと思います。
ただ、例えばバークリー音大にオンラインで通って(?)、卒業したとして。
得られる知識は同じでも、
ボストンの冬を体感したのかな。
毎夜、白い息を吐きながら、ライブハウスに通ったのかな。
オンラインでは得られない”体験”というものは、「対時間重要度」の比率でいったら、50%(心情的には70%を超えるかも)くらい大切なのではないかと思うのです。
目的(これは何なのか、という問いもありますが)のみの為に生きることは、できません。
雑談、無駄話から生まれることが、どれだけ大きいか。
今、どうしてもそれができないことはやむを得ないとして、それを否定する気にはなれないのです。
人は、人を会わなくては、
”いきられない”。
僕は、これは、どうしても真理に思えるのです。
ではー。